第十二話 鼻水、出てるよ
領主の屋敷。
そこにはドンと大きな、真鍮によく似た金属の柵があった。
見上げれば小麦の茎のように細長く金色をした棒が幾重にも並行で並ぶ事により、先端でアーチ状の曲線を描いている。
その曲線をを基礎とし、中心には巨大なハート型を逆さにした、槍にも似た金属細工が取り付けられている。矛先は遥か空の彼方へ、その堂々とした姿を勝鬨よろしく向けていた。
槍は縦一文字に割れる構造になっているのが割れ目から判断出来る。分かれると片刃のグレイブのような形状を取るのだろう。
一文字を下へ追っていけば柵全体を形造る柵そのものが、金属細工の位置や全体的な形状から対称的な形を取った二枚一組であるひとつの門なのだと、己を主張していた。
『柵門』と云う、上流階級が城や住居等によく使う、門の形状だ。
其処の前にちょこんと立つのはシャルを背負ったアダマスだった。
門と対比によって一人間の身長はかなり小さく見える。
しかしそんな身長でも十分に触れられる箇所……アダマスの身長で云うなら胸元の高さにそれは備え付けられていた。
騎士が被っているフルフェイスの鉄兜。
フェイスガード部は実際に空洞になっていて、門の内部まで繋がっていた。耳の部分には山羊のような角が二対あり、フェイスガードの上は球体。
大真珠湖に因んだ波を表す角に、頭は真珠が付けられた『騎士と真珠』の紋章で、ラッキーダスト領に代々受け続けられてきたものだという。
とは云えラッキーダスト領は伯の血統が途切れ、そこへ王都にて武功を挙げた幼いアダマスが継ぐという形になっているので、アダマス自身は伝統そのものに愛着はない。
だがしかし、この領地そのものには守りたいものがあるので紋章を大切にしようとは思っている。そう思って兜の胸元にぶら下がっている、円輪型のドアノックへ手を伸ばした。
主の帰還を伝える為に。
ポンポン
ドアノックに触れる……それよりもはやくアダマスの肩に触れるものがあった。人の本能に従い、彼は叩かれた肩の方へつい振り向いてしまう。
ぷにゅり
頬に硬く、痛みに似た感触がやってくる。其処に設置されていた爪が振り向いた勢いで突き刺さったものだが、不意打ち故、強い衝撃に思えた。
事に及んだ張本人の全容が夕陽に照らされて確認できた。
「お帰り。『お兄ちゃん』」
シャルよりやや低い身長の少女が、白とピンクのストライプ柄をしたロングスカートのメイド服を着ている。髪は真鍮色をしたアダマスやシャル達よりも深めの金髪を額半分で切って、外ハネにしていた。
常に半開きの半円型になった瞼の向こうから覗くウグイス色の眼が、ジイとアダマスの顔を見る。
悪戯が成功したので口でケラケラと笑いながら。
その見慣れた姿を確認したアダマスは、微笑みを浮かべてぷにぷにと彼女の頬を人差し指で突いて言った。
「ただいま。マーガレット」
マーガレット・ラッキーダスト。
それはシャルのような本当の妹でないながらもアダマスの第二の妹にして、コギーとタンバリンではじめて戦ったタンバリンマスター。
アダマスは王子様の微笑みのままに彼女の頬をグリグリと動かした。
嗜虐性の加わった笑みだ。王子様は王子様でも、俺様系王子様のニヤニヤとした微笑みなのである。
「うりうり。マーガレットのほっぺはプニプニだなあ」
「あ、お兄ちゃんったらそう来ちゃう?なら私とてこう来ちゃうよ。覚悟するのだな!」
察したマーガレットは指の方へ顔を向けて、パクリとアダマスの指を咥えた。伏目のままにカジカジと甘噛みをくり返す。
アダマスはフムと、その口から指を抜こうとするが離れない。その小さな力の何処から湧いてくるのやら、ゴリラのように驚異的な吸引力を以て吸い付いてくる。
ブンブンと腕を振ってみるが、やはり離れない。いっそぴょんと飛び跳ねて空中でクルクル回ってやろうかとも考えるが、背中のシャルが邪魔でそれも出来ない。
だから口に出した。
「ふむ、困ったね。ちょっとシャルを降ろすのを手伝ってくれないか?」
「それじゃ仕方ないね。わかったよ」
マーガレットは一旦口を離てアダマスの後ろに回り込み、せっせとシャルを門の隣の壁へ上半身を座った状態で立てかけさせ、二人で指差し確認をした後に元の位置に戻り、アダマスが指を差し出すと先ほどのように咥えた状態へ戻る。
口を離した時にもう門の中に逃げてしまえば良いではないかと野暮なことを言ってはいけない。
「むっぴゅっぴゅー。ぴょーぴゅっぴゃなもみゅーまん!(ふっふっふ、さて、どうするかなお兄ちゃん)」
「そうだなぁ、片手も空いたし、こうするよ」
かつて貴族達を恐れさせた悪魔の力を無駄遣いし、マーガレットの言ってることを読んで会話すると、おもむろにメイド服の上からわき腹へ触れ、指を一所懸命にと動かし、くすぐり始めた。
今まで余裕そうだったマーガレットの顔がビクンと震える。
しかし顔を真っ赤にして指は離さない。その様にゾクゾクと感じるものが来たアダマスはもっと彼女の身体の別の部分をくすぐり、強弱をつける。
この身体の事なら隅から隅まで知ってるアダマスにとって、造作もない。
それが何分か続いた後、最後の止めとばかりに咥えられていない小指を立てる。
それでマーガレットの鼻の下をなぞった。
不思議そうな顔をする彼女に宣言しておく。
「鼻水、出てるよ」
「えっ、ウソっ!?」
「くすぐり我慢で力み過ぎたんだろうなぁ」
彼女はつい口を離して鼻の下を抑えてしまった。
人差し指を懐のナプキンで拭きながらアダマスは続ける。
「まあ、ウソなんだけどね」
「ぐぬぬ。このイジワルお兄ちゃんめ」
「でも気になるだろう?」
「うん」
そうして、マーガレットの頭には『兄』の大きな手の平がシャルと同じように乗せられていた。




