第十一話 アダマス・フォン・ラッキーダスト辺境伯
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あの後、道具の片付けなど色々あった。
流石にビリアード台まで出てきたときは「本当にやるかも分からない遊び道具に頑張りすぎだろう」と、少々気の毒に思いつつヘトヘトの身体で出店の飲み物をみんなで飲んだらそんな事もどうでもよくなっていた。
そうして何時のまにか、西の地平線が夕日に染まっていた。シャルは背中でクウクウと眠る。ボート遊びはまた今度になりそうだ。
「コギーくん、今日は楽しかったよ。じゃあ、またね」
「おう、またな。今度はマーガレットも呼んで三人で遊ぶのも良いかもな」
「フフ、そうだね。そこは機会があればかな」
そう言って手を振り、帰路を歩む。
背中から伝わる少々軽すぎないかと思う体重に、兄ながら少々不安になった時、ひとつ今日コギーの口から漏れた事を思い出す。
言葉を漏らした後の彼の口に悪意も恐れも感じられなかったので、気にはしていない。しかし、少し昔を思い出す。
『お前、心が読めて……』
◆
心を覗き見る悪魔。
まだ王宮に住んでいた頃のアダマスは、生まれついての驚異的な観察眼からそう呼ばれ、畏怖と嫌悪、そして好機の眼に晒されて続けていた。
王宮に巣食う後ろ暗く腹黒い貴族達にとって、トクベツなものとしてでしか見られなかったのだ。
別に心を読めると云う訳ではない。しかし仕草から大体の感情の変化なら読み取れる。それだけで驚異と思われるのに十分だった。
それ故にある者は露骨に避け、ある者は「自分と君が組めば最強じゃないか」と露骨に利用しようとしてくる。
そも実の母親である女王から見れば望まない出産によって産まれた『アダマス王子』にとって、はじめから王宮に己の居場所なんてなかったのを幼いながらも察していた。
周りの視線と感情が本能的に理解出来るだけに余計に耐えられず、自分の内と外の世界に壁を作り、自室と云う箱に引きこもるまでそう時間はかからなかった。
信用出来るのは目と口と耳を塞いでも彼の世話をしていた乳母のみである。
そうした日々が積み重なり一年と少し経った頃だったか。
少しだけ心に余裕が出来たある日、何気なしに窓の向こうの花が気になって植物に関する本を読んでいた時の事だ。
幼い娘が部屋に迷い込んできた。
「なんだい、君は?」
「ワラワ?ワラワはシャルロットなのじゃ。よろしくなのじゃ」
舌足らずのこの娘は、乳母に聞いたところによると自分とは違い女王と国王との正式な子で、第一王女。自分とは父親違いの妹らしい。
とは云え元より王宮に執着の無いアダマスには嫉妬はなかった。そして貴族たちのように自分を見下してやろうという邪心は読心術でも見当たらない。
そんな意識が生み出した単なる気紛れだったが、引きこもってからはじめて知らない人間を自分の世界へ入れた。
シャルはキョロキョロと部屋を見渡し、ボスンとアダマスの懐の中へ飛び込んだ。
「おにーたまはどうしてお部屋にずっといるのじゃ?」
「お兄様はね、皆の考えている事が分かっちゃうんだ。そんなのが皆の中に居たら怖くてお仕事の邪魔になっちゃうだろう?
だから迷惑にならないようにずっとお部屋に居るんだ」
ポッと問われたことへ面白くも嫌でもない態度で返す。
もう一年もすれば想うことに特別な感情なんてない。自分が何を思っても、人に悪意がある事に変わりなんてない。
「おにーたまは外には出たくないのかや?」
「うん。そうだなぁ、あんまかな」
「分かった!『あんま』ならワラワと一緒に外に出るのじゃ!」
「……え?」
不意を突かれたアダマスの手から、本を元気よく取り上げる。植物図鑑だ。
そこには先ほど読んでいた植物が描かれていた。即ち窓の向こうの花である。
「そのご本を見てたら、あの花が見たくなったのじゃ。だからおにーたまも来るのじゃ」
「ええ……。ひとりで行けば良いじゃないか」
「イヤなのじゃ。楽しいことは誰かと一緒に楽しまないと、楽しくないのじゃ」
そう言ってぷくぅと頬を膨らませるシャル。しかし、この娘は自分とは違う。自分と違って畏れる能力もない上に、正式な『貴い人物』なのだから見てくれる人なんて幾らでも居る筈だ。
思い至ったので首を傾げながら聞いてみる。
「それはボクでなくても良いだろう。君を見てくれる人なんて周りにいっぱい居るじゃないか」
「ダメなのじゃ。みんなは『ワラワ』と出かけても『第一王女』としか見ない。
『楽しい事』を見ようとしないのじゃ。
ワラワは、ワラワの心をちゃんと知って遊んでくれる人が側にほしいのじゃ!」
「……そうか、じゃあ、しょうがないのかもね」
笑顔なんてどれくらいぶりだろう。
滅多に使っていなかった表情筋が緩む。そうして重くなっていた腰を上げて、シャルから植物図鑑を返してもらうと扉に向かって歩き出した。
「行こうか、外」
「ハイなのじゃ!」
扉は思っていたよりも軽さく、小さかった。
余談であるが、その時に採った花は腐らないようコーティングされ、九年ほど経って引っ越した今も尚、シャルの部屋に飾られている。
それ以後、シャルは毎日部屋へやってきては一緒に遊ぶ日々が続いていた。
そうした事が続いてある日、自分自身を含む人に優しく出来ている自分が居るという事実へ単純に嬉しく思えた。結局、人は人に優しくありたいものなのだ。
◆
「……んあ?」
肩にもたれ掛かるシャルが朧げに目を開く。
意識が朦朧としていて、キョロキョロと危な気に周りを見渡すも、なんとか視線をアダマスに固定した。
ゆったりと口を開く。
「ムニャムニャ……お兄様、お舟に乗りましょうなのじゃ……」
どうも彼女の中ではまだ遊んでいる最中らしく、これからボートに乗るところらしい。
だからアダマスは彼女を背負ったまま駆けてみせた。
上下の揺れがボートのように大きくなる。
「舟なら乗ってるじゃないか。ほらほら、ぶほーん。お兄様号だよー」
「ふわぁーあ……お兄様ってば速いのじゃあ、ふわぁ……」
「だろう?」
眠そうで、しかし無垢な目をキラキラさせる彼女は夕陽に照らされていた。
檸檬色の髪は薄っすらと蜂蜜色に、頰は橙色に、唇は紅色に染まる。紫が混ざる瞳はまるで吸い込まれるようで、ふと見ていたアダマスは呟く。
「綺麗、だな……」
呟くがシャルは応えない。
見れば今度こそコテンと童女の顔で眠っていた。先程の「ふわぁ」は寝る前の欠伸だったらしい。
フゥと一息ついて「王都から引っ越して良かったな」と此処、ラッキーダスト領主であるアダマス・フォン・ラッキーダスト辺境伯はシンプルに思った。




