第十話 コギーの本音
「ウェイ!」
アダマスが掛け声を上げ、楽器の調子を確かめる為、タンバリンを勢いよく一回叩く。
反響音と鼓膜の共鳴へ思考を集中させる一方で、チラリとシャルへ視線を向けた。
普通の人であれば急に振られてどうしたものかという場面だが、彼女は焦らない。とても重い兄への信頼と愛情がドッシリと心に居座っているから。
ニコリと普段から想像の出来ないほど柔らかく笑うと、現在の反響音に合うよう弱めに膜を叩いてみせた。
「うぇい!」
シャルも掛け声を上げた。
続けてアダマスも返す刀で掛け声を上げながら更に叩き、そこへシャルも返す。
空気に段々と、物理的なものとは違った熱が捻り出はじめてきた。
「ウェイウェイ」
「うぇーい、うぇーい」
「ウェイウェイウェイウェイ」
「ううう……うぇーい!!!」
熱は最高潮へ達する。ならばそろそろ、その動揺を曲へ移すべきなのだろう。
想ったアダマスは直ぐにツンと手首を回し、細かくイントロを弾き出した。
それを聴いた途端にシャルは「あっ、その曲」と年相応に声を上げる。
目を開いて、演奏する側を見るその顔は、微笑みへ切り替わった。
シャルの好きな曲だったからだ。
結構前に一度聞いて「ああ良いな」程度に表情を緩めた程度のモノだったので、兄にとっては印象の薄いものだと思っていた。
だが、しっかりと覚えていてくれたらしい。
実はこうしてアダマスがシャルらに『何か突然振られるかもしれない』と思って何れ演奏するかも知れないとストックしている曲は結構多い。
だが、一度聞いただけで覚える絶対音感の持ち主という訳でもない。
それ故に隠れて練習している裏事情があるので、今アダマスは涼しい顔で微笑んでいる程度の顔だが、心の中でガッツポーズをしている。
その微笑みの視線はシャルのタンバリンへ向けられる。
曲を繋げるようとの指示なのだろう、「ああ、妾の番か」と、兄の背中を追いかけ出す。デュエットとして曲を繋げた。
嬉しそうに。
練習していないシャルは、それ故に記憶頼りの演奏だった。
所々に音程を外した拙いものであった。
だが、何とか元の曲として付いていこうとしているのが分かる。
アダマスはその想いを読み取れた。だからアダマスは、その「お兄様なら何とかしてくれる」と云う信頼の心へ応える為、巧みに上手く方向を合わせ、それは結果を出す。
求め合う二人は一つの生物のように望むパートを弾き合い、最後に同時に弾いて決めポーズ。
「これぞ兄妹の」「絆コンビネーション!」
「吟味はどうした。お前ら実は楽しんでいるだろ」
「人生楽しんだもの勝ちだよコギーくん」と言って、タンバリンを再び弾く。今度はシャルの知らないマイナーな曲だ。
急なものにシャルは額汗を目一杯浮かべて、ドッシリと心に居座り爆発しそうな愛情に振り回され必死で兄の望み通りになろうと「アアデモナイ、コウデモナイ」と我武者羅に弾く。
その結果、リズムが乱れる、曲にもならない混沌としたものしか出来なかった。
アダマスはそれにどうという反応もない。
ただ、前回マーガレットがやったようにフリスビーよろしくタンバリンをコギーへ投げ渡す。
コギーは適当に続きを弾いた。
それを聞いてタンバリンと格闘していたシャルは「アッ」と呆け、面白くない表情をする。その表情のままに舌打ちをして、やる気無さげに手を動かした。
「コギーが弾くのかや。まあ、コギーが相手ならこんなモンで良いかの」
しかし適当に弾いたものは肩の力が抜けて程よくなったアドリブ曲になる。
気付かないのは弾いた本人のみだ。
「話を聞く限りコギーくんは素晴らしい音楽の才能があるからね。こうして遠くからアドリブ曲なんかを合わせる分には問題ないかなと。ギリギリのラインだけどね」
自分に対しまさかの評価へ、コギーは頰を赤らめて目を逸らす。
鼻の下を擦る照れ隠しの動作をひとつ、シャルから続きを振られたので、自分の望むままに弾き返し、区切りの良いところでシャルへ振った。
「そう来るかえ。ならばさ、こうかの?」
テンションも戻ってきていたシャルは調子に任せて続きを弾く。
そうして気付けば、ひとつのオリジナル曲が出来ていた。
それはオリジナルとは余りにも違い過ぎてアレンジとも言い難い形ではあるものの、基本である骨組みを捉えている為に「こう云う曲としてもありだったのかも知れない」と思わせる曲になっている。
演奏が終わったところでアダマスはシャルの肩をポンと叩いてコギーへ言う。
「実はシャル、家の都合で楽器を嗜んでいてね。マーガレット程ではないけど、それなりには楽しんで出来る。
ただ、長所ではあるんだけど、ボクが相手だとアドリブのデュエットで頑張り過ぎて変になっちゃう癖があってね。
シャルと遊ぶ時は案外に、感情をそんな込めない楽器系で攻めた方が良いかも」
言われた方はポカンとした。
あんな事があったばかりなのに、寧ろ勧めるのか。アダマスは意図を汲み取って二言目を放つ。
「だって君、本音はシャル達と遊びたいだけでしょ。妹の友達が増えるだけなら歓迎すべきじゃないか、兄として」
狐につままれたようなコギーの顔が、アダマスの空色をした瞳に映った。「なんだこの間抜けヅラは」と思ってよく眺めてみたら、自身の顔だ。
それを指差すのは、いつの間にやらアダマスの横に立っていたシャルである。
「ええっ、コイツと友達!?いくらお兄様の指示でもちょっとキツくないかや」
驚愕の文字に恥じないよう、顎を大きく開けて彼女は吠えた。その様はまるでイヌ科の肉食獣である。
言われたアダマスは飼い主特有の慈母の微笑みを浮かべつつも無言で左手を顎の下へ持っていき、撫でてみせた。
こちょこちょと。
「あふっ、そんなっ。妾はそんな安い女では……あふっ」
撫でられる快楽に対し顔を蕩けさせ堕ちる寸前まで行きながらも必死に耐えている。
だからアダマスは嗜虐的な笑みでニヤけた。
右手をワキワキと動かした後に猫の手にしてみせる。野菜を切る時の手だ。
その手と顔を見るやいなや、恐怖と期待が入り混じった顔をするシャルを確認。
愉悦感をいっぱいに込めたアダマスは、右手を服の下からヘソの辺りに当て撫で回す。
「んっ、此処が良いんだろう?ほら、イっちゃえ。イッちゃいなよ」
「ふぁぁぁ、もうらめぇぇぇ」
こうしてシャルは身体を仰け反らせ、目を見開き、悶絶す。
反った勢いで地面へ倒れそうなところへ背中に腕を当てられてアダマスに支えられ、そのまま力抜けた状態で背負われる。
故に彼女の頭はアダマスの肩へ倒れこんだ。シャルの手からカシャリと力なくタンバリンが落ちる。
もう好きなようにしてくれと彼女の脱力し切った唇からは唾液が垂れ、アダマスの肩にかかりそうになる。
アダマスの懐から素早く取れだされるナプキン。
それを以て拭ってやれば幸せそうな女の顔があった。
唇を小指でグニグニ弄ったり、捲ったり、引っ張ったりしてみる。
が、彼女はなされるがままだ。
口を吊り上げたアダマスはシャルの耳元へ囁いた。
行為後のピロートークで聞き慣れた波長の声は、絶頂を迎えた脳内によく染み渡る。
「シャル。お友達とは仲良くしようね」
「はひぃ、分かりましたのじゃ」
「よしよし、いいこいいこ。シャルが分かってくれたようでお兄ちゃん嬉しいよ。
と、言うわけでコギーくん。これからもよろしく頼むよ」
そう言ってシャルの頭を撫で、「うわぁ」とした顔をしているコギーの方を何食わぬ顔で見た。それははじめに会った時と変わらない、事務的な顔。
「お、おう……。
ところでタンバリンのところなんだけどよ。なんでシャルが知ってる曲をはじめ演奏して、次が知らない曲なんだよ。
吟味なら次の曲だけで良いじゃねえか」
「シャルが可愛いし、ボクが楽しいからに決まってるじゃないか」
「ぶっ殺すぞ」
「シャルに変な気を起こしたらボクからぶっ殺しに出迎えるから安心すると良いよ、ハッハッハ」
シャルが地面に落としていたタンバリンを、サッカーのリフティングよろしく爪先で空中に上げて、背中のシャルを落とさないよう片手でパァンと思い切り叩いてみせる。
その瞬間、この広場にあるどの音よりも大きな音がした。




