ヒトクイ
「その剣は我が国の為に。忠誠はその国民の為に」
王は言葉と共に、上質な鉄で鍛え上げた剣を私に与えたもうた。それは鎧を裂き、盾を貫き、命を躊躇いなく奪い去る、無慈悲の権化だった。
その剣は下賜の言葉の通り、国の為に多くの敵の血を吸った。
この忠誠は下賜の言葉以上に、国民を想い、また救った。
戦場にて猛威を振るう我が剣に、或いは私についた渾名は「ヒトクイ」。国によっては「マンイーター」とも言うそうだ。要するに、人喰らいの剣、だ。
好きに呼べばよい。そう思うかもしれないが如何せん、この剣は、この身の仕えし王より賜った物である。斯くの如き者どもを許し置くことなどできず、きつく説き伏せたこともあった。言葉で、力で、賭け事で。おかげで私の評判というものは地に落ちたもので、「シニガミ」だとか「バーサーカー」だとか言って罵り、怖れる声もあった。
そんな私とて、誰からも理解されぬ訳ではない。
一番の理解者は、私の仕える王、その人であった。
「お主の働きと中世の深さについては、儂こそが他の誰よりも知るところであろう。この悪評もまた、お主の忠誠心故であろう。これほどに忌み嫌われようと、その剣を振るい続けんとするお主の在り方には、儂とて頭が上がらんよ。感謝しておるよ、オスカー」
真っ直ぐに私の目を見て語る王の眼差しに偽りの影は無く、真摯な光だけがそこに灯っていたことを、私はよく覚えている。
その言葉を聞いて、暫くの後のことだった。
王は、その魂を天へと奉還なされた。不審なことはなく、ただ、老衰での逝去であった。
国は偉大なる賢王を盛大に弔うと、次に、新たな王を決める会議を催した。
王は娘ばかりを遺しており、その誰もに、古くからの慣習から王としての役割を与えることはできなかった。代わりに、娘たちの中で最年長である第一王女に選択権を認め、その夫となった者に王権を授ける、との決定となった。
これが全ての始まりだった。
話を聞きつけて王城に押し掛ける男たち。その身元は国の大貴族から不明の者まで様々であった。私はその有象無象から王の遺児である王女を守るべく、傍に仕えていた。
私が仕えていたのは既に逝去なされた先代の王であり、この王女に仕える義務はない。しかし、王は生前に、私へ最期の御命令を下さった。
「娘たちを頼む」
それが王の最後の御命令だった。
その為に私は常に王女の傍に控えていたのだが、ぽつりと王女が漏らした一言は、私に確固たる決意を抱かせた。
「オスカー。貴方が居たからこそ、この国は安寧を手に入れたのではないかと、わたくし時折り思うことがあります。改めて、感謝を申さなくてはなりませんね」
王ただ一人ではなかったのだ。この私を認めてくださる御方は。
この人斬りの脳しかない私を認めてくださると言うこと。それがどんなに尊いことか、私以外には解らぬのだろう。筆舌には尽くしがたいその感情を私自身でさえ持て余すのだから、無理もないことだ。
私はそれを聞いたとき、ただ涙を堪え、頭を下げることしかできなかった。
この時、王女のために、私は命を懸けるものと決めた。それが私の決意だ。
月が満ち、消え、そしてまた満ちるだけの時間が過ぎ、王とならん、と名乗り出る者はとうとう居なくなってしまった。
「彼らは人の子。であれば欲あって参ったのでしょうね。手に入らないと思った瞬間にコレですもの」
溜息混じりにぼやく王女に、私は苦笑いを浮かべる。
「…ねえ、オスカー。貴方がわたくしの夫になってくださらないかしら」
なぜ私なのか。
そう問う私の目を、王女はいつか見た眼差しで真っ直ぐに射抜く。
「貴方がこの国の為にしてきたことを、わたくしは知っているから。貴方こそが相応しいわ」
断る言葉など、この瞳の前には存在できない。
王女のあらゆるお膳立ての上に、私はとうとう王として担ぎ上げられてしまった。
婚姻の儀、そして王位の継承式を執り行い、私は王女と夫婦の契りを結び、王となった。
しかし、順風満帆に進んだのは此処までだった。
シニガミが王となったことで怒りを露わにする国民たち。家臣たちでさえ白い目を向け、私の所属していた騎士団の者たちなど在らぬ噂を吹聴する始末だ。
高まる不満。理由なく滞る伝達。広がる悪評。
安寧を保っていたこの国は、遂に狂いだす。
深夜、人の気配の消えた王城の寝室。影が私たちに忍び寄る。
枕元に立つ人影は、その手の刃物を振り下ろす。
されど私は腐っても騎士。ヒトクイとまで呼称された人斬りの手練れである。
その手首を掴んで捻り上げ、戦意を奪うためにそのまま圧し折ってしまう。床に転がるナイフには、月明かりに照らされた液体が光る。毒の類であることは疑いようもない。
暗殺者。王位を簒奪せんとする何者かの企みか。
問い質そうとしたところで、暗殺者は仕込んでいたらしい毒を飲み、息絶えた。
呼びつけた守衛たちは苦々しい顔で後始末をしていった。後から現れた家臣たちも半笑いの表情を隠しもしない。
怯える王女を傍に抱き寄せ、私は思案する。
よもやこの国に私の居場所はないのではないか、と。
嫌われ、命をさえ狙われる私に、王としての居場所はもうない。
私は所詮、ヒトクイなのか。
悩む私に、王女は囁いた。
「ここを出ましょう。どこか遠い所へ」
翌朝を待たず、私たちは国を飛び出した。
王より賜った一振りの業物。それと幾らかの金品だけを手に、私たちは当ての無い放浪へと旅立った。
満ちた月が半ばまで欠けた頃、王女の身体に異変が起こる。
箱入りの王女は長旅の疲労に対処できず、体調を崩してしまったのだ。彼女は訓練された兵士とは違う。彼女との放浪は行軍とは訳が違うのだ。
仕方もなく田舎の街に長居することとなり、どうにか王女の体調も快方に向かっていた。月は二度満ち欠けを繰り返したろうか。
その頃になると、今度は街の方に異変が生じ始めた。
何やら剣を持った男と女の二人連れを探しているらしいのだ。
私は王女にそのことを話した。王女はただ一言「行きましょう」とだけ言った。
再び、夜に乗じて街を飛び出した。
まさか隣の国にまで追っ手を差し向けるとは思いもせず、長い放浪を続ける。
その間、何度も王女は体調を崩し、また追っ手は現れた。故意に私たちを邪魔するかのように。
逃げ出した私たちを許さない、何者かの意志が呪いとなったかのように、全てが繰り返してゆく。
しかし、それが長く続くことはなかった。
体調を崩した王女と田舎の街に長居することとなり、私たちは小さな宿に入ろうとした。
そんな私たちを、突如として現れた騎士たちが取り囲んだのだ。
「オスカーと元第一王女だな。抵抗は許されない。抵抗の素振りを見せた時、あなた方の生死は問わないと命令が出ている」
その言葉には裏がある。どのみち私たちは死ぬのだ、と。
私は瞬きをするよりも速く鞘を払い捨てた。
風のように鋭く、滑らかに、鎧の隙間から騎士たちの四肢を切断してゆく。
細切れになった元同僚たちを見下ろし、私は思い出す。
「その剣は我が国の為に。忠誠はその国民の為に」
剣は脈を打った。
ハッとなって剣を放り捨てようとした瞬間、剣から流れ込んだ冷気が体中を駆け巡った。
「その剣は我が国の為に。忠誠はその国民の為に」
繰り返される言葉が頭の中で反響し、眼前の全てが闇に沈む。
耳朶を叩く王女の声も今は彼方。人の言葉として認識できる境界を越えて消える。
目を覚ました場所は群衆の中。台の上、建てられた柱に渡された梁からは、二括りの縄が垂れ下がっていた。その垂れ下がった先は輪になっており、それが何の為なのかは容易に想像がついた。
両手は縛られ、後ろには槍を構えた兵士が二人。一人は私のすぐ背後に。もう一人は王女の後ろに。
王女はもう何かを言えそうもない程に衰弱しているようだった。私が気を失ってから、どのくらいの時間が過ぎ去ったのかも定かではない。
兵士たちが、槍の石突で私たちを前に押し出す。係の者が私たちの首に輪を通し、緩く締める。私たちは膝を着けさせられ、逃げることもできない。
「オスカー…」
呻くような言葉は、後には続かなかった。急降下する視界。
世界が暗転する。
目が覚める。
私を覗き込む好奇の目は、次の瞬間に恐怖と驚嘆の色に変わる。一目散に逃げだす民草に混じり、兵士たちの後ろ姿も見えた。
隣には脱力し、大地に横たわる王女。抱き上げようとして、やめる。自分のしようとしたことが不可解であると言うように。
私は首に巻きついたままの縄を、いつの間にか握っていた剣で斬り落とす。気が付かぬうちに鎧を着込んでいることにも気が付いた。
私にできることはヒトクイだけだ。
そう思って国の騎士団に入った時のことを思い出しながら、ゆったりと歩き出す。
「この剣は我が国の為に。忠誠はその国民の為に」
呟く言葉の意味を、私はもう知らない。
――あるところに、それはそれは平和な国があったのさ。
けれど大昔、一度だけ、この国には死なない化け物が現れたそうだよ。
この化け物は強いだけでなく、とてもずる賢く、恐ろしい化け物だった。
そのずる賢さで王女をさらい、化け物は世界中を逃げ回った。
それでも化け物はとうとう捕まってしまった。
化け物は首を吊ったけれども、そう、死なないから逃げ出しちまったのさ。
それからというもの、この国は何故だか平和なのさ。
何でも、化け物が敵を食べちまうからだ、って話もあるが、定かじゃない。
ま、話には尾ひれが付くもんさね、あっはっは……――。
安直なハッピーエンドはつまらないものだ。
そうは思いませんか?
…思わない?