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隣人

 さすがの吸血鬼生の中でも、教会で寝起きしたのはこれが初めてだった。

 なんだか早くに目が覚めてしまい、空気が早朝特有の装いを醸し出している。正確な時間はわからないが、普段学校がある日よりも、だいぶ早起きだ。

 木の床に敷いた、客間の寝台から剥ぎ取ってきた布団は、決して寝心地が悪かったわけではない。普段使っているせんべい布団と大差なく、ふかふかさはさほど変わらず萎びているのだが、床用と寝台用では、なんだか布団の造りが違う気がした。

 決して吸血鬼が教会にいるせいではない。

 この感じが、つまりは“お泊り”なのだろう。

 僕はこの地から離れる気がなかったので、学校行事の宿泊学習は、常に欠席していた。

 更にはずっと一人で暮らしてきたため、隣に誰かがいる状態で眠るだなんて、前代未聞だ。

 その僕が、昨夜は家主と、ピロートークなんて交わしてしまった。

 もう寝た?まだだけど。早く寝ろよ。そっちこそ。

 朝から顔がほてってくる。

 仕方なく僕は、温かな記憶の残る布団から体を起こした。

 僕は隣の寝台に目をやった。

 そこには昨夜と変わりなく、布団の盛り上がりができていた。

 布団の隙間から覗く艶やかな髪は、間違いなく彼のものだ。

 ほてりが冷めない。

 けれど、いい朝だと思う。

 カーテン越しに届けられたた太陽の光は美しい。

 朝日を褒める吸血鬼なんて、すてきじゃないかと思った。


 着替えを済ませた僕は、寝台の中で未だ夢をみる彼をそのままに部屋を出た。

 監視と言え休息は必要だ。

 尤も、吸血鬼の活動時間、と言われている夜、もしくは僕が起きて活動している時間に、見張りの仕事をしていなくていいのか、とは思うが。

 昨日来た道を逆に辿り、小窓から差し込む光に照らされた、古い廊下を進む。

 目的地に着いた僕は、その扉を開いた。

そこにあった景色に、感嘆の息を漏らした。

 聖堂は虹色の光に包まれていた。

 昨夜はわからなかったが、この聖堂には多くのステンドグラスが設けられていて、一つの光源から何色にもわたる光彩を生み出していた。

 人のいないそこは、まさに聖域然としていた。

 ここで文字通り血なまぐさいことをしてしまったことを申し訳なく思った。けれど肝心の家主、しかも神父である彼の方は、気にしていなかったなあ……。僕は神父より気遣いができる吸血鬼ってわけだ?

 彼の独特の性格を思い出しながら、講堂内を見て回った。

 僕が通れば光の道筋を途絶えてしまうことになるので、虹は黒に遮られてしまう。

 その黒を生み出しているのは他でもない僕である。

僕は黒。黒なんだなー……。

 光溢れる聖堂で、僕が影を見つめていると、先程僕が開けた扉が開いた。

 ここにいるのは僕と彼だけであるから、そう、彼だ――。

「日曜の朝だってのに、早起きだな。」

 昨日と大差ない黒いシャツを身に着け、目をしょぼしょぼさせた彼が眩しそうな顔で現れた。

 彼の方は朝が苦手らしい。

 そういえば学校でも、登校するのはだいたいぎりぎりだ。

 それが余計に彼を不良と呼ばせているのだが、彼の正体は神父だ。

 吸血鬼の僕の方が早起きで、彼は朝に弱い。

 これが笑わずにいられようか。

「朝っぱらから、何か楽しいことでもあったか?」

 言いながら、彼は扉に寄り掛かった。

「朝日でステンドグラスがきれいだなって。君はいつも、この景色を堪能しているんだね。」

 僕は笑った理由を言わなかった。けれど嘘もついていない。十字架の前で堂々と嘘をつくのも、アレだし。

「いや……?」

「?」

 彼は僕の言葉を否定した。

 というか、どうして扉の前を動かないのだろう。

「お前、きらきらしてて、きれいだよ。」

 驚いて声も出なかった。

「こんな景色は、初めてだ。」

 そう言って、彼は笑った。

 影にいるにもかかわらず、彼の笑顔は輝いて見えた。


「起こしちゃった、のかな?」

 ようやく扉を離れ、こちらに近づいてくる彼に問う。

 僕が彼のもとを離れた時、この神父はまだぐっすりと眠っていたと思うのだが。

「そうじゃない。ミサの時間だ。」

 と思ったら、随分神父らしい言葉が出てきた。

「ああ、日曜だからか。」

「司祭は毎日ミサやるけどな。」

「そうなの?大変だね。」

 じゃあ彼は、学校に行く前にもミサをやっているのだろう。

「大変じゃあないよ。俺からしたら、ミサがあることが当たり前なんだから。」

 そう言って彼は小首を傾げた。

 虹に照らされた彼は、やはり美しかった。

 照らす光が夕日でも朝日でも、彼には関係ないようだ。

 先程彼は僕をきれいだと言ってくれたが、彼ほどではないことは、一目瞭然だ。

「そっか。ミサって何するの?」

「ぶっちゃけミサらしいことはなにもしてない。」

「え。」

 そんな。

「俺一人しかいないし、合唱団もいないし、信徒も来ないし。」

「え、じゃあ何もしないの?」

「お祈りする。」

「……。」

 もはや礼典ではなく、ただのお祈りなわけね。

 まあモグリの神父がミサをやってもねえ。

 彼は聖堂にある、大きな十字架の前まで進んでくると、慣れた動作でその場に膝を折った。

 まっすぐで力強い瞳は瞼の下に隠され、首から下げた十字を両手で握りこんでいる。彼の動きはそこで止められた。

 僕はそれを、ただじっと見ていた。

 閉じられた瞼を縁どる睫は長く、虹色に輝いていた。

 息を呑む、もしくは忘れる光景だった。

 ――カミサマみたいだ。

 彼の閉ざされた眼前にあるものこそが神であるというのに、僕にはそう思えた。

 神とは彼ほど美しいものだろうか。僕は彼以上に美しい存在はないように思う。

 彼は何を思っているのだろう。

 神に祈りを捧げることで、どうしてそんなにも美しくいられるのだろう。

 僕にはさっぱりわからなかった。

 それは僕が吸血鬼だからなのだろうか。

 先程から疑問は尽きない。

 ただ茫然と、目の前の彼を見下ろしているだけなのに。

 しかし、僕の疑問はそこで進行を止めた。

 遮られたのだ。

 遮ったのは、彼だ。

「お前もお祈りするか」

 ただ一言、彼はそう言っただけだった。

 しかしその一言が、大きな破壊力だ。

 彼の言葉はいつもそうだ。

 不良と言われている癖に優しくて、神父のくせにモグリで聖職者らしからぬ。

 そんな彼の隣に、僕は歩み寄ったのだ。


 どれくらい時間が経ったかわからない。

 僕は隣で彼の立ちあがる気配で、自分もそれに倣った。

 当然こんなこと初めてで、お祈りなんて、どうしたらいいものか全然わからなかった。

 だから本当に、形だけだ。

 でもそれじゃあ、モグリで形すらままならない、この神父はどうなのか。

 僕は隣を見やった。

 彼は伸びをしながら、大きなあくびをしていた。

 僕はため息をついた。

 けれどそれが彼らしい。

 僕はそのまま、彼の眠たげな目じりに浮かぶ、透明な水滴を吸い取った。


その神父との出会いは、自分が監視されなければならない存在だということこそ実感させられたが、同時に、人とのかかわりを咎められてはいないのだと、教えられた。

 だからと言って、僕の恋慕が実を結ぶわけでは決してないが、僕はこの恋心と、前よりもうまくやっていける気がする。

 なぜなら僕には協力者がいるから。


 僕は吸血鬼だ。


 太陽の光を物ともしなくても、教会に自由に出入りできるどころか、十字架を持った神父に招かれても、聖水が何なのかわからなくても、夜に布団で寝ても、ヒーローにも何にも変身できなくても、朝日がきれいだと思っても、にんにくが効かなくても、薔薇と関係がなくても、僕は吸血鬼です。

 そして、人に恋をしていても、僕は僕。やっぱり、吸血鬼です。

 今までずっとそうでした。

 そして、これからも。


 けれど、神父を名乗る可笑しな人間には、きっともう出会うことはないだろう。


「十字君はいつまで僕に血をくれるつもりなの?」

「お前のその恋路に終わりが来るまで。」

「……。そうだね、君が死ぬまでには、この恋も終わるよ。」

「それまで、俺の血はなくならねえから、蒐場の分はたっぷりあるぜ。」

「……それは、どうも。」


 善良な吸血鬼の隣に、横暴な神父あり。

 なんてね。

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