表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

教会

「確かにお前はここ数百年は、人の血を吸っていない。けれど、」

 彼の口角が一層上がった。


「最後に血を吸ったの人間は、修道女だったろ。」


 彼の目は、きらきらしていた。


「……なるほどね。」

 僕は自虐的な可笑しさを通り越して、嬉しくなってしまった。

可笑しさの先に嬉しさがあるとは思えないけれど。

 でもほら、彼も笑っている。

「君に、君の教会の神父に、代々僕のことを伝えてきたのは、あの人がいた教会の神父だったんだね。」

 目の前の彼は、何か不思議なことを発見し、その真相を突き止めたような、無邪気な子どものような顔をしていた。

 僕は肩をすくめた。あーあ、降参だよ。

「確かに、僕は彼女の血を吸った。あの人に、彼女に恋をして、そしてその思いのたけのまま、血を吸った。そして彼女は――死んだ。」

 全部、ぜーんぶ飲んじゃったんだ。

 そりゃ死にもするだろう。

 僕は幼い神父を見つめた。

 代々に渡って監視されるわけだ。前科があるんだもの。

「今回も同じパターンだから、君は自分の血で、犠牲者が出ないようにすることを選んだわけだ。」

 神父は褒められた子どものように、顔を緩ませた。

「もし吸血鬼がまた人に恋をするようなら、その代の神父はそうするように、言われてきたんだ。」

「なるほどね。そして今の代の神父である君は、不幸にもその役目に当たってしまったんだね。」

 しかし彼は、にいと笑った。

「不幸か、それは、どうかな」

 無邪気でいて、それは凶悪だった。

 吸血鬼の僕が言うのもなんだけれど、少なくとも神父らしからぬ笑みである。

 まったくこの少年は。

それでも僕は彼のその表情にも、言葉にも驚いた。というか、狼狽えた。

 何せあの人は、彼女は、僕という存在に恐怖し、あんなにも嫌悪したのだ。

「そもそも、僕は充分に人殺しだ。君の言う、悪魔に当てはまるじゃないか」

「なぜ“退魔”ではなく“監視なのか」

 彼は、なんでもお見通し、という顔をした。

 僕は押し黙った。

「修道女の血を吸って殺してしまったお前は、その日から後悔の日々に苛まれ、以来誰の血も吸っていない。」

 彼はすごく嬉しそうだ。

「俺たちはそれを懺悔と呼ぶんじゃないか。」

 そして得意げだ。

「悔い改めた者は赦される。」

 彼は続けた。

「神様は、なんでもお見通しだぜ。」

 なんでもお見通しなのは、カミサマの方だったらしい。


 血をすする音が講堂に響く。

 いや、ここは聖堂というべきか。

「なんだ、今日は乱暴だな。」

 肌をわずかに湿らせた、この教会の主が言った。

 痛みは感じずとも、体に負担はかかる。

「……君がこんなとこに連れてくるからだろ。」

 彼の腕から顔を上げ、その顔を見ずに応える。

「別にいーじゃねえか。人目につかねえならどこだって。お前、教会だってどこだって入れるんだし。なんだ、怒ったのか?」

 息を乱した彼が、弛緩した体でだるそうに、聖堂の長椅子の一片に腰かけている。それでも楽しそうに、僕の顔を覗き込んできた。

 僕はそれをかわして彼と距離を取り、今度はその顔を見て答えた。

「怒ってはいない。ただ、この場所はさすがに、彼女を思い出す……。」

 それでも最後には俯いてしまった。

「けど、今好きなのは別のやつだろ?」

「そうだけど、そう割り切れるもんじゃない」

「ふうん?」

 やはり、彼はこの手の話には首を傾げるばかりであった。

 さすがは神父様。というより、いっそ穢れを知らない天使みたいだな。はは。

 なんで僕の方がよっぽど人間らしいんだ。

 僕は外してあったメガネをかけ、彼の横に座った。

「お前、いつからいるの?」

 彼がふと、話題を変えてそんなことを聞いてきた。

「……さあ。あんまり、覚えてないんだ。」

 好奇心で訊いてきたのだろう。その気持ちはわからないでもない。

 けれど期待にそぐえない返答で申し訳ない。僕は思わず苦笑した。

 しかし彼は、

「俺とおんなじだな。」

「え?」

 嬉しそうである。

「俺も、自分がいつからいるのか、よくわかんねえ」

「え、でも、君は普通の人間なんだから、生年月日わかるだろう?戸籍がない時代じゃあるまいし。」

 おっと、これはジェネレーションギャップだったかな。

「そおだけど。自分自身では、自分がいつから自分としているのか、よくわかんないじゃん。だから、一緒。」

 彼はそう言って笑った。

 僕は目をぱちくりさせながら、彼を見つめた。

 それからついつい、噴き出した。

「十字君は、おもしろいね。ほんと。」

「面白いこと言えなきゃ、神父の説教、みんな寝ちゃうだろ?」

「ははっ、かもね」

 楽しい。

 彼は神父だ。けれど、それとは関係なく。

十字君といると、ほんと飽きない。

「さっきの話、僕がいつ生まれたのか、神様なら知ってるのかな?」

「ったりめーだろ」

 そう言って、十字君が僕に体当たりしてきた。そしてそのまま僕に体重をかける。

 やはりまだ余韻を引きずっているのだろう。彼の言うように、確かに乱暴に啜ってしまった。

 汗がまだ残っている。僕はもたれかかる十字君の額を、制服のズボンから取り出したハンカチでぬぐった。

「お。なんだよお前、ハンカチ持ってるなんて、ジョシリョクたけーな」

 十字君がされるがままになりながら、そう茶化してくる。

「ハンカチくらい、持ってないとモテないよ」

 僕は皮肉で返す。

「そうか。憶えとく。」

 十字君はわかってるだろうに、気にする素振りを見せない。ま、実際気にしてないんだろうなあ。

「それにしても、人目がないっていうか、誰もいないじゃん……」

 僕は改めて聖堂内を見回した。

「言ったろ、表向きだって。普段は使ってねーもん。」

「いつ使うのさ」

「神のみぞ知る。」

「このエセ神父……」

 やはり、ここはどうしても、僕に彼女を思い起こさせる。

「あれ以来だ、ここに入ったのは。」

 この若き神父と出会う、ずっとずっと昔。

「彼女の教会の神父、君のところの初代の神父は、僕を憎んでいた?」

 愚問だろう。疑問形である意味がない。

 それでも神父であったから、彼らが僕を裁くことはできなかったのだろう。

「関係者には、お前を消すべきだと考えた人間もいただろうな。けどあの神父はな、」

 十字君は自分の胸元に手をやった。

「自分が神父であるにもかかわらず、一瞬でもお前を憎んでしまった自分自身を、憎んだ」

 すると布越しにある十字を、その手に握りしめた。

「そして吸血鬼の監視役を、自らに課した。」

「そうか。」

 僕も、彼の手の上から十字架を握ってみた。

「彼のクリスチャンネームは確か、」

「ああ、」


「ルカ・マリア」


 いつもならとっくに家についている頃。

 ――つまり、もう日は沈み切っていた。

 そんな中だ、彼があっさりと言いのけたのは。

「お前、今日泊っていけよな。」

「はあっ!?」

 それはさすがにいただけない。

「もう遅いし。」

「いや、まだ日が暮れたばっかだし、そんなに遅くないだろ」

 現代人は日が暮れたぐらいでは動じない。

 しかし彼は彼で、そんな現代の生活に動じない。

「いいから。」

 不機嫌そうに睨み付けられれば、僕に拒否権はない。

 僕がもう一度彼を家に招こうなどと思っている隙に、なんと彼は家に僕を泊めるなんてことを言い出した。

 人の家をちょっと尋ねるのと、泊まって一度でも寝起きを共にするのとはわけが違う。

 それを彼は僕に許してしまったのだ。

 この吸血鬼に。

 しかも彼の家はただの住宅ではない。

教会なのだ。

 吸血鬼を泊めるなんて、神父の方が例えよくても、教会の方はたまったものではないだろう。

 こうしてこの教会はその夜、吸血鬼を宿泊させなければならなくなった。

 哀れ教会。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ