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最終話

「立花、君はどういうつもり?」


 身長差から自然と見下ろすようにして私の顔を見る真久貝の表情は、陰になってわかりづらい。そして、真久貝の声にも激情は感じられなかった。淡々と、ただ問いかけただけの問いに、私は答えたほうが良いのかわからなくなる。


 先ほどまでの痛いほどの力はゆるんでいた。けれど振り払うことは許されない力で私の手首を捕らえ続ける手を、私は知らない。


「何も言わない気?立花」

「・・・何も、言わずに消えたことは謝るわ。とても良くしてくれた友人に対して、私が不誠実だった。ごめんなさい。・・・だから、私と別れてください」


 また強くなった私を捕らえる手の力は、私が痛みに顔をしかめる前に、ふっと動かされた。いきなりのこと体のバランスを崩して真久貝の体に抱き留められる。


「それは、俺が至らないせいか?立花は俺に不満があった?」

「ないわ。そんなものは、私の知る限り真久貝に抱いたことのない感情ね。不満があるとしたら、私のほう。私の問題で、だから、私は逃げたも同然なの。私は自分が卑小な存在だってあらためて実感して、怖くなっただけ」


 それが理由の大半。


 あの女生徒が転校などしてこなければ、気づくことのなかった気持ち。


 私は、頭が良かった。


 私は、(さとかった。


 私は、強かった。


 私は、特別(・・)だった。


 無縁でいられると、どうして思えたのか。


 気になどしないと、どうして思えるのか。


 忘れていたはずの、私にとって異常な色を持った人間への嫌悪が、私の中で丁寧にふさいでいたはずの、ぽっかりと空いている穴から噴出した。


 それは、止まることなく流れ続けて私を溺れさせようとする。


 そんな想いを、知りたくはなかった。


「帰って。早く、私の目の前から消えて。お願いだから」


 積み重ねてきた自負が。


 塗り重ねてきた私という虚像が。


 崩壊し剥がれ落ちたあとに残るものなんて、私の中には何もなくなる。


「嫌だ」


 真久貝の、そのたった一言で力が抜ける。いつも無自覚に、ときに意識的に張っている虚勢が緩んだら、見苦しい自分の出来上がり。


 足に力が入らなくなって、崩れ落ちるようにその場にへたり込む私を、真久貝は力強く抱きしめてきた。


 私は、弱くなってしまった。どうしようもないほど、弱くなった。


 どうして、この世界は私に都合よく動いてくれないのだろう、と思ってしまうほどにわがままになった。理不尽で、理解できないままに回っているのが世界だと、真久貝と出会う前にはずっとそう思っていたのに。


 私の求める世界はどこにもない。どれだけ求めても、この世界は私の世界を認めてくれない。神様でもない私の願いで、世界は何も変わらない。


 私の求める世界は、私の中にしかない。私の中にしかないものは、現実には存在しない。だから、それが壊れてしまえば、その現実にはない世界に縋って、1人生きる私は壊れてしまう。


 なのに。


 1人は嫌だ。


 幸せになりたい。


 そう、望むようになったのはいつだろう。


 気味が悪い、と線を引くから1人でいい。それを差別と呼ばれても、心穏やかに過ごせるなら、喜んで不幸だって受け入れよう。そう、割り切っていた私は、どこへ消えたのか。


「立花、何が怖いの?何を恐れてる?」


 弱音なんて、吐きたくないのに。


 真久貝は、どうして私を構うのだろう。こんなにも、優しく、激しく。


 私には、何もないのに。


 何もない、はずなのに。


「・・・くなる、こと」


 真久貝を、自分のものだと思っている自分が浅ましくて、怖かった。


 自分ではない他人ひとを、自分のものだと思えるほど、私はおごりはじめていた。


 それは、正しく恐怖である。


 私の意思に反して、私が揺らぐことがある。真久貝の意思ひとつで、私は私を失ってしまう。真久貝が、私の奥深くの大切な場所にいることを知れば知るほど、私は恐怖した。


 何もない私が、失うものはなかった。


 私が何かを得てしまえば、それは失うものになる。


「いなくなること。真久貝が、私の前から」


 だから、逃げた。


 世界の崩壊を恐れるのと同じように。


 失うことが恐怖なら、自分から切り捨ててしまえばいい、と。


 願いと行動の結果、生まれたのがこの滑稽な現状だ。


 真久貝に、心からの信頼とり所を見出したのはいつだろう。


 気づいたときにはもう、真久貝は私の一番近くにいて、当たり前みたいに私に優しさを与え、愛情を示してくれた。私はそれを、享受しかしてなかったのに、真久貝は私から離れていかなかった。


 それは、理解できないことだったけれど、不思議と真久貝を気味悪く思う理由にはならなかった。


 享受し続けた愛情は、やがて私の中におごりと恐怖を生み出した。


 生み出されたものは、私が自覚するほど育っている、と気づいたときから、私はどうするべきかを考え続けてきた。


 あの女生徒は、迷い続けていた私の引き金になったのだ。


 真久貝は私のものではないと私に突きつける引き金に。


 思いながらもずっと実行できなかった真久貝から離れるための引き金に。


「俺は立花の前から消えないよ。少なくとも、何も言わずに消えたりしない。置き去りにされた方の気持ちが痛いほどわかるからね。・・・立花、君は俺が傷つくとは思わなかった?君と同じように、立花がいなくなることが俺にとっての恐怖だとは考えなかった?」

「・・・・・・」


 胸元に押し付けるように抱きしめてくれていた腕を緩めて、目を合わせて向けられた質問に、言葉がつまる。


「どうして立花は、立花が俺を傷つけられる存在だって自信を持てないの?立花が俺にとって大切な人だと自覚してくれないの?」

自惚うぬぼれて、呆れられたくない」

「それは誰に?不特定多数の人間か、俺か」

「真久貝、に」

「俺は、立花にとって俺が大切な人で、ときには誰よりも立花を傷つけられる存在だと自負してきた。そんな俺を、立花は笑うの?」


 ふるふる、と否定のために首を横に振ると、真久貝は当然だと笑った。


「立花と俺の今の関係は、なし崩しに始まったようなものだったかもしれない。でも、俺は告白するより前に立花のことが好きだったし、立花がなし崩しでも告白を受け入れたってことは関係の基礎はできてたってことじゃないのか?それから、10年一緒に居たんだ。お互いにとってお互いが大切な、失いたくない存在になるのに不思議な月日ではないだろう?立花は、自惚れていいんだよ」


 いいのだろうか。


 弱くなっても。


 それでも、生きていけるのだろうか。


 物事をただ受け入れてきた。幸福も不幸も、り分けることなく受け入れて、壁一枚隔てた先の出来事として、そのまま放置して生きてきた。


 享受するばかりだった私は、その優しさも愛情も与えられるばかりで、私から返すことも求めることもしなかった。やがて、与えられることを当然と思い始めてもそれは変わらなかった。


 そんな私の有様ありようは、与えられることが当然ではないからこそ意味があったのに。


 与えられなくなっても平気。もともと、求めていないから。


 嫌われたって平気。もともと、好かれたいなんて思ってない。


 独りだって平気。だって、そのほうが楽だもの。


 物心ついた時から、それが私の信条で、そうやってずっと生きてきた。世界にそっぽを向いて、どんな気味の悪さにも口をつぐんで生きてきた。


 常識を共有できない私に味方なんていなかったから、それをはねのけて強くあろうとした。


 順応してしまえれば楽なのに、変にかたくなな私の感性は、いまもその違和感をぬぐえない。


 真久貝と出会ってからはゆっくりと慣れ始めていたはずなのに、あの女生徒の存在でまた昔の私に戻ってしまった。


「私、真久貝の髪の色が怖いの」

「うん」


 口からこぼれ落ちた唐突な私の言葉に、真久貝は怪訝けげんそうな顔をしなかった。ただ、真剣に私の言葉に耳を傾けてくれている。


「青だけじゃなくて、緑とか、真っ赤とか、ピンクとかそういう色を持つ人が怖いの」

「うん」


 太った人が嫌いとか、辛いものが苦手とか、夜にトイレに行くのが怖いとか、きっとそんなのと同じもの。


 理由なんて曖昧で根拠もない子供じみたもの。


 自分の中ではそれが当たり前で、変えようがない。昔の人がふくよかな人を美人と感じるのと同じこと。


 それが、常識というものなのだ。なのに、


「なのに、誰も気にしてない。みんな、当たり前みたいに受け入れて・・・私は、それが怖い」


 でも常識だからこそ、私はどうすればいいのかわからない。慣れることも、克服することもできないままで、避けて、やり過ごして生きてきた。


 真久貝は、そんな怖さを持ちながらそれを上回る好意を私の中に芽吹めぶかせた。


「でもね、真久貝のこと今も変わらずに好き。こんなに人を好きになること、きっと一生ないって言える。だけど、私は真久貝の色を許容できない。もし、子供ができたとしても、その子が真久貝と同じ色を持っていたとしたら、私はその子を愛せないかもしれない。だから、私と真久貝の関係に先はないよ」


 真久貝には、正しい家族が必要なのだ。


 正しい家に生まれ、育ち、正しく生きていくことを誰からも望まれている。


 それは、きっと本人も望んでいることで、真久貝は言外げんがいに私を求めてくれたことは何度もあった。


 けれど、最初からこの世界で不完全な人間として存在し、家族ではなく数人の大人と沢山の子供たちというコミュニティで育った私が、正しい家族の一員になれるとは思えない。


 理解できないことは怖い。


 間違えることは嫌い。


 その前に、逃げて、すべてに耳と目をふさげば楽なのだと、物心ついたときにはすでに実行していた。


「・・・俺の、嫌いなものを教えてあげる。好きだって何度言っても、いつまでたっても自惚うぬぼれてくれないどころか、目の前からすたこらさっさと黙って逃げ出すような人」


 一世一代の私の告白に、真久貝はそんな言葉を返してきた。


「自負と能力へのプライドは高いのに、自分にどこまでも自信を持ってくれない人」


 真久貝の言葉は続く。私は、相槌あいづちも返せずに聞いているしかない。確実に、真久貝は私のことを言っている。


「言葉は少ないし、たまに付き合ってる男に対して無神経な言動するし、なのに生徒も真っ青な交際してる俺の理性を崩壊させようとする残酷な俺をあおる言葉をくれる人」


 私がそんな発言をしたことはあっただろうか?


 口にしようとした言葉は、墓穴を掘りそうな予感がして浮かんだだけで終わらせた。今日はきちんと作動していたらしい危機感が警鐘けいしょうを鳴らしている気がするのだ。なんだかもう、現状では意味がないけれど。


「強いふりして弱音なんて全然吐いてくれなくて、思ってることも教えてくれない薄情な人」


 情が薄いことは自覚しているが、心内をさらけ出すことが、薄情になる意味がよくわからない。そういえば、凪子にも似たようなことを言われたな、といっぱいいっぱいになっていく頭が思考を拡散させていく。


「自分の欠点とか一点の染みすらも、許せないことだって思ってる完璧主義者」


 その評価が意外で、思わず首をかしげる。


 真久貝は首をかしげた私を見て、困ったように笑った。


「なのに、そのことに気づいてない不器用な人。でもね、立花。そんな立花を含めても、俺は立花が好きだ。愛してるし、これからもずっと一緒に居たい。離れるなんて許せない。立花の俺を許容できない点については立花が変われなくても、例えば髪の色くらいなら何色にだって染めてもいい。それに、俺の髪が青だからって、立花は俺に苛立ったりしないだろう?」


 こくり、と私はうなずく。気味が悪いのは怖いから。けれど、それ自体は腹立はらだたしい不快感を持ちえない。


「立花は、怒ったり悲しんだり喜んだりっていう感情が希薄なんだよ。対して俺は、そんな立花と付き合って、しょっちゅう怒ったり悲しんだり喜んだりしてる。俺を受け入れてくれない立花に苛立ったことは数えきれないくらいだ」


 時たま見せる、不機嫌なのかもしれない、諦めとも呆れとも溜息、急に上機嫌になって私を甘やかすといった姿。そんな真久貝を私とは違うまっとうで普通の人間だ、と私も評価している。


「なんでもっと俺に素直になってくれないのか、どうして同じように愛してくれないのかなんて不合理なことに苛立ったよ。想いのベクトルがぴったり一致しないなんて、よくあることなのに」


 顔に小さな笑みを浮かべながらも、その言葉には皮肉の色があった。けれど、その顔と声がふっと変わる。


「けど、どんなに苛立っても、振り回されても俺は立花が俺を愛するより立花を愛している自信がある。たぶん、立花が立花を大切にしているより、立花を大切にしたいとも思ってる」


 真っ直ぐと怖いくらいに真剣に、私を見つめたまま真久貝がどこか熱を持った言葉で言った。


「俺と結婚しよう、立花。誰よりも立花を愛して、大切にする。だから、絶対に離さない」


 真久貝は、再び私を抱きしめる腕に力を込めた。


 腕に込められた力が、まるで二度と私を逃がさないといっているように思えた。


 不安は、確かにある。


 怖さも。


 でも、わきあがってきた想いが、積み上げ、塗り固めていたすべてを超えて、


「一緒に居たい」


 私の口が、本当の言葉をつむいだ。


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