第一話
若干、乙女ゲーム要素があります。
これはもともと乙女ゲーム傍観者系のお話にしようかな、と考えていた名残です。
その要素が書いていくにつれて消えていってしまったので全体を通して無理やりな感もありますが、読んでいただけたら幸いです。
脳裏にちらつく、私の生徒だった少女。
よく手入れされて腰まで延ばされたピンク色の髪と空色の瞳を持つ、整った容姿の少女。
私が、すべてを手放す原因となった少女。
まるで乙女ゲームの主人公のような彼女は私の人生に突如として現れ、そして、これからはもう二度と交わることもないだろう。
(そういえば、私の人生で乙女ゲームなるものの存在を知ったのはいつだったか)
取り留めもなく、閑散とした電車の中で、座席の上に置いた全ての荷物が収まっている段ボールを押さえながら思い返す。
そう、あれは確か大学出たての新任だったころだ。数学教師としての採用だったが、副専攻でとった国語と英語の免許を理由に文芸部となぜか美術部の顧問を任じられていたときに生徒達がよく喋っていた。
学校にゲームをもってくることは禁止していたから生徒達が教師の目の前で実物を取りだすことはなかったが、普段は大人しい彼女たちが興奮気味に話す内容を漏れ聞くうちに、どんな内容のものかは推察できた。
ゲームの主人公たる少女は不特定多数の男性と恋人未満の関係を築くことができ、その中の一人と最終的に結ばれれば成功であるらしい。
少しだけ腐女子というものが入った彼女たちのガールストークの最たる被害者は、女子の多い部員のなかで、美術部唯一の男子部員だった生徒だろう。
男と男の掛算に勤しむ女子部員の中で最初は居心地悪そうに顔を赤らめていたのが、3ヶ月もする頃にはどんなネタを振られても微笑を浮かべて話題をかわすようになっていた。
正月に律儀に届いた年賀状は、素人目にも新進気鋭のデザイナーとして活躍するにふさわしい際立ったセンスだった。正直、そんなに力を入れてどうするとも思ったが、仕事先にも送るとしたらいい宣伝なるのだろう。
顧問としては傍観しているだけで、当時は正直ほんのちょっと、5ミリくらい申し訳ないとも思ったものだが、精神的な図太さを身につけられたのならなによりである。
私個人は男同士だろうと女同士だろうと、禁断だろうと、想像上の人間とだろうと好き合っている相手ならばそれでいいと考えている。それは、育った環境や体験したこと、学んできたことに起因する。
なかでも一番の経験は自費負担無しをもぎとった留学中に、いつの間にか付き合っていることになっていた男子学生を何故付き合っていることになっているのかと考えていた最中に、いわゆるゲイの男子学生に奪われたらしいというのを名前も知らない学生に皮肉られてから気づいたときだ。
付き合っていたことに気づいたのも奪われたらしい後なら、奪われたことを知ったのも同時のタイミングである。つまり、出歯亀や野次馬は世界共通と言うことだろう。男に男を奪われたアジア人(黄色人種)の心情を聞きたかったらしい。協力はできなかったが。
とりあえず、いつの間にか始まって終わっていた出来事に私としては珍しく、凄く驚いたあとゲイの男子学生に畏敬の念を抱いたものだ。よくわからないうちに収拾していた事態だったので驚きはあっても衝撃はなかった。
男女同権、少数派にも偏見や差別の無い世界を目指す、と世界中で叫ばれていても男を男に取られた女はプライドがズタボロになるだろう。女を女に取られる男の気持ちは、女の私にはよく分からないけれど。
男同士で子供なんて生まれない、となじりたくなる女だっているだろう。医学と生命倫理が大幅に進展すれば変わるかもしれないが。
おや、私はなぜ男同士のあれこれについて考えているのだろうか。思考が散漫になると、考えていたはずのことが遠くに行ってしまう。
いま、思えば。
あの女生徒の存在にホッとしていたところが、あったのかもしれない。
ああやっぱり。
この世界は、ゲームという非現実なのかもしれない。と。
漠然と、この世界はゲームのようだ、という違和感を持ったのはまだ年端もいかない頃だったと思う。
最初に感じたのは気味の悪さ。
黒髪同士の純日本人の間に平然と水色やピンクの髪を持った子供が誕生する。
世界が狂っているのか自分の頭がおかしくなってしまったのか分からないまま、世界がそれを受け入れているのなら、無力な子供だった私はそれを受け入れるしかなかった。
ありえない色を持った人間に親しみを持って関わることができず、また黒髪の人間であってもあり得ない色を持った人間と平然と関わることを理解できなかった。そうして、受け入れながら区別し差別していた私は当然ながら周囲から浮き、嫌われた。
誰かを嫌うならば誰かに嫌われて当然。誰かを差別するなら誰かに差別されて当然。
因果応報という言葉が、私の信条になっていた。
自分の価値観と照らし合わせて心地よくないもの、美意識に合わないもの、理解できないもの、よくわからないものを排除していった結果に付随するものが差別だとしたら、心地よく生きるために差別とはあるのではないかと思うのだ。
もちろん、差別と差別対象に対する実害や態度は別になる。
私は差別していても、無視したり、罵倒したり、否定したりは決してしなかった。
それは教えられる道徳心とは別に、私のほうが異常であり不利なのだという自覚と打算もあったが、それ以上に、そう感じる私を否定されて矯正されることを恐れていた面もある。
幼い頃の私は、この感性を否定され矯正された瞬間に、私の世界は崩壊すると強迫観念に染まっていた。この想いは今も、私の中に息づいている。
だから、努めて静かに、理解できない存在として常に警戒し距離をとり続けた。
数学教師になったのは、数字は私のなかでなぜだか不変の印象があったからだ。けれど理科系、特に生物は怖くて関わることもできなかったけれど。
国語は所詮、架空の物語だと思えば、空想の世界に逃げるのに最適だった。
英語は、必要に迫られて。社会的弱者の私が1人立つには、スキルが必須だと思ったから。
理系よりも文系のほうが学費が安かったのと、奨学金枠が多さから私大の教育学部に進んだ。国公立大と迷ったが、同じレベルの大学で同じ枠を争うなら設備の充実している私大をとった。
大企業がスポンサーになっているおかげで、選り好みしなければ教育学部であっても一般企業への就職にも有利な一面に惹かれたのもある。もちろん資本主義の現代では、世間知らずでいられないので、大学では専門的なことだけでなく最低限社会人スキルを事前に身につける講座も行われていた。
なにより、寮が充実していて1人1部屋で、基本的な家電などはすべて込み。特待生の場合、光熱費や電気代、水道代以外はタダだった。
ただし、少し古い建物らしく、各部屋トイレ・風呂つきではなかったし(各階にトイレと一階に大浴場)、デザインもシンプルと言うよりは無骨で野暮ったい。
多くの学生は寮ではなくアパートなどを借りて一人暮らしをしていた。
なので問題なく入寮できた。その事実を確認したときには、合格や奨学金生になれたことを知ったとき以上にホッとした。
問題は、我が母校の大学の同期生であり、すでに過去形の同僚でもあり、ついでになぜか恋人でもあるらしい男のことである。
ついでに言うと、その恋人とは留学前から付き合っているらしくゲイカップル誕生のちょっと前に、私は二股なるものをしたことになっているのである。どちらとも付き合っている自覚が綺麗さっぱり1ミリほどすらなかったのだが。
その男は真久貝といい、学部は経済学部の経営専攻。教員試験に一発合格し、一般企業からも数々の内定をもぎ取りながらこの私立学校の教職に就いたのは学校を運営するとある大企業の経営者一族の親戚だからだろう。
ゆくゆくは学校の運営に関わっていくであろう未来が想像にかたくない。
完全に縁故採用だと思われそうなヤツの名誉のために、しぶしぶ追記することがあるとすれば、在学時は学部で1人しか選ばれない成績優秀者に何度か選ばれていたし(就職活動で忙しかった頃は、院に進む学生にその座を明け渡したりしていた)、採用試験の成績も文句無し。
なにより、ヤツ自身がこの学校出身なのだ。それも、付属幼稚園から大学までの筋金入りである。
縁故だと誹られるのは、たぶん私のほうである。真久貝の口利きもあって採用試験を受けてみようか、と思ったのだから。
伝統もある私立の進学校として関東一円では名が知られ、少子化の時勢には珍しく定員割れとは無縁であるし、大学も同様である。
学費は一般家庭には厳しいと言うのに、だ。その分の奨学金も充実はしているものの、享受できる人間は一握りである(成績優秀者に贈られる奨学金を、ヤツは毎回毎回辞退して枠から外れた学生に毎度毎度譲っていた)。
そして、ヤツの髪は青かった。
とてもとても青かった。
そんな珍妙な(周囲にとってはごく普通だが)髪を持つヤツが大学の教育心理学講座で隣に座れば、距離をとるのは当然のことだ。いくら、容貌が整っていたとしても。
思い返せばそれが、あの女生徒ともに私に今の選択をさせた男との付き合いの始まりだった。