響鈴と滅安
『蛭』。
中二になって、そのグループに入った。
メンバーの大半が高校生のグループだったから、いくら喧嘩ができても下っ端のままだった。リーダーに勝つ自信すらあったというのに。
夜間の暴走などもない、どちらかというと健全なグループだった。罪状を上げるなら、傷害罪くらいしか上がらないだろう。
そんな風に大人しくしていたのに、ふらりと終焉はやって来た。
「手前ェら、人の領地で楽しそうじゃねーか」
嘲笑う、紅。
近かった男を沈めて、歩を詰める。
「何だ……! 名乗れやァ! ガキがぁあっ!」
ドコの者なのかはすぐにわかった。
香坂学園の、中等部の制服。
紅は名乗らない。
ただ嘲って、ゆったりとした足取りで近づく。
「チッ……かかれェッ!」
リーダーと幹部を残し、ほとんど全員がかかる。
それをどこか客観的に見ていたからか、動けなかった。
恐怖した。紅に恐怖した。
最初の一撃が目に映らなかったのだ。あれほど、近くにいたのに。
ダメだっ……!
最後までそこにいることは、できなかった。
気づけば足は動いていた。その場から離れようと。
グループに愛着なんてなかった。だから、悲しみも何も、感じなかった。
蛭が壊滅した翌日。久しぶりに、学校へ行った。
息の詰まる教室には行けなかった。担任に顔を出して、出席にしてもらう。話のわかる奴だ。
「髪、黒くなってんじゃねーか」
「偉いっしょ。褒めてよ」
赤かった髪を元に戻したのは、昨日誰もいない家に帰ったとき。
あの色が本当に怖かった。自分の髪色でもあの紅に被って、あのときの恐怖が滲み出てきた。
「どーいった心境の変化だ? らしくねぇ」
これも聞いただけなら、教師らしくない奴だと思うだろう。だけど本当は、カウンセラーの資格も持っていることを知っている。
何があったのかと、問うてくれているのだ。
「……別にぃ」
「……そーか。お前は偉い」
褒めてくれなど、冗談だったのに。どうでもいいことを装って、優しく褒めてくれた。
「……屋上行って来やーっす」
それが嬉しくて、頬が緩んだのは内緒の話。
生憎の曇り空。今にも雨が降りそうだ。
「圭介」
そんな空にも怯まずに、堂々と寝そべっていた。騒がしさに顔を向けると、仲間の井山琴也がそこにいた。
「コトヤンじゃねーか。どした」
「どしたじゃねーよ。コトヤン言うな」
拗ねたように眉を寄せる琴也は、蛭の前に属していた『蛟』の幹部。昇格を一番に祝ってくれた。
「蛭がやられたって? 全員病院行きだって」
グループ同士の連結は意外としっかりしている。だからグループの異変は回りやすい情報のひとつだ。
「そーかぃ。俺は全然無事だけどな」
「軽っ。じゃなくてなんでだよ。何がどうなってんだよ」
何かと制限の多い不良世界で、蛭は大分上のグループだった。それが突然潰されたのだから、慌てるのも当たり前だろう。
「……香坂の紅に気をつけろ。格の違う相手だ」
「香坂だァ? 何ボンボンにビビってんだよ」
当然の反応だ。超有名校にそんな不良がいるとは普通思わない。
「アレを見たら誰だってヒクぜ?」
昨日の話をしたら琴也は押し黙った。にわかには信じがたい話だからだ。
「……圭介、これからどうすんだ?」
抽象的な問いの意味は、今後のみの振り方についてだ。無所属で不良やってられるほど、世間は甘くない。
「んー……紹介もねぇから上のグループにゃあ入れねーし……天下んのもまっぴらごめんだしなぁ」
一度は蛟を卒業した身だ。古巣とはいえ、戻りたいとは思わない。
方法としては、メンバーの退院を待ち再編の波に乗るというものがある。しかし、退院までの数ヶ月大人しくしているなんて柄じゃない。
「なぁ、琴也。俺に賭けてみる気はねーか?」
大きな志を抱いて立つ輩は跡を絶たない。けれどそのほとんど全てが、夢破れて消えていく。
だからこれは、賭なのだ。
「野暮ったいこと言うなよ、相棒」
二人の出会いは小五の終わりまで遡る。
雨が一滴、屋上を濡らした。
メンバーは同中からも集めた。昔同じグループだった野郎にも声を掛けたら、意外と集まった。
危ない橋だとわかっているのだろうか。新興グループは狙われやすいというのに。
「まぁ大丈夫だろ。圭介は喧嘩バ……強いから」
「今明らかに『喧嘩バカ』っつったよな。誤魔化せるミスじゃなかったぞ?」
高校生とも張り合える。だから、皆期待してくれているらしい。
「気合い、いれるかぁ――『蝙』」
グループ名は蝙に決めた。夜に飛ぶ生物――ムシなんかよりずっと強い。
「最初はどこ相手にする? この地区なら『蝟』。周辺地区なら『橘』、『棺』、『豺』……辺りかな」
「この地区はしばらく放置かなぁ。縁故があるトコは、ねぇ」
縄張り意識などはあまりない。強いて言うなら自分の周りが自分の領域だ。
「近いのはどれだ?」
「言った順だよ」
自分の領域を荒らす輩は許さない。けれど他人の領域を荒らすのは、オールオッケー。
「――まず手始めに『橘』だ! 召集かけろ!」
相手方の規模は気にしない。こちらの数が揃わなくても気にしない。
勝った方が、当たり前の如く勝者。
時間は黄昏時を選んだ。向こうのメンバーも揃っていないと踏んだのだ。
「やっぱ大将を早めに潰したいねぇ……。琴也ぁ、なんとか大将引っ張り出してよ」
多人数を相手にする際、強い奴を早めに潰すのは常識に近い。体力を消耗する前に厄介な者を消しておくのだ。
「おけ。一対一でいいね?」
「当然」
琴也の話術は大したものだ。人を纏める能力に秀でているのだろう。
「――『橘』って、ここ?」
丁度その場にいた、あまり柄のよろしくない輩に問う。
「あぁ? ンだよ手前ェは」
不良睨みがすごく様になっているその輩にも、琴也は怯まない。
「聞いてるのはこっちだぜ?」
低い声で相手を脅す。更に言い返そうとした輩。その髪を掴む。
「ひっ……」
「さっさと答えろ!」
髪を掴めば人は動けない。それを知った上で、琴也はそうしている。
「あっちだ! 早く離せ!」
恐怖に押されて簡単に白状してしまう。払い除けようとする手を琴也は易々と避けた。
「態度最悪」
避けた上で、輩の顔面を殴りつけた。一瞬で、沈む。
「行こっか。圭ちゃん」
笑う琴也に、感嘆を含んだため息を吐く。
「穏便にな、琴也。とりあえず最初は」
血の気の多さはお互いさま。
不良グループに穏便なんて似合わないのだから。
「オイ、大将いるか?」
冷たい、笑みを浮かべて進む。空気の冷えた路地。そこにチラホラ見える、煙草の火。それに問えば、火が動く。
「話のわかる奴で助かるよ」
火に続くのは琴也。距離を置いて、メンバーが続く。
「お前ら、どこのもんだ」
「オレらは『蝙』だよ?」
静かに問われ、軽く返す。火は少し振り返って、ゆっくりと止まった。
「立花。お客だよ」
行き着いた先。ゆったりとゲームに耽る金髪が目に入った。
「……立花」
反応はない。指先が小刻みに動いているから意識はあるのだろうが。
「……敦」
反応はない。目が開いているから眠ってはいないだろうが。
「……あっちゃん」
「だぁぁぁうっさい!」
ついに反応した、大将立花。ゲームが地面に叩きつけられ、無惨にも砕け散った。
「……客だけど」
「はぁ? 客ぅ?」
かなり苛々しているらしい。目が据わっている。
「『橘』大将! 圭介が喧嘩売ってんよー」
軽く、親指で指し示す。苛々が向きを変えた。
「どこのどいつだクソ野郎! いい度胸してんじゃねーか! アァ?」
あっという間に乗せられて、いきなり喧嘩腰になる敦。琴也の勝ち誇った表情が印象に残った。
「ナイス琴也……。『蝙』リーダーの大橋圭介だ!」
大将同士がぶつかるとなれば、大抵メンバーは手を出さなくなる。それが、暗黙のうちの了解だ。
敦が素早くナックルを装備する。瞬間敦はステップを踏んで距離を詰めた。
「シッ!」
拳が圭介の頬を掠めた。勢いで前のめりになることはない。足をひねる。
キュッ、と靴と地面が擦れて鳴いた。
詰まった距離を生かす。左の拳で脇腹を狙われた。
「ぅおっ!」
右脇腹を左腕でかばう。それに慌てて身体を回す。
足首を突っ張る。踏み留まった。繰り出す掌。一歩下がって躱される。
だけどそんなことも予想済み。
「らぁぁぁ!」
間を開けず左足を振り上げる。今度は避けられなかった。
敦は威力を殺しきれず後ろに崩れる。
「立花!」
「っ!」
大したダメージにはなっていない。なのに。
「圭介下がれ!」
聞こえた琴也の声。
視界に入った先の煙草野郎。
それが合図になった。
「逃がすなぁぁっ!」
周りで見ていた『橘』のメンバーが動く。それに応じて『蝙』も動いた。
「誰が逃げっかぁ!」
血の気が多いのはお互いさまだ。次の瞬間にはもう、乱闘が始まっていた。
「……『橘』のタチバナアツシね。首洗って待っといで」
向かってくる『橘』を沈めて、一瞬目を向ける。
その一瞬に、視線がかち合った。
それが出会い。最初から勝負なんてついてない。
いつだって邪魔が入る。メンバーが邪魔をすることはなくなったけれど。
他のグループが割り込んでくることがほとんど。妙な仲間意識まで生まれてきそうだった。
乱闘になり散ったメンバーは放っておいて、家に帰った。家には誰もいない。家政婦のおばちゃんが昼頃に来る程度。
「髪……直すか」
小言を言う人なんていない。だから、やりたい放題できる。
適当に赤のカラーを済ませた。こんなん、適当にやってこそだと思う。
赤茶になった髪を眺めて、軽くため息を吐いた。
「強かったなぁ……アイツ……」
軽く手を合わせただけだったけれど、ある程度の力量はわかった。
気分が高揚する。
もう、紅の瞳に対する恐怖は消え去っていた。