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石段の上  作者: 野狐
1/3

その一




 四至本修史ししもと しゅうし

 その名前の全ての文字に不吉を意味する「し」という文字が入るが、彼はそれを不吉だなどと思ってはいない。それどころか四至本という珍しい苗字は嫌いではなかったし、“シュウジ”ではなく“シュウシ”なのは他とは少し違う感じで気に入っていた。

 なぜ自分の名前は、こんなに「死」に付きまとわれているのか?彼は過去に一度、自分にこんな名前を付けた父親にそう聞いたことがあるが(名付けたのは父親だった)、父親は吐き気がするような強い酒をチビチビと啜りながら頬を赤らめて上機嫌に答えた。

「死だって?馬鹿を言えよ。お前に付きまとってるのは幸福だろう?お前の名前は“しあわせ”なんだぞ」

 くだらない冗談に修史は心安らぎ、全ての疑問が吹っ飛び、それ以来自分の名前はなんて幸せなんだろう、とそう思うようになった。交通事故に、それも過失なしの一方的な事故に三度あったが、彼はほぼ無傷で助かったし、小学生のとき、それまでの友人たちに泣く泣くさよならを告げて田舎へと転校して行ったおかげで、それから三十を迎える今年までずっと親友であり続ける男、平岡トオヤと出会えることが出来たのだ。彼の誕生日は十月八日。だからトオ、ヤ。彼はそんな理由もあって修史の名前をよく羨ましがった。

 トオヤの家はこの田舎町に古くからある家で、彼の祖母は地元ではちょっとした有名人だった。良い噂、悪い噂、両方含めての話だが、少なくとも修史もトオヤもお婆さんのことを好いていたし、悪い噂にあるような、例えばお婆さんが古い儀式を行っている、というようなものは、子供たちにとってはむしろお婆さんに興味を持つ理由のひとつに過ぎなかった。

「お婆さんに弟子入りする」

 ほとんど真剣な表情で言うのを、修史は「頑張れよ!」とよく茶化したものだった。

 人が何を信じて何を信じないか、それはそれぞれ個人の自由だ。それは自分の名前なのか、お婆さんの古い儀式なのか・・・ただ言えることは、それを心から信じていなければならないということ。何故ならそれらはそのほとんどが単なる思い込みなのだから。



「何でまたこんな時期に同窓会をやろうって・・・誰が決めたんだよなぁ?」助手席の修史は走る自動車の窓から外を眺めてぼんやりと言った。

 よく晴れた日で風も穏やかだった。十一月に入り、少しずつ葉を落とし始めているものの、紅葉に萌える木々は鮮やかで美しかった。落葉が道路を薄っすらと埋めて車の轍が出来ている。少しだけ傾いた太陽の、その黄色味を帯びた陽光が落葉に反射して、赤黄色をより鮮明に染め上げている。十一月の冬の訪れを思わせる霞がかった日の光だ。

「塚原だよ」自動車を運転しているトオヤが不意に言った。「塚原吉成、覚えてるだろ?あいつが呼びかけたんだ。政府が祝日を勝手に動かして決めたシルバーウィーク。年末はどいつも忙しくなるだろうし、おあつらえ向きじゃないかって。それより修史よ、いつまでこっちにいられるんだ?仕事、よく休み取れたな」

 修史はトオヤを横目で見て少しだけ笑った。それから窓枠に肘を乗せて再び外を眺めた。

「まあな、有休も使ってな。おかげさまで年末年始は・・・多分帰ってこられないだろうな。でもいいや、みんなに会うのは久しぶりだし・・・みんな来るんだろ?」

 トオヤは前方を見たままでうなずいた。

「平田とケンジ以外は大抵来るみたいだな。あいつらは仕事だって。どいつもこいつも地元に戻ってきてるよ」

「お前もだけどな」修史はそっと付け足した。

「あぁ、その通りだ」トオヤは小さな声でポツリと答えた。

 二人の乗る五十二年のフォルクスワーゲンは地面の凹凸に対して正直な揺れを二人に伝えながら走った。彼らは川向こうの市道を進んでいた。決して大きな道ではないが信号がなく、地元の人間のみが知る、言わば秘密の抜け道みたいなものだ。

「ってか、お前まだこの車乗ってるんだな」修史は言って、その堅い黄土色のシートを楽しむように座りなおす。指で触れると冷たく、幅も狭い。「これって確かおじさんの?」

 トオヤは表情を変えず、ちらりと修史を見やる。トオヤは昔からこの表情をする。無表情なのだが、それは自分は間違っていないという意志の表れでもある。つまりトオヤはこの古い、グリーンのワーゲンに乗っていることに自信を持っている・・・ということだ。

「古いな、確かに古い」トオヤは言った。「けどまだ走る。親父にもらったやつだけど・・・ずっとコイツに乗っていたらもう降りられないな。安全だぜ、実際に。俺が保障するさ。とにかく俺はコイツが走らなくなるまではコイツでいくつもりだな」

「そうか」修史はうなずいた。

「お前は?」

「俺?」言って修史は少しだけ自慢げにはにかんだ。「この間買ってよ、車。日産のセレナ、来週納車するんだ。オーロラムーヴって色・・・まぁ紫色よ」

 修史は期待していたが、トオヤは微塵も笑わなかった。それどころか表情は変わらず、それはむしろ蔑んでいるようにさえ見える。

「セレナって、そんなでかい車でどうするんだ?それに紫って・・・相変わらず趣味が悪いなお前は」

 そんなトオヤの冷たい視線を睨むようにして見返した修史は、コブシを軽く握ってトオヤの肩を軽く小突いた。

「うるせぇよ。いずれ結婚するんだよ俺は。そうなったときの為に必要だろうが」修史は言った。「俺たちは今年もう三十だぜ?あっという間よ。そろそろだって、そうだろう?」

「そうかそうか。そうだろうな」言ってトオヤは笑った。

 修史もまたトオヤの顔を見て笑った。

 エアコンもない。オーディオもない。ラジオはここでは砂嵐専門チャンネル。窓は手動。四速のミッション。もちろんナビもない。そんなフォルクスワーゲンの中は沈黙した。二人とも喋らず、トオヤは運転して、修史は肩肘付いて外を眺めているばかり。しかしながらそれでよかった。昔から・・・こんなものだ。

 他に走る車もない。人も歩いていない。時おり駆け抜ける風が落ち葉を散らかして、そして再びしんと止む。暖かい日だったが少しだけ寒い。少しだけ眠たい。修史はほとんど夢想にふけりながら様々に思い描いた。長い間会っていない旧友たちの変わった姿。あの子は可愛かったなぁ。結婚して子供が生まれたと聞いたけど、太っておばさんになってたりはしないか。それに、それに・・・

 その時だった。

「止めろ!」

 突然修史は声を上げた。驚いたトオヤは急ブレーキを踏んだが、ワーゲンは散らばった落ち葉に足を取られて横滑りした。必死で立て直すトオヤと、シートベルトにしがみつく修史。彼らを乗せた安全性が保障されたワーゲンは道路に垂直の姿勢のまま落葉の絨毯の上を数メートル流された後でようやく止まった。エンストを起こしてエンジンが止まり、車内にカン、カーン、カン、と小さく金属を打つ音が響く。二人は前を向いたまま硬いシートに背中を押し付けて息を呑んだ。

 強く冷たい風が吹き抜け、フォルクスワーゲンが乱した落葉の道を掃除して過ぎ去った。

「びっくりした・・・」トオヤは深く息を吐いた。「あぶなかった・・・」

 トオヤは前方と後方に他に車がいないのを確認すると安心して、シートに体を預けたままで体中の力を抜いた。

「で、いきなりどうしたんだ?」

 修史は首を振った。修史自身もどうしてそんなに大声を上げたのかは理解できなかった。ただ彼の視線を奪ったもの、それは彼自身分かっていた。それは石段だった。不意に目に飛び込んできたもの。その石段。彼はゆっくり息を吐いて思った。あれが大声を上げさせた原因、きっとそうだ。間違いない。

「石段があった」ようやく修史は口を開いた。「木と木の間に石段があったんだ」

「石段?」体を起こし、怪訝そうにトオヤが聞き返す。

 修史はトオヤを見やった。「あぁ、石段があった。あんなところにあったか?ここは昔から通る道だろ?・・・戻ってみないか?」

 その申し出にトオヤは考えながらも、結局は彼の好奇心が沸きたてられたようで喜んで引き受けて、フォルクスワーゲンは元の道を引き返して行った。






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