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出会いの街

  金色の

  月のさやけき いと高く

  流るる時に 身をゆだね

  愛しかのひと いまいづこ

  願い叶えよ 碧玉の星


 軽やかな弦楽器の調べと手拍子に乗せて、古い伝え唄が響く。


 閉めきった室内にはたばこの煙と酒のにおい、そして人々の熱気が充満し、思わずむせ返るほど。痛む頭を押さえてカインはのっそり身体を起こした。


「……」


 ランプの灯りがゆらゆら揺れて瞳の奥を刺激する。いや、揺れているのは自分の方か。眩暈と吐き気がひどい。少し静かにしてくれと言う声は誰に聞かれることなく虚しく消えた。


 見上げると吹き抜けの高い天井、一階が酒場、上階が宿になっているらしい。そういえば国境の近くだったか、集う人々の髪色はさまざまに、飛び交う言葉に異国の訛りが入り混じる。


 いったい、誰がこんなところに連れ込んだのだろう。カインはぼんやりと周囲の様子をうかがいながら考えた。腕の傷には包帯が巻かれている。治療してくれたということは、どうやら追手どもではなさそうだ。


 欠伸とため息を合わせたような長い息をつき、緊張を解く。どうせならベッドに寝かせてくれればいいのに、無造作に積まれた荷物とともに直接床に転がされていたため、背骨がきしきしと悲鳴を上げている。もう一度眠る気にもなれず、騒ぐ人々の方を見遣った。


 乱雑に寄せられた椅子とテーブル、気持ちよく酔った男たちはぐるりと輪になり手を叩き、華美な衣装に身を包んだ楽師の爪弾く音色に合わせて可憐に踊るのは少女だろうか、少年だろうか。


 すらりと伸びた手足、細い腰、頬をばら色に染めて、薄くほほ笑むくちびるの紅が艶かしい。ベールがひらりとめくれると、男たちは口笛を鳴らして歓声を上げた。不思議な魅力が見るものを虜にする。


 つい、カインも見惚れた。


「……あ! 気が付いたんだね、きれいな剣士さん」


 小さな踊り子はくるりと一つ回ってお辞儀すると、もっと見せろと野次を飛ばす客たちをかき分け、グラスに水を注いでカインのもとに跪いた。


「まだ起きちゃだめだよ。すごく強い毒だったんだ。のど、渇いてるでしょ? お水たくさん飲んでね」


 鈴を転がすような愛らしい声。少女だ。


「びっくりしたよ。あんな所で倒れてて。もう少し見つけるのが遅かったら、助からなかったかも。あ、安心してね。私はただの旅芸人だよ。見世物が終わったらきちんと部屋に運ぶから、それまで我慢してね」


 人懐こい笑顔でグラスを差し出すが、カインはそれを受け取ることもできないまま、ただ彼女に釘付けになっていた。


 それもそのはず、虹色のベールの向こうで輝くのは、まるで二つの碧玉。花と宝石を飾った髪はそう、いつか予言で見た乙女と同じ黒髪だったのだ。


「……」


 これは、夢か。


 雷にでも打たれたかと思うほどの衝撃が全身を駆け巡る。おそるおそる、震える指先で彼女の頬に触れた。


 温かい。


「やだ、くすぐったいよ」


 少女はますます頬を紅くして、恥ずかしそうにうつむいた。そのいじらしい仕草に、もはや衝動を抑えられない。


「……っ! ……っ!」


 どれほど、どれほど探し求めていたことか!


 驚く少女をかき抱き、湧き起こる想いを力の限り叫んだ。


「……声、出ないんだね。大丈夫。熱が出て喉が腫れたせいだから。薬を飲んで安静にしていたら、すぐに治るよ」


 少女は穏やかに、母親が幼子にするように、優しく髪を撫でてやる。


「あは、きれいな瞳。夜空に輝く月みたい。でも、もう少し眠ってね。次に起きた時には、きっと良くなってるから」


 そしてそっと肩を押し倒して寝かせ、毛布をかけ直す。


「シルヴァ! いつまでさぼってるんだ!」


 向こうで隻眼の大男が怒鳴った。少女は肩をすくめて苦笑する。


「私、戻らなきゃ。眠れないなら、私の踊りを見ていてよ。早くよくなるように、お祈りしながら踊るから」


 そう言い残して、美しい瞳のシルヴァは輪の中に戻っていった。


 カインはまだ温もりの残る手を見つめ、ため息をつく。声が出なくてよかった。愛すべき少女を、この呪われた運命に巻き込んではいけない。


 撫でられた髪がくすぐったくて、思わず笑みがこぼれる。そうだ、今は短く切って染めているから、ウェーザー人らしい赤茶色の髪だから、彼女は親切にしてくれたのだ。きっと本当の姿を知れば、皆と同じように忌み嫌うだろう。


 銅羅が鳴り、音楽が変わる。先ほどまでの情熱的な曲から一転、穏やかでどこか懐かしい調べ。差し伸べた手に精霊が集まり祝福する。


 その神々しい姿を眩しそうに見つめ、やがて何もかもを諦めたようにもう一度ため息をつき、枕元に置かれた長剣を掴んで外套を羽織った。まだ足元がふらつくが、どうせ死にはしない。


 それよりも、早く立ち去らなければ。この幸福な人々を不幸にする前に。


 目深にフードをかぶり、扉を押したその瞬間、大きな音をたてて窓が割れ、勢いよく何かが飛び込んできた。


 ぎゃあぎゃあと耳障りな声で鳴くそれは、銀灰色の翼に鋭い鉤爪とくちばしを持つ怪鳥、大きさはひとの子ほどもある。


 驚き逃げ惑う人々の頭上を旋回していたかと思うと、突然、あの黒髪碧眼のシルヴァに狙いを定めて急降下した。


 カインは舌打ちし、長剣を鞘のまま投げつける。命中したかと思われたが、それは闇に溶けるように消え、少し離れた場所に再び現れた。幻影なのか。


 室内は大混乱に陥り、恐怖に慄く飲み客たちは我先にと出口に殺到した。


《ふふ、黄金の王を生け捕るつもりが、まさかこんなところで運命の乙女を見つけるなんて!》


 頭に直接響く声は、王妃に仕えるあのまじない師スーク・ラヴィラのもの。カインは血の気が引くのを感じた。


 ようやく、五百年もの時を経て出逢えた運命の乙女を、よりにもよって王妃の遣いに気付かれてしまうとは。なんのために、この場を立ち去ろうとしたのか。


 いや、彼女に傷一つ付けさせはしない。盾になろうとしたカインを、しかしシルヴァは押しのけて外に出た。


「待て! 危険だ!」


 カインも急いで追うと、夜空を埋め尽くす銀灰色の大群。羽ばたきはつむじ風を起こし、鳴き声は雷鳴のごとく。たとえそれが幻影だとしても、人々を震え上がらせるには充分だった。


《運命の乙女……アナベル様には邪魔な存在!》


 しかしシルヴァは臆することなく、ゆっくりと弧を描くように舞い、宙空に魔法陣を編み出した。


「……ウェーザーの十二の精霊たちより風を司る者、聖なる刃で邪悪の化身を切り裂いて!」


 彼女の声に反応し、魔方陣が輝く。だが、怪鳥の翼のせいで乱された風はさらに混乱するばかり。吹き荒れる風に木々が揺れ、驚いた鳥たちが一斉に飛びたった。


《その程度の魔力で、僕に勝てるとでも?》


 スークはさらに力を強め、シルヴァの魔法を押し返す。


「ふむ。魔力があればいいんだね?」


 頭上から降る男の声にシルヴァが振り返ると、そこには長い金髪をなびかせる美しい青年が立っていた。変装が解けた、カインだ。


 カインはシルヴァを自分の方へ引き寄せ、そしてそのくちびるが紡いだ魔法を奪い取る。


「な……何するの!」


 それには答えず、騒々しい鳥たちを睨みつけ、一気に魔力を解き放った。


《疾風烈破!》


 数瞬の静寂ののち、整然と並んだ幾千もの風の刃が怪鳥たちに斬りかかる。


「うわあっ!」


 驚いたスークはうっかり術を解き、元の少年の姿に戻ってしまった。当然、真っ逆さまに落下する。


「馬鹿が!」


 カインは舌打ちして地面を蹴り、両腕を伸ばす。間一髪、地面に叩きつけられる寸前にスークを抱き留めた。


「う……あ、は、離せ! 触るな、化物!」


 少年の顔は恐怖で青ざめ、全身ががたがた震えている。


「そんな、お、黄金の王は、魔法が使えないって……」


「ん? ああ、使えんよ。力が強すぎて、制御できないんだ」


 カインはうんざりと肩をすくめて、スークを地に降ろした。着物の端が少し切れた程度で、怪我はないようだ。


 ふと気付くと、逃げ出した客たち、騒ぎで目を覚ました街人たちが集まり、顔をしかめてひそひそと話している。


「金髪金瞳……」


「あやしい力……」


「災いを呼ぶ王……!」


 誰かが石を投げた。


 スークは短い悲鳴を上げて顔を伏せる。カインは振り向きざまにそれを受け止め、感情のない瞳で群衆を見回した。皆、息を呑みあとずさる。


 うんざりだ。


 カインは向きなおり、いつまでも怯えている少年を面倒くさそうに追い払った。


「……痛むところはないね? まったく、嫌な思いをしたくなければ俺にかまうな。そら、さっさとアナベルのところへ帰れ」


「うう……」


 少年の瞳に憎悪と嫌忌の色がにじむ。


「今日は退きます。ですが……」


 スークはわずかな隙をついて、カインの背後に隠れる少女に何かを投げつけた。


「痛っ!」


 避けようとした手に、銀灰色の羽根が刺さる。


「何をした!」


 しかしスークはすでに闇に溶けて消えていた。


 カインは急いでシルヴァの手をとり確かめる。羽根を引き抜こうとすると、それは体内に吸い込まれるようにして消えてしまった。何か、まじないをかけられたのか。いったいどんな……


「離して……!」


 手を振りほどいたシルヴァの顔が、青ざめている。


 ああ、そうか。


 今さら遅いが、外套のフードをかぶりなおした。


 カインは精一杯の笑みを浮かべ、怖がらせないように、優しく、優しく言った。


「すまない。騙すつもりはなかった。その……何もしないから、手を見せておくれ」


「手……?」


 おそるおそる視線を落とす。あやかしの羽根が刺さったあとには不気味な紋様が浮かび、それはもぞもぞと蠢きながら腕全体に広がろうとしていた。


「いやあ! なに、これ!」


 シルヴァは半狂乱で泣き叫び、腕をこすってみるが紋様は消えない。とっさにカインはシルヴァの肩をつかんだ。指先から金色の光があふれ、紋様の増殖を止める。


「誰か、まじないに詳しいものはいないか!」


 応えるものはなく、彼女の仲間である楽師たちでさえ、二人を遠ざけた。


「シルヴァが呪われた……」


「災厄の王のくちづけを……」


「なんて不吉な……」


 カインは舌打ちした。なぜ自身が関わると、悪い方へ、悪い方へとことが運ぶのか。


「あれは、魔法を引き継いだだけだ。穢していない。それより早く、教会の場所でもいい、教えてくれ!」


 どんな作用があるのか、カインにはわからない。彼女にもしものことがと思うと、焦り苛立った。


 カインの想いなど知らずに、シルヴァは逃げようと懸命にもがく。


「助けて、姐さん、親方! やだ、ねえ、いかないで!」


「ごめんね、シルヴァ……呪われたあなたを連れていけない」


 必死の懇願もむなしく、芸人の一座はシルヴァを見捨て、いそいそと幌馬車に商売道具を片付ける。街人たちも、これ以上の面倒ごとはごめんだと家の中に入ってしまった。


 何もなかったように星は瞬き、無慈悲な静寂に包まれる。


「いやだ、みんな、置いてかないで……」


「すまない……」


「あんたのせいだ! 助けたのに、なんでこんな……!」


 睨みつけ、はっと言葉を飲み込む。見つめる瞳が今にも泣きそうで、美しい顔があまりにも辛そうで、それ以上は何も言えなくなった。


 カインは瞳を閉じ、深く息を吸う。


「……ウェーザーの十二の精霊たちより時を司る者、どうか時を止め、罪なき娘を蝕む呪いを止めてくれ」


 祈りが届いたのか、手を離しても紋様はそれ以上広がらなかった。


「すまない。俺にできるのはこれだけだ。だが、必ずまじないを解いて、仲間のところへ返してやる。だから、今は俺と一緒に来てくれないか」


「どこへ……?」


「王都か、そうだな……」


 カインはぐるりと周囲を見回した。小さな街、ところどころに隣国シラーの様式の建物が連なる。ウェーザーの西端、国境の街アリーセだ。


「ここからなら、ベリンダの方が近いな。そこの知り合いなら、まじないに詳しい」


 シルヴァは小さくうなずく。嫌だと言ったところでまじないは消えず、一座には戻れない。災厄の王とともに行くのは不安だったが、他に方法はなかった。


「また……あの子が襲ってくるのかな」


「俺が守るから、大丈夫だよ」


 シルヴァはカインの持つ長剣を見た。本当に、その細い腕で扱えるのだろうか。


「まいったね、馬があれば速いんだが。誰も貸してくれんだろうね」


 つくづく嫌われ者の自分にうんざりする。嫌われついでに、どこかの馬を失敬しようか。とにかく、一刻を争うのだ。


 ふと、風の音に紛れて馬のいななきが聞こえた。振り返ると、楽師の一人が馬を連れてこちらを見ている。楽師は馬の尻を叩いて歩かせ、カインが手綱を取るのを見届けると、何も言わずに立ち去った。


「うう……姐さん……」


 旅の一座は明日をも知れぬ身、縁起物にはあやかりたいし、不吉なものには近寄りたくない。頭ではわかっているが、あまりにも突然で、悲しくて、涙が止まらなかった。


「これは?」


 カインが馬のたてがみに絡まった紙片を指す。占いで使われるそれには、車輪の絵が描かれていた。


「運命の輪……」


 シルヴァは涙を拭い、きゅっと口を結ぶ。


「どんな意味が?」


「運命の転換期、新たな展開……幸運」


 紙片を握りしめ、何かを決意したようにカインを見上げた。強がる瞳が美しい。


 見惚れている場合ではない。ふと深呼吸して気持ちを鎮め、馬に乗り込み鞭を入れる。


「急ごう」


 ひづめの音は深い闇夜に飲み込まれ、ふもとの街をめざして去っていった。


 めぐり逢うべくしてめぐり逢った運命の二人、離れることなどできるはずもなく。

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