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全てのひとに幸せを

 はるか昔、人間の騎士と精霊の長が出会い恋に落ち、両者の血を引く王が国を興したとされる地、ウェーザー王都。


 そびえる王城を中心に扇型に広がる城下町、古い街並みに新しい文化が調和し、行き交う人々で活気にあふれている。ぐるりと囲う美しい大理石の城壁には巨大な十二の精霊像が彫刻され、歴史的にも芸術的にも価値があり、ウェーザーの人々はみな生涯に一度は訪れたいと願う。


 城壁と街を黄金色に染め、遠い地平に日が沈む。あたたかな明かりがこぼれる家々からは夕げの香りが立ち込め、一日の無事を感謝し疲れを癒す市民の安寧を、しかし、けたたましい音を立てて駆ける馬車がうち壊す。


 すでに閉門の時間は過ぎているというのに、いったい何事だろう。彼らは恐る恐るカーテンの隙間から様子をうかがった。


 まっすぐに大通りを進むのは、近衛隊長旗を掲げた立派な馬車。


 では、今朝の噂は本当だったのか。西の都で大地震が発生し、居合わせた黄金の王が捕らえられ、近衛隊長が迎えにいったというのは。


 馬車を目撃した者は急いで家の前に聖水を振りまき、精霊たちに手を合わせて加護を請うた。


 はたして、王都に幸をもたらす黄金の王か、災いをもたらす災厄の王か。


 人々の不安を他所に、近衛隊長の馬車は貴族たちの居住区に差しかかった。


「そのままでは陛下に会わせられん。うちで着替えてもらうぞ」


 一等地に構えたノイエン邸は、王家とともに五百年続く名門を謳うに相応しく、広い庭園はよく手入れされ、立派な大扉の前に召使いたちが整列している。


 気後れするシルヴァの背を押し、大丈夫だとカインは笑った。


「どうぞ、こちらへ」


 上品にほほ笑む女召使いたちが、シルヴァを衣装部屋へ案内する。見届け、カインは機嫌よくニコラスに言った。


「あれで、化粧をするとなかなか美人なんだよ」


「へえ……」


 とても信じられないと欠伸交じりに応え、ニコラス・ノイエンは支度が整うまで仮眠をとると自室に消えた。


 ずらりと並ぶドレスの中で、ひときわ可憐な若草色のドレスと揃いの靴。シルヴァのために急ぎ用意されたものだが、絹の光沢、ちりばめられた宝石がきらきらと輝き、目が眩む。ほうっとため息をついたきり、呆然と立ち尽くした。


「まずは、お清めを。お怪我をなさっているので、沐浴ができませんね。お体を拭くだけにしましょうか」


 有無を言わさず身包みをはがされ、シルヴァはあわてて部屋のすみへ逃げる。しかし多勢に無勢、彼女たちはにこやかにシルヴァの手を引き、鏡の前に立たせた。貧相な胸があらわになる。


 皆、はっと息を呑んだ。シルヴァも恥じらっている場合ではない。


 包帯をほどいた左腕に、もぞもぞと蠢く不気味な紋様。呪いはカインに移ったはずなのに。日付が変わると同時に、カインから抜けシルヴァに戻ったのか。


「あは……だから、こんなひどい怪我をしたのかな」


 すぐに医者とまじない師を召集するが、ノイエン家のおかかえでさえ手の施しようがなかった。


「よほど強い術者のようで……」


「呪いが邪魔をして、治癒の魔法が効きません」


 まさか王妃とその手下にかけられたとは言えず、シルヴァは気丈に笑った。


「私なら平気です。カイン様から呪いが消えてよかった」


 そうでなくともつらい思いばかりしている彼から、一つでも憂慮が取り除けたなら。


「ですが、困りましたわ。これではドレスが……」


 たとえ長手袋をしたところで隠せない。女召使いたちはどうしたものかと思案した。


「正装だったらいいんですよね?」


 シルヴァがそっと耳打ちすると、やむを得ないと彼女たちはうなずき、急いで屋敷中を奔走した。


 着替えが済み、髪形を整え、控えめに化粧を施し、緊張した面持ちでカインの待つ居間へ向かう。


「……」


「そんな顔しないでよ」


 何を期待していたのかカインは眉をしかめて舌打ちし、厭味ったらしく何度もため息をついて首を振った。仮眠から覚めたばかりのニコラス・ノイエンも、両目を見開き肩を震わせて笑うのを堪えている。


「だって、こんなに包帯を巻いてドレスは着られないもん」


「そうだとしても、なぜ……」


 ぴしりと背筋を伸ばし、苦笑するシルヴァが身につけていたのは、しわ一つない女性用の軍服だったのだ。たしかに式典などで使われる、少女隊の正装ではあるが。


 ぶつぶつと不平をもらす横顔を、シルヴァは直視できなかった。


 櫛を入れた金髪はいつもよりきらめき、高い位置で結わいているため顔の輪郭がはっきりと出ている。すらりとした背に華やかな近衛隊服が映え、最高級の美術品でさえかすんで見えるほど。


 これから国王に謁見することよりも、カインの隣に並ぶことの方が緊張した。


「おい、姫さん。黄金の王に恥をかかせたくなければ、堂々としていろよ」


 再び馬車に乗り込む前に、ニコラスがこっそり忠告する。シルヴァはうなずくものの、鼓動は早まるばかり。


 ノイエン邸を出発した馬車は、王城へ続く並木道をしずしずと進む。木々の隙間から差し込む月明かりが、静かに彼らを導いた。


「ああ、そうだ。姫さんの腕だが、うちの医師とまじない師でも治せなかった。いったい誰にやられたんだ?」


「ん、フランから聞いていないのか」


 ニコラスははやれやれとため息をつく。


 西の都の大地震、王妃の態度、そして消耗した国王……やはり全て関連していたのだ。面倒なことにならなければいいがと、ニコラスはもう一度ため息をついた。


 夜も更けたというのに大臣や貴族、祭司たちは広間に集まり、固唾を呑んで大扉に注目する。はたして、黄金の王が五百年待ち続けた運命の乙女とはいかに。


 近衛隊長ニコラス・ノイエンに先導され、赤絨毯をゆっくり進む金髪の美青年と小柄な少女。


「これは……」


 そう言ったきり、彼らは言葉をなくした。


 かつて、賢王アレンの妻となったシラーの姫のように、愛らしい姫を思い描いていたのだが。


 短い黒髪、大きな碧色の瞳は力強く前方を見据え、胸を張って歩くその姿はなんとも勇ましい。そう、少女だと聞かされていなければ、小姓か見習い兵としか思えなかった。


 好奇の眼差しの中、シルヴァはニコラスに言われたとおりにこやかな笑みを作る。


(大丈夫。姐さんたちに代わって踊った時の方が緊張したもんね)


 そう自身に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせた。今ごろ、懐かしい仲間たちはどうしているだろう。


 細く長く敷かれた赤絨毯の先の壇上には、ビロードに黄金で精霊をかたどった王座が据えられ、端麗だがどこか儚げな青年王フラン・ヨエル・ウェーザーが座す。


 その一段下に用意されたソファーに寝そべる女性こそ、私欲のためにひとを呪い、カインと西の都の人々を苦しめた王妃アナベル・ヴァッシュ。なるほど、月の女神を思わせる美麗な容姿、透けるような白金色の髪には贅沢な宝石を飾り、冷たい瞳で全てを見下す。


 シルヴァはきゅっと眉をひそめ、握りしめた拳に力を込めた。


「……止まれ」


 小声でニコラスに指示され、あわてて歩を止め膝を折る。瞳を伏せ、国王の言葉を待った。




  パンッ!




 静まり返った室内に、乾いた破裂音が響く。


 驚き、思わず顔を上げると、隣で一緒に軍礼をとっているはずのカインが、王妃のすぐ目の前で彼女を睨みつけていた。


 何をされたのか瞬時に理解できなかった王妃アナベルは、呆然と中空を見つめる。透けるような白い肌の、左の頬だけがうっすらと赤い。


 国王ははっと目を見開き、集う臣下は騒然とした。


「いますぐ、スーク・ラヴィラを呼べ」


「……」


「早くしろ」


 御前であることも、公衆の面前であることも憚らず、カインは低い声で詰め寄った。


 アナベルは瞳いっぱいに涙を浮かべて首を振る。ならばともう一度振り上げた手をニコラスが止め、二人の間にシルヴァが割り入った。


「カイン様、だめ!」


「退け。なぜかばう」


「だって……」


 シルヴァは視線を落とす。


 ゆったりとしたドレスの上からでも目立つほどふくらんだ腹、アナベルは震えながら、無意識にそれを守っていた。


 カインは舌打ちし、苛立たしげにニコラスの腕を振りほどく。


 皆、はらはらと成り行きを見守る。これほど感情を、怒りをあらわにする黄金の王は初めてだ。ベリンダに続いて王都までと畏れた。


「……とにかく、スークにまじないを解かせろ。そうすれば、あとは何も問わん」


 しかしアナベルはただ困惑した表情でうつむいている。できることならば、すぐにでも言われたとおりにしたいのだが。彼女にもスーク・ラヴィラの居場所がわからなかった。


 見かねた国王フランが、ため息まじりに口を挟む。


「申し訳ありません。とり逃がしました」


「なに?」


「捜索しているのですが……」


 フランの遠見の術をもってしても見つけられないということは、闇に紛れているのか、あるいはすでに。


 万事休す、抑えきれない怒りに大気が震えた。


 大臣や貴族たちは青ざめ、口々にささやく。


「いったい、黄金の王は何をそんなにお怒りなのだ」


「まじないがどうとか……」


「おおかた、また王妃が何か仕出かしたのだろう」


「それにしてもアナベル様に手を上げるなど……」


 それぞれの立場と思惑が渦巻き、場はますます乱れた。


 国王フランはゆっくり立ち上がる。


「カイン様、どうか怒りを鎮めてください。運命の乙女の怪我でしたら、私が治しますから」


 しかしカインはふんと鼻を鳴らす。


「そのつもりだったがね。まったく、無理をして。力なんてまるで残っていないじゃないか」


 段を降りるフランの足元がおぼつかない。カインは手を差し伸べ、無事に降りきったところでくしゃくしゃと頭を撫でてやった。


「俺もあまり回復していなくてね。まいったね、あてにしていたのに」


 フランは心地好さそうに目を細める。温かいてのひらからこぼれる光の粒が、弱った身体にわずかながら力を与えた。


「……ありがとうございます。ですが、私も賢王アレンの血を引く者、みくびらないでください」


 フランはほほ笑み、シルヴァの手をとる。


「え、あの……?」


 王姉カノンに続いて国王までもが、なぜこうも気楽に下賤の娘に触れてくれるのか。シルヴァはじっと畏まって成り行きに任せた。


 フランは深く息を吸い、銀の王杖を床に突き立て、瞳を伏せる。


 長い睫毛、薄いくちびる、血色こそよくないが、どこかカインと似た美しい顔立ちに、いけないと思いながらもシルヴァの胸が高鳴った。


「……ウェーザーの十二の精霊たちよ、聖なる力をもって悪しき存在をうち祓い、傷つきしものを癒し、正しきものを護りたまえ」


 耳触りのいい落ち着いた声。ざわめく大気中の精霊たちが鎮まり、フランの周りに集まる。やがてそれらは光の文字となり、フランとシルヴァを囲んだ。


 なんと神聖で幻想的な光景。一同はうっとりと魅入る。


「……や……けて、誰か……助け……」


 かすかな悲鳴に気付いたシルヴァが、ぐるりと周囲を見回した。


「王妃様!」


 ぴくりとフランの身体が震える。


「国王様、待ってください! 王妃様の様子が……!」


 真っ青な顔で冷や汗を浮かべ、腹を抱えるようにしてうずくまり、泣いている。息は浅く、危険な状態なのは一目瞭然だった。


 しかし、術は止まらない。


「お願いします! どうか、魔法を止めて、王妃様を……ね、国王様、私の腕なんていいですから!」


 シルヴァは不敬罪を覚悟でフランにつかみかかり、身体を揺する。懇願する声は届いていないのか。


 術に集中するフランは催眠状態に近く、もはや外部の介入を受け付けず、また本人の意思でも止めることができなかった。


 やがてシルヴァも術に捕らわれ動けなくなる。


「カイン様、お願い……っ」


「くっ……ニコ、医者とまじない師を呼べ。俺にもこれは支えきれん」


 カインはアナベルを抱きしめる。


 かすかに感じるフランの力の欠片。そうか、呪いを鎮めるだけでなく、彼女と腹の子を護っていたのか。その力をシルヴァの治療にあてたために、二人の命が危うい。


 ひとならざる力はすべてフランに渡してしまった。残るはひとの力、生命の力のみ。一つの命を支えるために、どれほどの力を要するだろう。不死の身なればこそ、怖れることはないが。


「おい、おまえたちも祈れ! おまえたちの王子が流れるぞ!」


 大臣も貴族も祭司も驚き、あわてて膝をつき手を合わせた。祈りは精霊たちに力を与え、意志となり王妃をとり囲む。


 それでも、まだ弱い。


「ちくしょう、このままでは……」


 なぜ、こんなことになったのだ。望むことはただ、愛しいものの幸福。運命の乙女と、ウェーザーの愛し子たちの幸福だけを願っているのに。


 なぜ、彼らを苦しめるようなことばかり起こるのだ。


 天を仰ぎ、無意識に呼ぶ。


「力を……力を貸してくれ、アレン!」


 室内に一陣の風が吹き、燭台の炎が激しく揺れる。


 カインは震えた。遠い記憶がよみがえる。


 光と影が混ざり合い、やがてひとの形を成す。しかしそれは、かつて見たウェーザーの十二の精霊たちではなかった。


 まばゆい光をまとい優雅にほほ笑むのは、およそこの世のものとは思えぬほど美しい、そう、最愛の弟だったのだ。

 広間を満たす温かい光。柱を、壁を、平伏す人々を、はちみつ色に染める。光に触れた者はみな、得も言われぬ幸福感に包まれた。


 賢王アレンの御霊がそっと手を振ると、フランの魔法は止まり、秩序を取り戻した精霊たちが正しい力で人々を祝福する。


 衰弱したフランには力がみなぎり、シルヴァからは悪しき呪いが抜けて傷が治り、そして王妃とその子は一命をとりとめた。


 フランはアナベルに駆け寄り、きつく抱きしめる。アナベルもまたその胸にすがり泣きじゃくった。


「アナベル、アナベル! ああ……無事でよかった……!」


 もしもあのまま失っていたら……考えただけで恐ろしい。何よりも大切なはずなのに、なんと浅はかなことを。


 幼い王妃もまた、己の無知と夫の深い愛を知り、自身の愚かさを悔やんだ。力のない、頼りないひとだと思っていたが、まさか命を削りながら護ってくれていたとは。


 王と王妃の心が強く結ばれ、ウェーザー王家の血は守られた。


 老いた大臣はもはや思い残すことはないと感涙にむせび、貴族たちは敬意と畏怖を胸にさらなる忠誠を誓う。


 シルヴァは大きな碧色の瞳をますます大きく見開き、頬を紅潮させてカインの方へ振り向いた。


「……」


 懐かしい半身を見つめ、穏やかにほほ笑むその金瞳から、一筋の涙がこぼれる。


「おまえ、これを伝えるために……」


 はるか五百年前のあの日、姿を見せた精霊たちとはもしや、ウェーザー王と民を災厄から救うために現れた歴代の王の御霊だったのではないか。


 目を閉じれば感じる、強く優しい父や祖父の気配。孤独なカインを案じ、いつもそばで見守っていてくれた存在。


 あの大災害は、精霊たちの怒りではない。ましてやカインの不安定な力のせいなどではなかったのだ。


 誰にも知られないよう心の奥底に隠していた闇が、長い時を経てとけていく。


 賢王アレンはにっこりほほ笑み、愛しい兄の額にくちづけ、そして運命の乙女であるシルヴァのくちびるを奪った。驚く二人をいたずらっ子のように明るく笑い飛ばし、やがて光の粒となって散った。


「あ……あは、どうしよう、神様にキス……されちゃった……」


 カインは一つため息をついて気持ちを鎮め、シルヴァの腕をとる。包帯を解くと、細い腕は元の通りすべらかな白い肌に戻っていた。骨も腱も異常ない。


 シルヴァは試しに祝福の舞を踊ってみる。宙空に弧を描く動きはまるで蝶の羽ばたきのように軽やかで、そこかしこから感嘆の息がもれた。


「あんなにひどい怪我が……神様、ありがとうございます」


 精霊像に向かって頭を下げ、そしてその神様とよく似たカインをじっと見つめた。


「ね、カイン様。あのきれいな神様が、賢王アレン様なの?」


「ああ、そうだ。もしかすると、俺が呼ぶことを知っていたのかもしれないね」


「……そっか。だから賢王様は、私の夢に出てきてくれたんだ」


 まだ、心のどこかで期待していた。シルヴァは納得し、少し残念そうに笑った。胸が痛い。


 カインはフランとアナベルの具合を確かめるために、シルヴァのそばを離れた。二人とも、いつになく顔色が良い。


 しかし、叱られると思ったアナベルは、うつむいてフランの袖をきゅっと掴む。


「さて、アナベル。これで懲りただろう? もう、不死など望むんじゃないよ」


「……ふし?」


 アナベルは小鳥のように首を傾げ、きょとんとカインを見上げた。シルヴァもフランもニコラスも、大臣や貴族や祭司たちでさえも、懸命に笑いをかみ殺す。


「これが欲しいんだろう?」


 カインがおもむろに胸元から銀の鎖を引き出すと、アナベルの頬は火を噴くほど真っ赤になった。細い鎖には小さな指輪……カインの薬指のものと対になる王妃の指輪が通されている。


「これをつけたからといって不死になれるとも限らんし、そもそも不死なんていいものじゃないよ」


 アナベルは両手で顔を覆い、大きく首を振って否定した。逃げ出したい。


「ね、カイン様……本当に気付いてないの?」


「ん?」


 シルヴァはさすがに王妃のことが気の毒になった。ひとを呪うほど想いを寄せていたのに、この美しいひとには全く伝わっていなかったのだから。


「ふふ、ね、私の勝ちでしょう?」


 フランが不敵に笑うと、ニコラスはやれやれと肩をすくめた。


「おまえたち、なんの話をしているんだ?」


「えっと、だから、その、王妃様は……」


 やめて、と力ない声でアナベルは叫ぶが、意地悪なフランが続きを答えた。


「アナベルはですね、ずっと、カイン様をお慕いしていたのですよ」


「……」


 よくわからない、と言わんばかりの間の抜けた顔で、カインは頭をかいた。


「俺を……?」


 産まれた瞬間から忌み子と嫌われ、不吉だ災厄だと遠ざけられてきたのだ。慕われているなどと考えてもみなかった。


 どうしたものかと思わずシルヴァの方を見る。シルヴァも苦笑するしかない。


「は……はは、まいったね。なんだ、そうだったのか」


 カインはうれしそうに、恥ずかしそうに笑い、アナベルの前に膝をつく。美しい想い人に間近で見つめられ、アナベルはもはや息もできなかった。


「そうか……すまんね。想いをとげてやることはできないが、おまえのことも愛しているよ」


 五百年も生きたカインにとって、ウェーザーの民はすべて我が子か孫のようなものなのだから。愛さずにいられない。


「アナベル、せっかく授かった命だ。大事に育ててくれないか。その……俺の弟の血を継いでいるんだ」


 アナベルは覚悟を決めてうなずいた。そして震える声で問う。


「あの……王子……なのでしょうか?」


 カインはしまったと口を押さえた。大臣たちは身を乗り出して耳をそばだてる。


「あ、いや、そんな気がしただけだ」


 賢王アレンと同じ力を持つ黄金の王の予感、人々はわっと歓声を上げた。


「これは、めでたい!」


「すぐに祝宴の用意を!」


 元来、陽気な気質のウェーザーの人々、すでに夜も遅いというのに眠気を忘れて酒宴を設け、よき報せと奇跡の瞬間を方々に広めるために走り回る。続々と祝いの品が届いた。


「まいったね。うっかり余計なことを言ってしまったよ」


「みんな喜んでるから、いいんじゃない?」


 誰も苦しんだり悲しんだりしない未来ならば、少しくらい垣間見たところで許されるだろうか。かすかに感じる弟の気配に問いかける。そうだねと応えるように、ふわりと風が髪を揺らした。


「カイン様、約束を果たすのは明日でもよろしいでしょうか」


 フランが人だかりをかき分け、申し訳なさそうに頭を下げる。貴族たちの祝辞はまだしばらく続きそうだ。カインがうなずくと、シルヴァはほっと胸を撫でおろした。あと少し、できるだけ長くそばにいたかった。


「では、アナベルを先に休ませますので、カイン様たちもどうぞ寝室の方へ」


 促され、侍女を引き連れたアナベルに同行する。


 長い廊下、柱ごとに取り付けられた蜜蝋が甘い香りを放ちながら優しい光で足元を照らす。広間の賑わいが遠くなり、シルヴァは声をひそめてアナベルに尋ねた。


「ね、王妃様。王妃様はどうしてカイン様のことがお好きなんですか?」


 なんと無邪気な好奇心。もう、その話題には触れてほしくないのに。ましてや本人を目の前にして聞くなど、どういう神経をしているのだ。意地悪をした仕返しか。


 ほら、美しい金瞳が期待してこちらを見ている。


「は……はじめて、王都を訪れた時に、あまりのひとの多さに驚いてしまって……めまいを起こした私に、カイン様は隊列を離れて声をかけてくださったのです。その時の、白馬に乗ったお姿がとてもきれいで……」


「白馬? 俺はたいてい青鹿毛を使うがね。白馬を使うのは……」


 はっと気付いたように後ろを振り返ると、国王フランの横顔がにやりと笑っていた。


「え? じゃあ、王妃様は、最初から国王様のことが好きだったの?」


「そんな……」


 とんだ勘違いだ。早く教えてくれたなら、これほど苦しむことも、苦しめることもなかったのに。


 カインはやれやれと肩をすくめた。


 アナベルと別れたあと、カインはシルヴァにだけそっと秘密の話を打ち明けた。


「じつは、フランも白馬は使わないんだ。女性用だからね」


「え? ということは……」


「ふむ。おそらく雑踏の中で、カノンと俺の名を聞き違えたんだろう」


 シルヴァは西の都で出会った勇ましい王姉カノンのことを思い出す。たしかに、凛々しく軍服を着込み、帯剣していたが。ウェーザー人にしては明るい髪色だったが。まさか、女性を黄金の王と見間違うだろうか。いや、たしかにこのひとは、髪をきちんと梳かして身なりを整えれば、女性よりもはるかに美しい。


「あは……それは、内緒にしておいた方がいいよね」


「そうだな」


 ようやく来賓用の寝室に到着し、支度を整えていた召使がシルヴァにお辞儀する。


「朝になったら迎えにくるよ。おやすみ」


「え? あ……おやすみなさい」


 てっきり一緒にいられるものと思っていたシルヴァは戸惑い、ぴたりと閉じられた扉をしばらく見つめ、やがて諦めたように寝間着に着替えてベッドに入った。

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