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捕らわれの王子と敵国の姫

 代々ウェーザー王の近衛隊長を務めるノイエン家の長男にして第一王子の親友であるダグラス・ノイエンは、ひどく後悔していた。


「そもそも俺は、こいつのことが嫌いだったんだ」


 両陛下に似ぬ不気味な金髪金瞳、女のような顔のくせに喧嘩はめっぽう強く負け知らず。年頃になればますます美しさに磨きがかかり、女たちは放っておかなかったが、運命だなんだと吐かして見向きもしない。


 大臣や貴族に嫌われても気にも留めず、厭味を言う連中にさえ困りごとがあれば手を差し伸べ、王位継承権を放棄しようとしたり、士官したりと訳がわからない。


「なんだって、こんなやつと友達になったんだ?」


 優秀な第二王子についていれば、今頃は暖かい部屋で恋人の一人や二人とともに、優雅に茶をすすりながら愛でも語り合っていただろう。


 ダグラスは自嘲気味に笑った。


 柄にもない。


 雅ごとは肌に合わず、言い訳のように戦場に出たのは誰だ。良家の令嬢との縁談を無下にし、友人と安酒を酌み交わす日々。


「つまるところ、俺とこいつは似ていたのか」


 ダグラスは目の前に横たわる男を見下ろした。


 もともと軍人にしては線が細かったが、さらに一回り小さくなったような気がする。青ざめ、寒さのせいか飢えのせいか身体を震わせ、脈も呼吸も今にも止まりそうなほど弱い。


 もはや、限界か。


 ダグラスはぐっと奥歯を噛み、決断する。細い首に手をかけ、力を込めようとした。


『……何をしているのですか?』


 突如、差し込む眩しい光。ダグラスは驚き、顔を伏せる。暗闇に慣れた目には刺激が強すぎた。状況が把握できない。


『何をしているのかと聞いているのです』


 若い女の声、だが、何を言っているのかわからなかった。シラー語だろう。カインを背後に隠し、じっと耳をそばだてる。ゆっくりと近付く高い靴音、それに衣摺れ。


 どうにか目を開け、ダグラスは眉をひそめて舌打ちした。


 侍女たちを引き連れ、ドレスの裾を気にしながら階段を降りてくるのは、まだ幼さの残る姫君。たしか、シラーの末姫リリアス・ベル・シラーだ。


 象牙のような肌に艶やかな黒髪、大きな黒曜の瞳が無邪気に輝く。白に近い薄紅色のドレスには控えめにレースとリボンがあしらわれ、彼女の愛らしさを引き立てていた。


「……お姫様がこんなところになんの用だ。俺たちの死に際をあざ笑いにきたのか?」


 やはりウェーザー語のわからないリリアスは小首を傾げる。言葉のわかる侍女が耳打ちすると、その可愛らしい顔をむっと曇らせた。


『……部下の非礼をお許しください、リリアス姫』


 ダグラスは目を疑った。カインが起き上がり、涼しげな顔でほほ笑んでいる。


 まさか、つい今の今まで死にかけていたではないか。きちんと襟を留め、膝を折り軍礼をとる姿は凛々しく、まっすぐに敵国の姫を見据える金瞳には強い意志が宿る。郎らかな声が紡ぐのは、なんとシラー語だった。


「あ、あんた、いったい……?」


 ウェーザーの双子の王子が妖しい力を持つことは知っていたが、もしや弟王子の魂でも乗り移ったのか。やつれてはいるが、口元には優雅な微笑をたたえている。


『何をしているかとのご質問、そうですね、いかにすれば両国の和平が成るかを考えておりました』


 やはりそうだ。剣を持つしか能のない馬鹿王子が、これほど流暢に話せるはずがない。ダグラスは固唾を呑んで成り行きを見守った。


 カインに興味を示したリリアスは、鉄格子の間際でぐっと身を乗り出す。そしてこの窮地においても美しさと気高さを失わぬ青年をしげしげと眺めた。


『本当に、ウェーザーの第一王子なのですか?』


『さあ……信じるか信じないかは、あなた次第です』


 無惨に刈り落とされた髪は根元から金色に輝く。染めているわけではなさそうだ。だが、北方にはこのような金髪は珍しくないらしい。よく似た背格好の男を身代わりにしているのかもしれない。それにしても、これほど美しい顔立ちの男が二人といるだろうか。


 鉄格子の隙間から金髪に触れようとするリリアスを、侍女たちはあわてて制止した。


『姫はこのようなところに、なぜ?』


『ああ、そうでした』


 侍女に合図すると、一人がうやうやしく小さな木箱を差し出す。中には宝石のように輝く砂糖菓子がいくつか。


『お母様から、あなたたちへ差し入れです。ふふ、これで和平に一歩近付きますわね』


 無邪気にほほ笑むリリアスは何も知らないのだ。


 カインの微笑が強張る。ダグラスは小さく舌打ちした。


「おい、食うなよ。毒だ」


「……わかってる」


 得体のしれない捕虜の扱いに困ったか、それともこれ以上の苦痛はという温情か。どちらにしても、愛らしい姫を遣いにするとは残酷な。


 しかし、同情する気はない。カインはありがたく受け取り、一つを口にした。


「あんた、馬鹿か!」


 久しぶりの甘味にほっとしたのは一瞬。溶け出した毒が喉を焼く。息ができずに喘ぎ、ついには吐血し倒れた。


『そん……な……』


 あまりにも突然のことに、リリアスはうろたえる。


『これは何かの間違いです! お母様はそんな卑怯なことはなさいません!』


 必死に弁明するリリアスの腕をとり、侍女たちは半ば強引に階段を駆け上がった。


『姫様、用は済みました。早くお戻りくださいませ』


『待って! おまえたちは知っていたの? なぜ?』


 それには答えず、重い扉は閉ざされた。


 再び周囲は闇と静寂に包まれる。急激に気温が下がった。


 ダグラスは震える。


「お、おい、死ぬな。ちくしょう、こんなところで死ぬなよ!」


 力任せに揺さぶる腕を、カインはさも迷惑そうに払いのけた。


「……うるさいぞ……ダグ……」


「な……」


「俺を、絞め殺そうと……した、くせに……」


 ぜいぜいと肩で息をしながらゆっくりと起き上がり、口元に付いた血を拭う。目を白黒させるダグラスを見て、皮肉な笑みを浮かべた。


「子供の頃から、慣らしている。この程度じゃ効かないね。それに……」


 一息つき、瞳を伏せた。はるか遠く、王城を想う。


「アレンが、俺の苦痛を引き受けてくれた」


「そんなことができるのか?」


「ああ。この遠距離でできるとは思わなかったがな」


 それで、ダグラスは気付く。なぜ、同じ状況で、カインだけが死にかけていたのか。飢えも寒さも、噛みちぎった腕の痛みも感じなかったのか。全て、この軟弱そうな男が一人で背負っていたのだ。


「ち……やっぱり俺は、あんたが嫌いだ」


「本当は危険なんだよ。痛みは感じなくても、治ったわけじゃない。俺の毒も、おまえの凍傷も。早く治療しないと」


 カインは指を鳴らし、火の精霊を呼んだ。以前よりも力強い炎が二人を照らす。


「アレン様は、あんたがこうなることを知っていたのか?」


「どうかな。遠見の術かもしれないし、あるいは先見の術で知っていたのかもしれない」


「知っていて、あんたを送り出したのか」


 ダグラスの瞳に怒りがにじむ。カインだけでない、実の父である国王の危機もわかっていたなら、なぜ引き留めなかった。


「……回避できないんだ」


「なに?」


「予言で見た未来は、どうしても回避できない。必ず、実行されるんだ」


「そんな……」


 ならば、なぜ未来など見ようとするのか。変えられない未来、抗えない運命、そんなものを見てしまったら、生きる希望を失ってしまうのではないか。


「俺はそれが嫌で、精霊の声を聞くのをやめた。だが、アレンは少しでもどうにかできないかと挑み続けているんだ」


 カインはふとため息をついた。何も言わずに一人で抱え込む弟を想うと、胸が痛んだ。


 不意に頭上より明かりが差す。カインは顔を上げて光の方を睨みつけた。


『まだ何か用か、お姫様?』


 きゃっと短い悲鳴。


『ご、ご無事なのですか……?』


 おずおずと降りてきたのはリリアス・ベル・シラーだ。よほど急いでいたのだろう、抱える水瓶が揺れ、こぼれた水がドレスを濡らす。


『申し訳ございません。私、何も知らずに……』


 グラスに水を注ぎ、鉄格子の隙間から差し入れた。


『……俺がそれを飲むとでも?』


 先ほどとは別人のような素っ気ない態度に、リリアスは瞳を潤ませる。迷い、グラスにそっとくちづけ一口飲んでみせた。


『これで、信じていただけますか?』


『……いいだろう』


 カインは受け取り、一気に飲み干した。冷たい水が腫れた喉を癒す。


 リリアスはほっと安堵した。


『申し訳ございません。お薬もご用意したかったのですが……』


 侍女や警備兵の監視をかいくぐってきたのか、ドレスの裾がひどく汚れている。


『あの、お母様は……』


『俺たちは戦争をしているんだ』


 言葉を遮るカインの瞳は鋭い。


『捕まればどうなるかわかっていた。そして、母君の慈悲も理解できる。気にするな』


『え?』


『こいつも、親友も、ちょうど同じことをしようとしていたんだ』


 それまでの緊張を解き、まるで少年のように笑った。


 指をさされ、言葉はわからないが、察したダグラスはばつが悪そうにそっぽ向く。


『さあ、もう行けよ。一国の王女が敵国の捕虜と通じてはいけない』


『あの、カイン様』


『……ん?』


『どうすれば、ウェーザーとシラーは仲良くなれるでしょうか?』


『俺の弟に聞いてみるといい』


 カインは、これで戦争が終わると確信した。そして自分自身の役目も。静かに瞳を閉じる。


 アレンが王位を継ぎ、平和になれば、王子としても軍人としても、もうすべきことはない。さて、無事に帰還したとして、その後はどうしたものか。考えたところで答えは見つからなかった。


『ああ、姫。一つ頼みがある』


『な、なんでしょうか?』


『毛布をもらえないか。寒くて死にそうだ』


 カインは大袈裟に震えて肩を抱く。リリアスはうなずき、また階段を上っていった。


 夜になり、不機嫌な顔の警備兵がスープを二皿とやわらかいパンを二切れ運び、埃っぽい毛布を二枚投げ込んだ。


「どんな会話をしたのか知らんが、これはありがたいな」


 ダグラスはさっそく毛布を頭からかぶり、スープとパンはカインが口にするのを見届けてから手をつけた。


「おまえ、俺に毒味させるなよ」


「ふん。俺は普通の人間なんでね。あんたらみたいに不死身じゃないんだ」


 カインに嫌味など通用しない。久しぶりに腹が満たされ、機嫌よく笑っている。


「ダグ、おまえがいてくれてよかった」


「なんだ、急に」


「俺一人だったら、きっと耐えられなかった」


 改めて言われると気恥ずかしく、ダグラスは背中を向けて寝転んだ。その背をじっと見つめ、ため息をつく。


「……ダグ」


「なんだよ」


「約束を守れなくて、すまない」


 なりたくはないが国王になり、隣には近衛隊長として親友が並ぶはずだった。ノイエン家の隊長職は、彼の父の代で終わる。それが申し訳なかった。


「わからんぞ。アレン様が俺を取り立ててくれるかもしれんからな」


 もっとも、この馬鹿王子以外に仕える気はなかったが。


「あんたはどうするんだ?」


「トマに行こうかと思う。おまえもどうだ?」


「冗談じゃない。寒いのは勘弁してくれ。夏に遊びにいってやるよ」


 もう話しかけるなと言わんばかりに毛布にもぐってしまったので、カインは退屈そうに頭をかく。


「ダグ」


 苛立たしげに顔を出したダグラスの目の前で、ぱちんと指を鳴らした。


「……」


 何か言おうとしたが声にならず、ダグラスはそのまま深い眠りについた。規則正しい寝息を確認し、カインは自分の毛布もかけてやる。


「おまえが女なら、抱きしめて温めてやるのに」


 ダグラスが聞けば目をつり上げて怒りそうな冗談をつぶやき、つまらなさそうに口の端を歪めた。

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