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心焦がす想い

 王妃アナベル・ヴァッシュのわがままは今にはじまったことではないが、今朝の態度は目に余るものがあった。控え室に戻った侍女たちは、目くじらを立てて声を荒らげる。


「せっかくお持ちした朝食を、一口も召し上らずに下げろとおっしゃるの」


「まあ、それではおなかの御子のためによくないわ」


「安産のお祈りの時間になってもお出かけにならず、祭司長さまをお待たせして……」


 まったく、王妃として、母としての自覚はあるのだろうか。


 アナベルに仕える侍女たちは、本来ならば彼女よりも家柄の良い令嬢たち。たかが成り上り貴族の娘が国王に見初められたことだけでも腹立たしいのに、頭を下げ、ご機嫌をうかがわなければならないのはどれほど屈辱的なことか。


「お父様の言いつけでなければ、誰があんな生意気な女にお仕えするものですか」


 しかしながらアナベルは、侍女たちの陰口など問題ではなかった。食欲がなくなるほど心を煩わせるもの、それは麗しい黄金の王と、今その隣に侍るであろう運命の乙女。


「スーク! スーク・ラヴィラ、いるんでしょう!」


 苛々と部屋の中を歩きまわり、虚空に向かって怒鳴りつける。


 ゆらりとついたての影が揺れ、きれいに切り揃えた銀灰色の髪の少年がアナベルに傅いた。


「お呼びでしょうか、アナベル様」


 まどろっこしい挨拶にアナベルはむっと眉をひそめる。


「ねえ、運命の乙女って本物なの?」


「さあ……?」


 スークは大きな水盤を用意し、符を浮かべてまじないを唱えた。水面が光り、遠く離れた街の景色を映し出す。


 一見、恋人のように親しげに話す剣士風の青年と黒髪の少女。それが髪を短くして染めた黄金の王カインと、運命の乙女の特徴である碧眼の持ち主だということを確認し、アナベルはきゅっとくちびるを噛んだ。


「なぜ、こんな貧相な子がカイン様の……」


 あの美しいひとの隣を飾るなら、私の方が相応しいのに。蝋燭の灯りに照らされ輝く白金色の髪、透けるほど白い肌、勝気な瞳に艶やかなくちびる、華奢な肩とは不釣り合いな豊かな胸、どれをとっても運命の乙女よりずっと魅惑的なはずだ。


「スーク、どうにかならないの?」


 少しでも愛するひとに近付きたくて、心無い婚姻を受諾し今の地位を手に入れた。それを、突然現れた小娘に邪魔されるなど。


「……運命の乙女を苦しめる方法ならあります」


 スークは平伏したまま応えた。その顔は薄く笑っている。


「しるしを付けてきました。あとはアナベル様と御子の魔力を注いで、強く念じていただければ……」


 アナベルははっとして視線を落とした。ゆったりとしたドレスの上からでもわかるほど大きくなった腹には、強い魔力を持つ国王の子が宿る。アナベル自身に魔力はないが、子の力は甚大だった。


「呪いを、かけるの?」


 勝気なはずの瞳が揺れる。ウェーザーの法律では、呪いは厳しく禁じられていた。


「憎いのでしょう?」


「でも……」


「大丈夫ですよ。呪いといっても、少し運が悪くなったり、悪夢を見たりする程度ですから。でも不調が続けば、怖くなって黄金の王の側を離れますよ」


「そ、そうね。うんと怖い夢を見せて、苦しめてやるわ」


 なんとも他愛の無い。よもや利用されているとも知らずに、禁忌の邪法を。


 そうでなくとも、アナベルの振る舞いはウェーザーに暗い影を落とす。王妃の器のない小娘が権力を得たことで佞臣がはびこり、善良な王族や貴族は地方へと追いやられた。政治は乱れ、財政は逼迫し、人々の心は荒んでいくばかり。


 街の路地裏では職を失くした青年が肩を落とし、税を払えない老人がため息をつき、親を亡くした子供が泣いているというのに、幼い王妃は国と民を鑑みることなくただ淡い恋に胸を痛めため息をつく。


「さあ、水盤に向かって念じてください」


 スークは新しい符をひたした。


 水面が歪み、彼らの言葉で書かれた魔法陣が浮かび上がる。


「苦しめばいい」


 故郷の村を侵略し、破壊した、ウェーザー人など。目を閉じれば思い出す、汚染された泉、作物はたちまち枯れ、仲間たちは労働者として連れ去られた。それを冷酷な金瞳で見ていた黄金の王を許しはしない。


「あれ?」


「どうしたの」


 アナベルはあわててスークの方を見た。


「いえ、なんでもありません」


 たしかに今朝までは、しるしは運命の乙女についていたはずだが、どういうわけか黄金の王に移っている。


 まあ、いい。


 愛しい娘を目の前で苦しめてやろうと思ったが、あの豪気な黄金の王の苛む姿が見られるのなら、それもまた一興。


「さあ、どんな悪夢を見るんだろう」


 スークはまじないを唱え、アナベルの御子の魔力を注ぎ込んだ。




 バルコニーで風に当たっていた国王フラン・ヨエル・ウェーザーはふと顔を上げた。


「いけない……」


 つぶやき、褐色の瞳を閉じる。


「ウェーザーの十二の精霊たちよ、どうか愛しい我が妃と子を護りたまえ」


 国王の命に従い、精霊たちが王妃の部屋を取り囲む。聖なる力はやわらかな光となり、今まさに失われかけた小さな生命を救った。


 フランはほっとため息をつく。


「……あんた、なぜあんな女がいいんだ?」


 近衛隊長ニコラス・ノイエンはうんざりと肩をすくめた。振り返ったはずみでフランはよろめく。ニコラスに支えられ、フランは血色の悪い顔で笑った。


「ふふ、なぜでしょうね」


 ひとが恋に落ちる理由など語れるものか。


「あの生意気な小娘は、黄金の王のことが好きなんだろう? あんたが命を削ってまで守ってやる必要ないじゃないか」


 わかっていても、改めて指摘されると辛い。ため息が胸にしみる。


「これは、私とアナベルの勝負なのです。私がアナベルの心を手に入れるのが先か、彼女がカイン様の心を手に入れるのが先か」


 ずいぶんと分の悪い勝負だな、とニコラスは呆れた。しかしフランは楽しそうに、どこか余裕の表情で言う。


「わかりませんよ。あの小娘に、五百年の恋を追い続けるカイン様を振り向かせるほどの根性があるかどうか」


「……あんた、けっこういい性格してるな」


「ふふ、そうでしょう?」


 なにせ幼いアナベルを妻にするために、少しばかり黄金の王の面影のある容姿と国王という地位を利用したのだから。


「まあ、私にもしものことがあったとしても、姉上がいますから」


「……俺は身の振り方を考えんとな」


 フランとは違い豪気な王姉が女王になるところを想像し、ニコラスは大袈裟に首を振った。


「何にせよ、私は責任を取らなければなりません」


 恋にかまけて国を傾けたのは、アナベルではない。彼女を王妃に選び、力を与えてしまったことが、ウェーザーの衰退に拍車をかけているのだ。


 いっそ、恋の炎など消えてしまえば楽になるものを。


 フランはいく度めかのため息をついた。

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