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王子の恋

 あふれる光が眩しくて、カインはきゅっと瞳を細めた。きつい詰め襟が首にあたって息苦しい。


 甘いささやき、微笑、揺れる扇、香水が鼻につく。金銀細工の照明具からこぼれた光の粒はグラスに、宝石に、絹のドレスに触れて散った。


 うんざりとため息をつき、なるべく目立たないようにカーテンの陰に隠れてグラスを傾ける。


 俺の姿が見えなくても、気に留めるものなどいないのだが。


 カインは自嘲気味な笑みを浮かべて、広間の中央を見遣った。


 派手に着飾った貴族の娘たちが、アレンを振り向かせようと甲高い声を上げる。それに対し、彼女たちよりよほど美しい弟は優雅にほほ笑み、公平に応じた。


「あんたはいいのか?」


 友人のダグラス・ノイエンが、退屈そうにあくびをこぼしながら隣に並ぶ。カインと同じく、どうも雅ごとは好きになれないらしい。夜会は始まったばかりだというのに、すでに前髪を下ろして襟を開け、抜け出す機会をうかがっていた。


「興味ないな」


「はは、だったら外で飲みなおそうぜ」


 カインが肩をすくめると、悪友は白い歯を見せて笑った。


「こんな上品なグラスじゃ美味くないだろ」


「ああ」


 カインもつられて笑う。


 かつて喧嘩ばかりしていた似た者同士の少年たちは、ともに剣の腕を磨き、休日には裏路地の飲み屋で安酒を酌み交わし、すっかり意気投合していた。


 ダグラスはカインの手からグラスを奪って小間使いに下げさせ、バルコニーへと急かす。


 薄い月はほのかに、王子とその護衛が城を抜け出すにはちょうどいい。冷たい夜風が気怠く火照った体を冷ましてくれる。


「まったく、次期国王が女に興味ないなんてな」


「妙な言い方をするなよ。俺は貴族どもの自慢話が嫌いなだけだ」


 カインはふんと鼻を鳴らす。


 次期国王。


 自分にその器がないことは、幼い頃から気付いていた。


 ただ早く産まれただけで第一王子と呼ばれ、王位継承順位は一位となっているが。誰の目から見ても、アレンの方が国王に相応しいのは明白だった。


 老いた大臣や貴族たちと対等に政治を談議し、学者や祭司がたじろぐほどの広い知識を持ち、機知に富んだ会話で人々を、とくに女性たちを楽しませる。身分を問わず民の声に耳を傾け、誠実に応える姿は的確に人心をつかんだ。


 若干十六歳にして、国王に必要だと思われる能力を全て備えている。きっと、アレンの治めるウェーザーはさらに繁栄するだろう。


 ならば俺は、なんのために存在する?


 両親に似ぬ髪と瞳の色、王家に不吉な影を落とす双子、忌み子と嫌われ、なぜ産まれてきた。その答えはまだ見つけられていない。


「どうした?」


「いや。行こう」


 今夜はどこの令嬢が部屋に呼ばれるのだろう。アレンが選ぶのは、有力な貴族や豪商、大地主の娘ばかり。彼女たちを引き込むことで、必ず次代の力となるはずだ。着実に、王としての地盤を固めている。


 カインにはとうてい真似できそうにない。政治の取り引きどころか、恋の駆け引きすら、どうすればいいのかわからないのだから。


 広間からは途切れることなく優雅な音楽と談笑が続く。二人の存在など、はじめからなかったかのように。


 柵を越えようと足をかけた時、突然、ひときわ高い感嘆の声が上がった。


「なんだ?」


 カインたちは振り返り、はっと息を呑む。ダグラスが思わず口笛を鳴らした。


「誰だ? あんな美人は見たことないぞ?」


 カインもうなずく。


 豊かな赤茶色の髪に花と宝石を飾り、真紅のドレスを見事に着こなし、もったいぶったベールが邪魔して顔がよく見えないが、勝気にほほ笑むくちびるは絶世の美女に違いなかった。


「おい、こっちに来るぞ」


 二人はあわてて足をおろし、襟を直す。


 彼女は他の女たちの嫉妬や羨望の眼差しなどものともせずに、まっすぐカインの前に細い手を差し出した。


「行かないと、恥だぞ」


 ダグラスに背中を押され、戸惑いながらカインは女性の手を取る。彼女はくるりと回り、曲に合わせて軽やかに足を鳴らした。まるで風に舞う花びらのように、華麗に広間の中央へとカインを誘う。


「ちょっと待て、ダンスは……」


 せめてドレスの裾を踏まぬようにせっせと足をさばく。見苦しい動きはいつしか彼女に引き込まれ、操られ、ついにはカインがダンスの名手かのように錯覚させた。


 ダグラスは呆然と口を開け、嫉妬していた女たちでさえうっとりと魅入った。


 知らず、カインの胸が高鳴る。


「……何を、考えていらっしゃるの?」


「え、あ、いや、背の高いひとだな、と……」


 こんな時に、気の利いたことを言えない自分が情けない。


 艶やかな紅を引いたくちびるが薄く笑う。少しだけベールを上げ、その美しい褐色の瞳でカインを見下ろした。


「だって、私のほうが背が高いのに、かかとのある靴を履いているからね」


「……っ!」


 みるみるうちにカインの顔が青ざめる。


 ベールで隠されているとはいえ、なぜ気付かなかった。それは嫌でも毎日見ている、自分の顔ではないか!


「あ、あ、あ……!」


「静かに。みんなが見てるよ」


 美女に扮したアレンはいたずら成功とばかりに意地悪く笑い、くちびるが触れそうなほど顔を近付けてくる。


 もはや、何も考えられなかった。とにかく、一刻も早くこの場から逃げなければ。


 しかし曲は終わらず、ただ振り回されるように踊り続ける。いったいどうしてこの窮地を脱したのか記憶にないほどに。


「なんのつもりだ!」


 カインは金瞳をつり上げて、脱いだ上着を床に叩きつけた。


 すでに寝間着に着替えたアレンは、柔らかい絨毯に寝転び、機嫌よく甘い果実酒をなめながらくすくすと笑う。


「カインがもてないって嘆くから、ちょっと噂でも作ってあげようかと思って」


「おまえだってばれたら、よけいに女が近寄らなくなるだろ!」


 怒鳴られ、アレンはぷいっと頬を膨らませた。


「じゃあ、ばらせばよかったね」


 カインは頭を抱えてため息をつく。そんなに国中の女を独占したいのか。この意地の悪さをとりまきの女たちに見せてやりたい。


 不貞腐れてアレンの向かいに座り、素足を投げ出す。せっかく注いでもらった酒を、味わうことなく喉の奥に流し込んだ。


「……いつか、俺にも恋人ができるのか?」


「恋人がほしいの?」


 それすらわからない。だが、王族にとって血を絶やさぬことは重要な義務。そして彼らの両親である国王夫妻は、国を揺るがすほどの恋愛の末に結ばれた。できれば、恋というものをしてみたい。


「だったら、自分から女の子に話しかけないと」


「ん……何を話せばいいのか……」


「なんでもいいよ。ああ、女の子は、褒めてあげるとご機嫌になるね」


 しかしながら、容姿の美しさでこの弟に勝てる女はいないし、頭の良さや気立ての良さもそうである。つい完璧なアレンと比べると、どの女もかすんで見えた。


「いっそ、おまえが女だったらよかったのに」


「え?」


 艶っぽい瞳を向けられ、アレンは思わず後ずさる。


「や、あの、カイン! 私が女だったとしても、兄妹の結婚は、ずいぶん昔に禁じられているからね!」


「そうだっけ?」


 わざととぼけているのか。身の危険を感じ、立ち上がろうとするより先に、強い力で押し倒された。


「わっ! え、ちょ、ちょっと、カイン? え、酔ってる?」


 必死に抵抗するが、鍛え方が違う、押さえつける腕はびくともしない。カインはくちびるが触れそうなほどを顔を近付け、とうとう我慢できずに吹き出した。


「……汚いなあ」


「あはは。さっきの仕返しだ」


 アレンは嫌そうに顔を拭って起き上がる。すっかり機嫌が直ったのか、カインは美味そうに好物の菓子をかじった。


「今のを女の子にしてあげたら、喜ぶんじゃない?」


「嫌だね、めんどくさい」


「それじゃ、だめだよ」


 恋に憧れながら、人付き合いは煩わしいとは我儘な。世話の焼ける兄に苦笑し、アレンはそっと手を差し出した。


「大丈夫。カインは大恋愛して、結婚して、幸せになるよ」


 開いた手のひらに、ふわりと幻影の炎が浮かぶ。


「……」


 その炎を見つめたまま、カインは言葉を失った。ばら色に頬を染め、かつてないほど穏やかな瞳で愛しげに見つめる。


 しくしくと痛む心を隠し、アレンはなるべく楽しそうに笑って言った。


「これが、カインの運命のひとだよ」


 私は会うこと叶わぬ、運命の。


 遠い未来から届いた春風が、最愛の兄を優しく包む。


 その夜以来、カインに変な癖がついた。いつも誰かを探すように遠くを見つめ、ため息をつき、ふとそばにいる女性の瞳を覗き込む。それはひどく思わせぶりな仕草で、美しい金瞳に惑わされた姫君たちから毎日のように恋文が届くようになった。


「カインに何があった?」


 父王レオンが怪訝そうに眉をひそめる。このままでは公務に支障をきたすばかりか、重大な問題に発展しかねない。


「ふふ。カインは恋をしたんですよ」


「恋? 先日の美人はどうした」


「いやだな、父上。あれは私ですよ」


 父王レオンは椅子から転げ落ちそうになるのをなんとか踏みとどまり、平然と書類を片付けているアレンに怒鳴りつけた。


「お、おまえたち、兄弟で何をやっているんだ! 王家を潰す気か!」


「そうならないよう、私ががんばりますよ」


 すました微笑を浮かべながら、後ろを向いて舌を出す。


 誰にも邪魔させない。運命の二人が幸せそうにほほ笑む姿が見えるから。面倒な女たちや国王の責務なんて、全部私が引き受けよう。


「だって私には……」


 運命を乗り越える勇気も強さもないのだから。

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