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少年たちの誓い

 巡察より戻りひと月ほど経ち、ようやく傷の癒えたカインは、久しぶりに登校する日の朝に自ら髪を染めると言い出した。


 揃いの制服を着たアレンと並ぶと、まるで見分けがつかない。早朝訓練に励んでいた兵士たちは戸惑いながら敬礼し、二人を見送った。


「おはようございます、カイン様」


 間違うことなくカインの前に立ちはだかり、腰をかがめて瞳を覗き込むのは近衛隊長ハロルド・ノイエン。さすが父王の親友で、二人が産まれた時から知るだけある。


「な、なんだよ、ハル。遅れるじゃないか」


 気恥ずかしそうに目をそらすカインに、ハロルドはにやにやと笑いながらそっと秘密の話を打ち明けた。


「……そんなわけですから、ちゃんとお父上の言うことを聞いてくださいね」


 ふんとそっぽ向くカインの鼻の頭が赤い。


 あの時、カインがシラーの伏兵に斬られたのを目撃した父王レオン・ボイド・ウェーザーは、逆上し、立場を忘れて全員を斬り伏せた。そしてまだ敵が潜んでいるかもしれない状況で、倒れるまで力を注ぎ続けてカインの傷を塞ごうとしたのだ。


「密偵は生かして捕らえ、尋問するのが決まりなんです」


 国王自ら軍規を破り、危険を顧みずに我が子の命を優先させた。それほどに愛されているのだと、ハロルドは言う。


「そんなこと……」


 言われなくても知っている。素直になれないカインは、むっと口を結んでアレンを追いかけた。


「そうそう、うちのダグラスをあまりいじめんでくださいよ。あれでうちの跡取りなんですから」


「え?」


 なぜ? 一つ年上の姉がいるではないか。怪訝そうに振り返る。


 ハロルドはやれやれと肩をすくめた。


「女子は、跡取りになれないんだよ」


 カインと違い、よく勉強しているアレンが付け加える。


「王位だけじゃなく、貴族や豪商の家督を継げるのも男子だけなんだ」


「変な法律だな」


 同じ両親のもとに生まれながら、与えられた権利が平等ではないなんて。


「ふふ。じゃあ、カインが国王になったら、法律を見直さないとね」


「う……ん」


 嫌な話題だと目をそらした。


     *   *   *


 授業が終わると真っ先に教室を飛び出し、剣術や馬術の稽古場に向かうはずのカインが、珍しく図書室の扉を押した。ずらりと並んだ本棚から選んだのは、法律や歴史について書かれたもの。


(……全然わからない)


 適当にページをめくってみるが、文字は一つも頭に入ってこなかった。


 ふと、本棚の陰にひとの気配を感じる。


 気付かないふりをして様子をうかがうと、どうやら少女たちが数人集まり何やらひそひそと話しているようだった。


「どっちかしら」


「下を向いてるからわからないわ」


「ね、話しかけてみなさいよ」


 しめたとカインはほくそ笑む。これこそカインの狙い通り、アレンのふりをしていれば、彼女たちと話す機会が作れるかもしれないと思ったのだ。息を殺して、少女たちが近付いてくるのをじっと待つ。


 あと一歩というところで、窓の外から少年たちの荒々しい声が聞こえてきた。


「おい、待てよ!」


「逃げるな!」


「やめて! 僕、アレンだから!」


 見れば、いつもカインに殴られている少年たちが、悲痛な顔で逃げるアレンを追い回しているではないか。彼らはアレンを壁際に追い詰め、指を鳴らした。


「それならそれで構わないさ」


「どっちにしたって気に食わないからな」


 いよいよ逃げ場を失い、アレンは情けなく頭を抱えて目を閉じた。


「おい、ダグ! 何やってんだ!」


 言うが早いか、カインは窓から飛び出し、その勢いのまま一人めに殴りかかる。


 もちろん、少女たちはあっという間に消え去った。


 殴られた少年、あの近衛隊長の息子ダグラス・ノイエンは血の混じった唾を吐き、カインを睨みつける。


「なんだ、弱虫王子か。弟を身代わりにして、恥ずかしくないのか?」


 単純なカインはそれだけで逆上し、顔を真っ赤にして全身を戦慄かせた。ダグラスはあざ笑い、さらに焚きつける。


「どうした、殴れよ。弱虫に殴られたって効かないぞ」


 拳を振り上げ、今にも殴りかからんとするカインを、アレンが必死に止める。それをいいことに、少年たちはわざと挑発するような言葉を並べた。


「強いつもりでいたのか? 俺たちが王子様相手に本気を出すわけないだろう」


「な……」


 それでは、今までの喧嘩もわざと負けていたと言うのか。打ちのめされ、カインは動けなくなる。もう、力に任せて殴りつけることはできない。


「じゃあ、ダグラス。本当に強いのはどちらか、この場で決めるといいよ」


 カインがそばにいれば、恐れるものなどない。アレンは冷静に場を取り仕切った。


 少年たちは色めき立つ。


「決闘だ」


「カイン王子とダグラスが決闘だ」


 思いがけない展開に、ダグラスは狼狽える。


「だ、だから、王子相手に本気を出せるわけ……」


「決闘のきまり、知らないの?」


 互いの名誉をかけた一対一の真剣勝負。そこに身分など関係ない。


「カインが勝てば、ダグラスはカインに従うこと。ダグラスが勝てば……そうだね、カインはダグラスを次期近衛隊長として認める、というのはどうかな」


 家督は継げるが、隊長職は世襲ではない。ダグラスの目の色が変わった。何としても勝たなければ。拳を握り直し、息を呑む。


「これはカイン、ダグラスの名誉をかけた正統な試合であると同時に、次期近衛隊長を決める重要な御前試合である」


 アレンは宣言し、バルコニーを見上げた。いつからそこにいたのか、レオンとハロルドが笑いながら手を振っている。


「両者とも、正々堂々と戦うように。ああ、まだ未成年だから、木剣を使うんだよ」


 急いで下級生が訓練所に走り、木剣を二本借りてきた。カインとダグラスはそれを受け取り、睨み合う。


「どちらが勝つと思う?」


 レオンが尋ねると、ハロルドは自信満々に答えた。


「うちのですよ」


「俺もそう思う。カインはいざって時に根性がないからな」


 夕暮れの風が中庭を通り抜ける。噂を聞きつけた少年少女たちは、学舎の窓や渡り廊下から身を乗り出して二人を見守った。


「はじめ!」


 アレンの合図と同時に、カインが地を蹴る。ダグラスは次々と繰り出される剣を受け止め、かわすのが精一杯、反撃の余地がない。


「なんだ、本気でやるんだろ! いつもと変わらないじゃないか!」


 重い剣撃に腕が痺れる。あんなふうに言ったものの、ダグラスは常に全力だった。どうしても、勝機が見出せない。


「ちくしょう、王子は気楽でいいよな! 努力しなくても国王になれるんだから!」


 世襲ではないが、歴代の隊長はノイエン家の長男が就任している。それは幼いダグラスにとって重圧だった。せめて同年代の男子の中で最強にと思うのに。この王子が強すぎるせいで……!


 歯を食いしばり、懸命に隙をうかがう。


 そんなダグラスの気持ちなど知らぬ仲間たちは、早く反撃しろと野次を飛ばした。


(ちくしょう、このままじゃ……)


 焦り、嫌な汗に手がすべる。


 追い撃ちをかけるように、カインは問うた。


「おい、ダグ! なぜおまえは、ハルの後を継ぎたいんだ! 強さを見せつけるためか!」


 それは、カイン自身に向けられている問いでもあった。


 なぜオレは国王になりたい?


 なぜ強くなりたい?


 半身に負けたくないからか。


 一番だと威張りたいからか。


 違う!


「だからあんたは、馬鹿王子なんだ!」


 ダグラスは渾身の力を込めて木剣を振りかぶった。


「……二人とも、気づいたね」


 静かにほほ笑み、アレンは少しだけ首をかしげた。その瞬間、アレンの後頭部に隠れていた夕日が、カインの両目に突き刺さる。


「うわっ……!」


 色素の薄い金瞳は光に弱い。思わず動きを止め、顔を伏せた。


「隙あり!」


 鈍い音が響き、カインはぐうと呻いてその場に崩れ落ちる。喉元に剣先を突きつけられ、やむなく木剣を捨てた。いや、脳が揺れ、剣を握る手に力が入らなかった。


「……まいった」


 目が開けられない。恥ずかしくて。負けたことではなく、己の小ささ、幼稚さ、愚かさが、恥ずかしくて。


「勝者、ダグラス・ノイエン!」


 わっと歓声が上がった。少年たちはダグラスに駆け寄り、栄誉をたたえる。レオンもハロルドも満足そうにうなずき、部屋に戻っていった。


「木剣でよかったね」


 アレンだけがカインのもとに残り、割れた額をつついておかしそうに笑う。


「……痛い」


 カインは地面に寝そべったまま、ふんとくちびるを尖らせた。もしもアレンが動かなければ……いや、運も実力のうち、負けは負けだ。そう認めてふと息をついた。


 アレンが傷口に手をかざすと、カインは不要とその手を払う。


「傷が残るよ」


「いい。この誓いを忘れないために」


 眉間のあたりで固まった血をシャツの袖で拭い、痛みをこらえて起き上がった。


「おい、ダグ。答えを聞いてないぞ」


 ダグラスは仲間の輪から離れ、カインとアレンの前に剣を掲げた。


「俺、いや、私、ダグラス・ノイエンは、この命あるかぎりウェーザーとウェーザーの民のために尽くすと誓う」


 同じくカインも剣を掲げ、ダグラスと向き合う。


「いつか、私、カイン・トマ・ウェーザーが王位に就く日がきたら、命をかけてウェーザーとウェーザーの民を守ると誓う」


 似た者同士の少年たちは、この決闘により強さを求める理由と意義を知った。もう、無益に争うことはない。めざすところは同じなのだから。


「ダグ、もし国王になるのがオレじゃなくても、今の誓いを守るか?」


 ダグラスははっとして、カインとアレンを見比べた。


 そうだ、この二人は生まれた順番だけで第一、第二王子と呼ばれるが、どちらも王太子とは呼ばれない。時期国王も決まってはいなかったのだ。それを気楽だなどと。


「俺は、あんたに仕えるんじゃない。国に仕えるんだ」


 非礼を詫びることができるほどの大人にはなれず、決まり悪そうに顔をそむけた。しかしカインはおおらかに笑って未来を約束する。


「だったらオレは、おまえを時期近衛隊長に推薦するぞ」


 なんとまぶしい笑顔、ダグラスは心の中でひそかに負けを認め、忠誠を誓った。


 この日より二人は互いに背を預け、いつしか親友と呼び合うようになる。


     *   *   *


 翌日の放課後もアレンのふりをして本を読んでいると、勇気ある少女が話しかけてきた。


「カイン様? それともアレン様?」


「……どっちだと思う」


 見上げる瞳は金色。それでも少女はにっこり笑って向かいの席に座った。


「昨日の試合、とてもかっこよかった」


「負けたけどね」


 きりりとした表情がアレンと違い男らしく、少女はつい見惚れる。


「カイン様、もっと怖いひとだと思っていたわ」


「理由もなく殴ったりしないし、女の子には絶対に手をあげない」


 遠巻きに見ていた他の少女たちは、穏やかな様子にきっとアレンなのだと思い、私も私もと近付こうとした。それを遮る影。


「なるほどね、そういうことだったんだ」


 仁王立ちで見下ろすアレンの笑顔が引きつっている。しまったとカインは舌打ちした。


「おかしいと思ったんだ。みんながちっとも寄ってこないから。そう、カインの方がいいんだ。じゃあ、宿題は自分たちでやりなよ」


 アレンが図書室を出ていくと、少女たちは全員その後を追いかけていった。


「な……何が二人で一つ、だ!」


 ちっとも平等じゃない。ばかばかしくなり、カインは髪の染め粉を洗い流した。


「あら、元に戻したのね」


 母のエリシア・トマがにこにこと笑いながら、部屋に招き入れる。二人きりが気恥ずかしくて、カインはもぞもぞと落ち着かない。


 甘えてくれないことを寂しく思いつつ、エリシアは茶と菓子を出してやった。


「きれいね、金髪」


「え?」


「母様も、金髪がよかったわ」


 一族の者はたいてい金色だが、ウェーザーの血が入ったエリシアは赤茶色だった。


「カインがトマの血を継いでくれて嬉しい」


「……オレはまだ、トマを名乗れるほど強くないです」


 この数日の間に、二度も命を落としかけた。自分の力を過信した結果だ。


「オレはこの金髪金瞳に恥じぬよう、そしてオレが盾となりウェーザーの民を守れるよう、必ず強くなります」


 エリシアは穏やかに愛し子を見つめた。いつの間に、こんなにたくましく育ったのだろう。でも、どうか危険なことはしないでと願う。


「あの……オレは、アレンが次の国王になればいいと思います。オレは剣しか得意じゃないから」


 きっとそれが、双子として生まれた意味なのだろう。優秀な弟が国を治め、自身はそれを守る。懸命に考えた答えだった。


「同じことを言うのね」


「え?」


「アレンは、あなたが国王になり、それを支えるのが自分の役目だと言っていたわ」


 姿はそっくりなのに、性格はまるで正反対。しかし、兄弟を想う気持ちはやはり同じだった。


 二人が生まれた時に争いの未来を嘆いた賢者たち、もう憂う必要もあるまい。


「どうしてアレンは、オレに譲ろうとするのでしょう?」


 さあ、とエリシアは首をかしげた。


「私は、二人とも同じくらい魅力的な王子だと思うもの」


 誉められることに馴れていないカインは、恥ずかしそうにきゅっと肩をすぼめた。


「あの、お菓子をもう少しいただいてもいいですか?」


「夕食に差し支えないかしら」


「いえ、あの……」


 部屋に持ち帰り、アレンにも食べさせてやろうと思ったのだ。


「二人とも、男の子なのに甘い物が好きね」


 エリシアはほほ笑み、菓子を包んで持たせてやった。


     *   *   *


 空には星が瞬き、優しい風が双子の王子の髪を撫でる。


 城壁から扇形に広がる城下町、あたたかな明かりがこぼれる家々から立ち上る夕げの煙を、見るともなしに見ていたカインがぽつりとつぶやいた。


「……アレンの方がいいと思う」


「何が?」


 わかっているくせに。カインはむむっと眉をひそめる。それでもアレンは静かに続きを待った。


「アレンが国王になった方が、みんな喜ぶと思う」


「でも僕、なりたくないよ」


 思いがけない答えに面食らう。その顔がおかしくて、アレンはけらけらと笑った。まるで少女のように可愛らしい。


「だって僕が国王になったら、気楽に女の子を口説けなくなるもん」


「オレはまじめに……!」


「大丈夫。カインは、いい国王になるよ」


 アレンは夜空を見上げ、断言する。しかし、いくら目を凝らしてみても、星たちが何を語りかけているのか、カインには読み取れなかった。今この瞬間に、同じ景色を見られないのが悔しい。


「ねえ、カイン。母様のお菓子は?」


「え、あ、そうだった」


 仲良く寝室に戻り、甘い菓子をかじり、厨房からくすねてきた果実酒を舐める。他愛のない会話が寝息に変わるまで、今夜も秘密の茶会は続く。




 ねえ、カイン。


 悲しみや苦しみなんて、僕が全部引き受けるから。


 だからカインは幸せになって。


 カインの幸せは、僕の幸せでもあるんだから。


 たとえどんな困難が待っていても、乗り越えられるくらい強くなって。


 その向こうには、必ず幸せがあるから……

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