湯豆腐屋にて
教えられた道を進んで行くと、表通りから外れた狭い通りの奥にその店はあった。軒先に四角い木枠で囲まれた行灯のようなものが下がっていて、「たまや」とひらがなで書いてあった。
夕暮れ時であり、その行灯の光が路面を鈍く照らしていた。
黒い漆喰のような壁に続いて引き戸があり、暖簾がかかっていた。暖簾の
片隅に小さく「湯どうふ」。
引き戸をあけると、右手にカウンターがあり、何人かの客が座っていた。
あの、先生に呼ばれて来たんですが、とカウンターの中の板前さんに声を掛けた。
「ああ、二階だよ、おーいお客さんを案内して」
奥から、割烹着姿の仲居さんが出てきて、はい、こちらへどうぞ。
奥へ進むと左手に階段があった。「靴はこちらでお脱ぎください、下駄箱へ入れておきますので」
仲居さんに言われ靴を脱ぎ二階へ上がった。
二階へ上がると、右手が上窓で廊下が奥で左に曲がっていた。
「お客さん、お連れさんがお見えになりましたよ」
後からついてきた、仲居さんが声をかけた。
おお、来たかこっちだ。左手の襖の中から、聞き覚えのある声が聞こえた。
襖を開けると、そこは四畳半位の畳部屋で、先生が酒を吞んでいた。
おお、よく来た、ま、座れよ。
先生の前には丸い火鉢があり、火鉢の両側に木製のテーブルがちょうど火鉢を囲むように切られていた。
先生は酒を一口呑むと、先にやってたよ、君はまずビールか。
おーい、ビールを持ってきてくれ。
先生は和服姿であぐらをかいて、寛いでいるようだった。テーブルに二本燗ぴんが見えたが、胴が長く口が細い形をしており、珍しい形をしていた。
僕が燗ぴんを見ていると、この燗ぴん余り見ないだろ、ほら、良く時代劇の居酒屋のシーンがあるだろ、その時に出てくるやつだよ、江戸時代の酒はこんなやつに入れていたんだよ、と言いながら先生はまたぐいと酒を呑んだ。
先生の前には小皿があり、塩辛のようなものが入っていた。
これか、これは「このわた」だよ。
このわた?
なまこの腸の塩辛さ、これが酒に合うんだよ。君も一つどうだ、おお、どうせ持ってくるだろう。
そこへ、仲居さんが盆にビールを載せて持ってきた。目の前でビールの栓を抜いて、テーブルの上に置いた。と、小皿をひとつ僕の前に置いた。
「これは、付きだしです」
おなじく「このわた」のようだった
先生はそのビールを取ると、ま、一杯ぐっといこうと言って僕にビールを注いだ。
ビールを一口呑むと、空っ腹にグッと沁み込んだ。
あれは、正しいやり方だね。
何がですか。
客の目の前でビールの栓を抜くということだよ。ビールの栓を抜いて持ってきちゃいけない。毒を入れられてもわからないだろ。
まさか、先生。
いや、たとえ話だよ、ただ、あれは正しいやり方だよ。
(酒は燗ぴんで来るのに)と思ったが言わなかった。
いやあ、どうだ、この部屋良いだろ。
そういわれてぐるりと部屋を見渡した。
先生の右後ろは床の間になっており、土壁には陶器に一輪花が挿している。何の花かは知らない。部屋の天井は板張りになっている。また、僕の後ろにも入口があるが、半分ほどの高さになっていた。
ここは茶室にもなるんだよ。その後ろの入口は躙り口だよ。なかなか、しゃれているねえ。
先生は懐から煙草を取り出すと火をつけた。
まだ、煙草辞めてないんですか。
まあ、いいじゃないか。この歳まで吸ってきたんだから、いまさらだよ。
しかし、僕はいつでも煙草は辞められるんだよ。以前、1か月、2か月、3か月と辞めたことがある。なんだ、いつでも辞められるんじゃないか、と思ってね。
君は吸わないのか。
僕は吸いません。
面白くない奴だな、煙草くらい吸えよ。
いま、煙草を「吸わない」といっただろ。
はあ。
正確には「嗜む」というんだよ。「嗜む」という言葉は良い言葉だね。
酒を嗜む。煙草を嗜む。「たしなむ」という言葉が良いね。品があるよ。
煙草を吸うなんていうと、ただ煙を吸っているみたいじゃないか。
品が無いよ。
(いま、吸わないのかといったくせに。)
まあ、今日は飲もう、君の慰労会だ。そうだ、何か刺身でももらおうか。
何か食べたいものがあるかい。
いや、特にないですが。
寒くなったからね、今頃の刺身は何があるんだろうね。
おーい。仲居さん。と手を叩いた。
ちょっとして、仲居さんが襖を開けた。
「はい、なんでしょう」
今日は何か、うまい刺身はあるかね。
「今日は、鯛とイカくらいですね、海が時化て漁がいまいちらしくて」
そうか、じゃ、それで良いから、盛り合わせにしてくれ。
あ、それから鍋もおねがいね。
「はいわかりました」
先生は火箸を取ると、傍らから炭を挟み火鉢の中へ入れた。
炭は赤々と燃えていた。
火鉢は良いねえ。最近はあまり使われないけど、昔はどこの家にも火鉢があったもんだよ。股火鉢といってね。火鉢の上を跨ぐんだけど、これが温かいんだよ。長いと熱くなっちゃうけどね。
君の家には火鉢はあったかい。
いや、覚えてないですね。
君の出身はどこだったけ。
秋田です。
ほお、秋田。秋田のどこだい。
大曲というところですが、ご存じですか。
大曲!知ってるよ。昔、サラリーマンだったころ行ったことがあるよ。
いいところだね。雪深いところだね。
僕が行ったのはいつだったかな。今頃だったかな。
雪が積もっていたな。ほら、玄関先になんかちょろちょろ水を流していて、あれは凍結防止なのかな。
そうです。雪が降ると凍るので入口に水を流していることころもありますね。
秋田は酒が旨いね。東北は米どころだからどこも旨いけど。辛口の酒だね。僕は九州出身だが。九州も酒は旨いけどね。あ、鹿児島は別だよ。
あそこは、焼酎だから。
秋田の酒は辛口でいくらでも飲めるね。そうだ、きりたんぽ鍋も食べた記憶があるなあ。今は冬でも青物野菜があるが、昔は、冬は青物野菜が無くて、
だいたい根菜ばかりでね。大根やごぼう、里芋とかね。だから、きりたんぽ鍋の見た目が茶色い感じだったね。僕が食べたころは青物野菜もあったはずだが、わざとオリジナルにしてくれたのかな。
しかし、秋田の冬は夜が長いだろ。だから、酒も甘くちゃいけない。濃くてもだめだね。やはり、辛口でなきゃ、ずっと夜通し飲めないだろ。
そうだろ?
いや、僕はそんなに飲みませんので、よくわかりません。
まあ、君の親父さんの世代だろうね。あの頃はよく酒をのんでたよ。
まあ、時代は変わるというか、良く変わっているのか、どうなのか僕にもよくわからんね。
変わらないものがあるとすれば、なんだろね。君はどう思う。
さあ、なんでしょうか。愛だったり、食べ物の味覚とかですかね。
お、しゃれたこというじゃないか。愛ね。愛こそすべてという言葉もあったね。食べ物も、うまいまずいは個人差があるけど。甘い、辛いはあるよね。
僕なんかは、というか、母親の料理がその人間の味覚を決めると思うね。
僕は人間の味覚は12歳までに決まると思っている。
それは何かの研究の結果ですか。
いや、ぼく個人の意見だ。
12歳までに、新鮮な野菜や魚を食べた人間と店屋物みたいな人間では、なんかこう、味に対する繊細さみたいなものに違いが出るんじゃないかな。
ほら、京料理だって、薄味で繊細じゃないか。
それは、京都の公家や貴族は体を動かさないから、塩分を体が要求しないんじゃないですか。織田信長が京料理を食べて不味いといったので料理人が再度作り直したら、今度は旨いといったらしいですが、後から聞くと料理人は塩味を濃くしたそうです。その料理人は田舎者の味に合わせただけだと言ったそうですよ。
おや詳しいね。それも一理あるね。
織田信長もあと一歩のところで、天下統一を逃したね。織田信長が天下を取っていたら日本はまた違った国になっていたかもしれないね。
楽市楽座とかね。外国貿易を盛んにして経済が発展したのではないだろうか。
まあ、寺の焼き討ちとかひどいこともしてるけど。まさか、部下の明智光秀に討たれるとはねえ。クーデターみたいなもんだね。しかし、明智光秀あっさりやられて、ねえ、三日天下と言われたけどどう思う。
明智光秀に人望がなかったのか、また違う陰謀があったのかわかりませんね。
確かに、歴史にもしは無いというからね。歴史は事実の積み重ねだからね。
襖が開き、仲居さんが刺身の盛り合わせと鍋を持ってきた。刺身は二皿に分けてあり、鉄鍋を火鉢の上に置いた。
「火が通ったらお食べ下さい。ここに取り皿とお玉、それと醤油、スダチを
置いときます」
ここの豆腐は旨いんだよ。豆腐の味というか、大豆のうま味を感じるよ。
どれどれ、豆腐に白菜、長ネギ、春菊、エノキ、にこの魚はタラか。
まあ、こんなものだな。お、つくねも入っているな。
先生は酒を自分の猪口に注ぐと、おい、一杯どうぞと僕にも酌をくれた。
酒が無くなったな。
先生は襖を開け、おーい、酒をもう2本持ってきてくれと大きな声で叫んだ。階下で「はーい」という声が聞こえた。
ここは、今時のピンポンとかいうしゃれたものがないから、大きな声をださなきゃいけないよ。
君は酒でいいのか、焼酎もあるぜ。
いや、お酒で結構です。
ねえ君、明治維新を知っているだろ、あれは革命だね。
江戸幕府から主権が変わったんだ。薩長土肥が主体となって幕藩体制を壊したんだよ。幕府側には新撰組とか改革派には坂本龍馬とか。色々あったけど、僕が思うに、皆んな若者が命を恐れず国のために立ったわけだよ。
吉田松陰の門下生とかね。
おや、酒が進んでないで、もう一杯いけよ、ほら。
僕は酒を飲みながら先生の話を聞いていた。だいたい、酒が入るとこの先生はやれ、国だ、志だと決まって言うのが常である。
お、お前また俺がいつものように言い出したなと思っているだろ。まあ、良いよ飲めよ。と自分の猪口に酒を注いだ。
この酒はなかなかいけるな。若干あまいけどな。どうだ。
いや、美味しいですよ。
そうか、俺はね、明治の志士達もこんな部屋で、酒を飲みながら国の行く末を論じていたと思うんだ。
金もあまり無いから、湯豆腐をつまみながらね。だから、今日は湯豆腐にしたんだよ。ほら、もう煮えているからつまめよ。
僕はお玉で豆腐と白菜を皿に入れた。
先生が、お、薬味は何かな、もみじおろしはあるか、あるな、うん、醤油にもみじおろしを入れて、それ、それはスダチか、それを入れて食べろよ。
俺は九州人だから、スダチよりもカボスが良いんだが、スダチの方が上品な香りがするから、まあ、良いや。
だから、さっきの話だけど、我々も天下国家を論じようじゃないか、どうだ。
先生、こんな四畳半の小部屋で僕らが天下国家を論じてどうするんですか。
なんだ、お前は志の無いやつだな。酒が飲み足りないんだろ、ほら、もっと飲めよ。
十分いただいてます。
まあ、この豆腐をつまみながら、酒を飲みながら、天下国家を論ずるには、この茶室のような空間がぴったりだと思うんだ。
そうは、思わないか。
刺身はどうだ、鯛はまあまあかな、イカは結構新鮮だぞ。
最近、スルメイカが高くて、残念。スーパーで見ると産地はタイ国だってよ。
日本のイカはどこに行ったんだろうね、悲しいね。噛めば噛むほど味があったあのスルメイカ。ああ、悲しい。そうは思わないか。
昔のイカを食べたことがないのでわかりません。
そうだな、これはノスタルジーかもしれない。皆んな、ノスタルジーになって行くんだな。老兵は去るのみか。
先生はまだ、若いじゃないですか、もっと作品を書いて、皆んなを元気づけて下さいよ。
おや、君に言われるとはね、今日は君の慰労会なのに、逆にこっちがハッパをかけられちゃったな。
酒はあるかい、ほら、飲めよ夜は長いぜ。おや、炭が消えてきたな。君、追加の炭をもらってくれないか。酒もな。
僕は、襖を開け、すみません、炭とお酒をお願いしますと言って、廊下の窓を見上げたら、丸い月が煌々と照っていた。




