赤ん坊の仲直り
今回はいつもと比べて少し長いです
――朝だ。
目を覚ました瞬間、最初に浮かんだのは試験ではなかった。
エリナさんの顔だ。
昨日の夜、母さんから聞いた話が、頭の奥でまだ整理しきれていないまま残っている。
「……やらないとな」
ベッドから起き上がり、身支度を整えながら、そう呟く。
仲直り、だ。
言葉にすると簡単だが、実際にやろうとすると、どうしたらいいのかわからない。
俺はこれまで、人と喧嘩したら――切ってきた。
言い争いになったら距離を置き、価値観が合わないと感じたら、関係を終わらせる。
そうしてきた。
仲直りを「する」という選択肢自体、持っていない。
どう声をかければいい?
何から言えばいい?
謝る? でも、何を?
「……わかんねぇ」
小さく息を吐き、部屋を出る。
――――――――――――――――――――――――
朝の屋敷は、静かだった。
廊下を歩く音がやけに響く。
使用人たちの気配はあるが、視界には誰も入らない。
――いた。
廊下の先で、エリナさんが掃除をしている。
いつも通りの動き。
いつも通りの無表情。
……今だ。
そう思ったのに、声が出ない。
喉の奥が詰まったようになって、言葉が形にならない。
(……なんて言うんだよ)
「昨日はごめんなさい」
それとも
「何か気に障ることを言いましたか」
どれも違う気がする。
正解がわからない。
結局、俺は何も言えず、そのまま通り過ぎた。
――――――――――――――――――――――――
試験官は俺がニ歳児なのを考慮され、家に直接来ることになる。
その時が刻一刻と近づき、玄関の前で座って試験官を待っていた。
昼が近づいている。
胸の奥が、じわじわと重くなってきた。
エリナさんと仲直りをするのは……無理だろう。
これまでたくさんエリナさんと2人きりになれるチャンスはあったが、何も口から出せる気がしなかった。
……まぁ試験が終わったらでいいだろう。
…………いや、終わった後でも、無理かもしれない。
諦めかけた、その時。
「……アルト様」
呼ばれた。
顔を上げると、そこにエリナさんが立っていた。
視線が合う。
ほんの一瞬、躊躇したように見えてから、彼女は静かに頭を下げた。
「すみません」
予想していなかった言葉だった。
「アルト様が、話しかけてくださろうとしているのは……わかっていました」
胸が、少しだけ強く脈打つ。
「それなのに、私が無視するような態度を取るのは……いかがなものかと思い……」
顔を上げたエリナさんの表情は、どこか固い。
「……これでは私の方が子供ですね」
「俺もそうでした!」
俺は咄嗟に言葉がこぼれ落ちていた。
まずい、一人称が。
「あ、ぼ、僕もどう話していいかわからなくて」
咳払いをして、言葉を探す。
「えっと、なんであんな態度を取ったのか、教えてくれませんか?」
「……」
エリナさんが俯いたまま時間が過ぎていく。
「わかり……ました、教えます。そのためには、子供の頃を話さないといけないのですが、よろしいでしょうか?」
随分と渋そうな顔で悩んでいたが、教えることを決意してくれたようだ。
「はい、お願いします」
……寄り添えば、人は分かり合える。だっけな?
俺はエリシアのことを心の中で再評価していた。
――――――――――――――――――――――――
《11歳 エリナ・ローヴァル》
今日は、お婆様が家に来るんだ。
アリス・ローヴァル、優秀な魔術師を数多く生み出してきたローヴァル一族の中でも最高の地位、天級の座を獲得した人、私の憧れの人が、ついにうちに来るんだ。
アリスさんは普段は放浪生活で、家には滅多に帰ってこないから、今日で会うのが初めてだった。
玄関で使用人の人たちと待っていると、扉が開いた。
「たっだいま〜!」
あ、あれ?
そこにはギリギリ20代いっているかどうかくらいの女性が現れた。
「あ、この子がエリナちゃん?」
「え、は、はい」
もしかしてこの人が……
「私がアリスだよー。会いたかったんだっけ?」
この人が……アリス……私のおばあちゃん?
え!?70歳くらいだと思ってたのに、なんでこんなに若いの!?
「え、あの、その」
アリスさんは頭に疑問符を浮かべながら質問してきた。
「あ〜ごめんね、びっくりさせちゃったかな?最近水魔法を使って若返りに成功したんだよねーあと何百年も生きれそうで、おばあちゃんハッピーだよ!」
水魔法で若返り?そんなの不可能に決まってる……
「お母様、おかえりなさい」
「あ、デイビス!会いたかったー!」
私が戸惑っていると、お母様がアリスさんに話しかけにきていた。
まずい、魔法のコツとかを聞こうと思ってたのに。
「あ、エリナちゃん、私に聞きたいことってあった?」
「あ、はい。その、今夜私の部屋に来てくれませんか?その時にでも魔法の座学を……」
ダメ元で頼んでみると
「わかった!じゃあ今夜時間空いたら速攻行くからね〜エリナちゃんはまだまだピチピチなんだからすぐに寝ないと」
「わ、わかりました!」
よかった、少し変な人だけど、魔法がすごいだけじゃなくて気配り上手な人だ。
ってだめだ。
憧れじゃない、私はいつかアリスさんも抜いて、この一族の頂点に立つんだ。
――暗くなってきたな。
そろそろアリスさんが来る頃かな?
ふふ、アリスさんは私達の一族の中でも突出した魔術の才能を持っている。
これには何かアリスさんだけの魔法のコツがあるはずだ。同じ血統なんだ、間違いないはず。
それに、アリスさんは9歳で初級魔術師になったけど、私は8歳で受かったんだ。アリスさんにも負けていない。なんなら、今すぐにでも低級魔術師になれる自信だってある。
コンコン
「あ、どうぞ」
「おっじゃましま〜す、お?可愛い部屋だねー」
アリスさんは私の部屋に入り、いきなり私のベッドの横に座ってきた。
「さてさて、じゃあなにを知りたいの?なんでも教えてあげるよ〜あ、流石に極秘な調査内容は教えられないものもあるかな」
「さ、流石にそこまでは大丈夫です」
本当になんでも答えてくれるんだ……!
「じゃあ……まずは、どうやって水魔法で若返り魔法を使えているんですか?」
最初に魔法のコツを聞こうと思ったが、さっきから若返り魔法のことが気になってしょうがなかった。
「う〜ん、いきなり極秘内容に近いけど、ま、一部だけならいっか!」
指を立てながらアリスさんは説明を始める。
「水魔法のことをわかってないバカが多いんだけどさ、水魔法は回復能力もある理由は知ってる?」
「は、はい、体液や血液を活性化させる、でしたよね?」
アリスさんはため息を吐きながら残念そうな顔をしている。外してしまったそうだ。
「あ、ごめんねエリナちゃんは悪くないよ。クソみたいな教育をしてるこの世界が悪いんだよ」
なんか、時々アリスさんは口が悪いな。
「活性化っていうのは炎魔法のものなんだよね。でも炎魔法で回復は無理だ。細胞を活性化させる程度ではかさぶたができるのが早くなる程度だ」
「確かに、傷がすくすくと治るとは思えませんね。いくら早く細胞を動かしてもすぐに治療ができるのは飛躍してるような気が……」
「お〜」
パチパチ
アリスさんは手を叩き始めた。
「わかってるね〜、水魔法は出血部位の水分圧を調整して止血、魔力流速を安定化し炎症抑制、栄養・魔力供給を集中して修復促進。とかもろもろしてようやく傷を直せるんだよ。修復促進だけは炎魔法も似たようなことができるんだけどね。これを直感でやる子が多いからこのことがあまり知られてないんだよ」
「……要は、水魔法は体内の液体を全て操れるから、それを駆使して……例えば細胞間の液体を促進したり形を変えたり……」
「ふふ〜これ以上は考えても無駄だと思うよ?エリナちゃんが習ってない範囲のことも関わって来るからさ」
……まぁ私が知りたいのは若返りについてじゃないんだし、話を進めよう。
「えっと、じゃあアリスさんが魔法を使う時に意識してるコツとかありますか?」
目を瞑り、両手を組んで悩みながら考えている。
「う〜〜ん、ない!」
……え?この人は何を言っているんだ?
「……魔法を使うのに考えないなんてことありえないですよね?」
「え?ありえるよ?というか、全部考えなくても使えるけど……」
そ、そんなのありえない、魔法は考えて、感じて、初めて使えるんだ。
「じゃ、じゃあ!どうやって……あなたは……そんなに強く……」
アリスさんはポンと手を鳴らして閃いたように私に陽気に話しかける。
「あ!もしかして、エリナちゃんは私よりすごい魔法使いになりたいの?実はそれって無理だよ?」
「…………えぇ?」
何を、言って
「魔法使いっていうのは、実は魔法の才能はぜーーんぶ遺伝によって決まるんだよね。つまり、親は子供を超えられない」
黙れ
「私魔術探知が誰よりも自信があるんだけどさ、エリナちゃんはあんまり大したことないねー、デイビスよりもかなり劣化しちゃってるなぁ」
黙れ黙れ黙れ
「まぁ剣士目指してみたら?剣士は才能が全てじゃないし、トップを目指したいなら剣を今から始める方が何倍もおすすめ――」
「黙れ!!!」
こいつ、私をどれだけバカにすれば
「お前はなんで全部わかった気になってるんだよ!!!才能云々だってお前の憶測でしかないだろう!?お前よりも一年も早く初級魔術師にだってなった!!そうやって超えられたくないからって適当に嘘を言ってるんじゃねえよ!!!」
私は一気に話して、息が絶え絶えになった。
なぜか知らないが、涙が止まらなかった。
「……終わった?」
「……」
「終わったなら、反論させてもらうね?」
「……」
「まず、初級魔術師の話からかな?実は私、生まれた時から魔法が使えてたんだ。初級魔術師の試験があるなんて初めて知ったのがその時だから、エリナちゃんがたまたま私より早く合格しちゃったんだね」
「…………」
「それと、親の才能を子が超えることがないっていうのも憶測じゃなくてね、私は色んな人と子供を作って試してきたんだけど、全員超えることはできなかった。20人くらいだったかな?これが根拠だよ」
「………………」
「これで、満足した?私を超えることは一生できないだろうから、トップを目指すなら剣士になればっていうのは妥当な考えだと思うけど、どう?」
「……………………」
こいつは
「気持ち悪い」
「え?」
「私の部屋から出て行け、化け物」
「……わかったよ、もし機嫌が治ったら、いつでも私に声かけてね」
ギィ
「おやすみ」
「死ね、化け物」
バタン
――――――――――――――――――――――――
「ということがあり、私は魔法が今後、誰かの劣化であることに尾を引き、魔法をまともに使えなくなりました。家族の期待に応えようとも……何も魔法を使えなくなりました。今ではカシウス様のおかげで、魔法は使えるようになりましたが」
……あまりにも壮絶な過去に、俺は絶句しかできなかった。
「それでも、まだアリスが言ったことは頭に残っていました。アルト様と初めて会った時、いい目をしていたのは事実ですが、それ以上に、アリスの理論を破綻してやりたくなりまして、だからあの時アルト様がご家族の2人を追い抜いたことをひどく喜んでいたのです」
まぁ、悪くいうならつまり、俺は利用されていたということだろう。
「本当に、すみませんでした。アルト様をまるで物のように扱ってしまいました」
「お願いですから、謝らないでください」
「え?」
俺は頭を下げてきたエリナさんに頭を下げた。
「あ、アルト様?どうしてあなたが」
「謝ってほしくないので……」
彼女は俺と重なって見えたんだ。
クソ神のマコトが人のことなんて考えずにズカズカと乗り込んでくる時の対応とか、家族の期待に応えるために努力をしたがうまくいかずに、嫌になったところが。
12歳で魔法を辞めたと聞いていた、つまりは使えなくなってから1年も努力をしていたんだろう。
……1年も結果が出ない努力ができるのか?しかも、それで全てが嫌になって諦めたりせず、今度は剣術を学んだ。
彼女は……すごい人だ。
むしろ、重なって見えることが、もしかしたら……失礼なんじゃないかと思うほどに、彼女が眩しく見えたんだ。
このことを彼女にどうしても伝えたいが、伝えられない。
「俺は、それでも努力をし続けたエリナさんを、尊敬しています」
「……私が」
「謝らないでくださいよ、俺は、エリナさんに協力して、中級魔術師の試験をクリアして、そのアリスって人を論破してやりましょう!」
「……なんであなたはそんなに、優しいのですか?」
優しい?そんなことないさ。
「さっき言ったじゃないですか、俺はあなたを尊敬してるんです。尊敬してる人のためなら、そのくらいさせてください」
「……はい」
彼女が答えると、涙を一粒、また一粒と涙を流し始めた。
え?
「あ、あの大丈夫で――」
バッ
エリナさんが俺を胸に抱き寄せた。
ど、どうした!?こんなこと今まで一度も――
「私は本当に……主人に恵まれました」
「…………俺こそ、いい師匠に恵まれました」
とりあえず、仲直りはできたようだ




