赤ん坊の相談
ついに明日、試験日だ。
そう思うだけで、胸の奥が少しざわついた。
中学受験の前日も、こんな感じだったな。
今日も変わらずに基礎練習をした。
いつも通り瞑想をして、魔力を感じ、最低限の魔法を反復しただけ。
試験前日なのに、何も変わったことはしなかった。
書庫に来るものの、俺が質問しなければ何も話さないため、完全な自習タイムになっていた。
……どうもあのことがまだ気になるが、魔法で1番大事なのは精神だ、一旦忘れよう。
また聞けばいい。今は集中することが先決だ。
そう割り切り、夕食も早めに済ませ、自室に戻った。
ベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。
明日、何を見られるのだろう。
魔力量か、詠唱か、操作精度か。
この世界の試験は、まだよく分からない。エリナさんの時は試験官に一撃でダメージを与えてみろ、というシンプルなものだったらしいが、一体どうなることやら。
もしかしたら、エリナさんが
「……早めに寝るか」
小さく呟いて、横になる。
目を閉じ、呼吸を整える。
そのときだった。
――コン、コン。
静かなノック音。
こんな時間に?
エリナさんは、まだ仕事のはずだ。
「……はい」
返事をすると、間を置かずに扉が開いた。
「入るわね」
部屋に入ってきたのは、エリシアだった。
俺の母親。
この屋敷の女主人で、いまいち頑固ジジイに強く言えない、頼りないやつだ。
「もう寝るところだった?」
「はい、明日試験ですので」
「……そうよね」
エリシアはそう言って、扉を閉めようとしたが、少し戸惑い、やっぱり俺の部屋に入ってきた。
真っ直ぐと俺のベッドの傍まで来ると、俺の顔を覗き込むようにして、少しだけ黙った。
「アルト」
「なんですか?」
「……少し、おしゃべりしない?」
なんだ?いきなり。まぁ試験日前日なのを知ってて普通に話したいということはないだろうし、聞いてやるか。
「はい」
俺がそう答えると、エリシアはほっとしたように息を吐き、椅子を引いて腰掛けた。
「アルト、もしかしてエリナと喧嘩しちゃった?」
あーエリナさんのことか。
「えっと、何でそう思ってるんですか?」
「ふふ、お母さんを舐めるんじゃないわよ?メイドも含めて、みんな家族みたいなものよ。家族のことなら、何となくわかるわ」
思ったよりも、エリシアはみんなの顔を見てるんだな。
俺もエリナさんもエリシアの前では顔や態度を出さなかったのだが。
「喧嘩はしてないのですが、ちょっとすれ違いみたいなもので……」
「そう……何があったのか、教えてくれない?」
「……ですが、これはあくまで僕とエリナさんとの問題で……」
「エリナとは私の方が付き合いは長いわ、もしかしたら助けになれるかもだから、教えてくれない?」
……それもそうだな、このことを引きずって試験不合格なんかになったら目も当てられないだろう。
「実は――」
俺はエリナさんがいきなり不自然に喜び始めた経緯を説明した。
「なるほど……そんなことが」
「どう思います?」
「そうねぇ……」
エリシアは俺の話を聞いてからずっと何かを悩んでいるようだ。そんなに悩むのなら、それ相応に話せない理由があるのだろう、やはり話を変えて今日は……
「…………僕、知りたいんです。エリナさんには本当にお世話になっているので、もし傷つけてしまったなら、謝りたいんです」
口から出まかせじゃない、本当だ。俺が今、魔法を学べているのは半分くらいエリシアさんのおかげだ。
感謝もしてるし、尊敬もしている。今後も仲良くしていきたい。
「……そうね。どうせいつかは知っちゃうんだろうし、それなら、今教えるべきよね」
決心してくれたようだ。
「お願いします」
エリシアは一呼吸つき、話し始めた。
「アルトは、覇王級って知ってるわよね?」
「はい、確か世界に2人しかいない、すごく強い方々のことですよね。それがどうしたんですか?」
「実は、彼女の祖母が覇王級、アリス・ローヴァルなの」
そうなのか、世間は狭いものだな。
「初めて知りましたが、それがどうしたんですか?」
「……ローヴェル一族ってね、少し特殊なの」
エリシアはそう前置きして、静かに続けた。
「昔からずっと、“魔法の強さこそが自分の価値”って考え方で育てられる家系なの。才能があるなら伸ばすのは当然、結果が出なければ意味がない。そういう、かなり実力主義な一族よ。もちろん、一流の魔術師だらけよ」
なるほど、と心の中で頷く。
覇王級を輩出する家なら、そういう価値観でもおかしくはないのかもしれない。
「エリナはね、ローヴェルの中でも優秀だったわ」
「そうなんですか」
失礼だが、かなり意外だった。
中級魔術師は世間的に見たらエリートなのかもしれないが、一流魔術師だらけの一族の中で優秀と言われるくらいなら、まだ中級魔術師なのか?という感想が先に来た。
「八歳のときには、もう初級魔術師に認定されていたの。一族の基準でも、かなり早い方よ。」
「八歳ですか」
俺は2歳で魔法を扱っているが、あくまで中年男性の魂を持っての結果だ、俺が8歳の頃で初級魔術師はすごいことなのだろう。
「周りからは期待されていたし、エリナのお母さんからも直接指導を受けていたわ。デイビスって言うんだけど、彼女は極級魔法使いで、十分名を馳せていたわね」
期待……か。
「でも」
エリシアは、そこで少し言葉を切った。
「エリナは、途中で魔法を鍛えるのをやめたの」
「……え?」
思わず、聞き返してしまった。
「どういうことですか?」
「文字通りよ。十二歳を過ぎたあたりから、急に魔法の訓練を拒むようになってね。理由は、誰にも話さなかったらしいの」
あんなに魔法を教えるということは、それだけ魔法が好きだと思っていたのだが……
「一族の中では、当然問題になったわ。せっかくの才能を無駄にするのか、って」
ローヴェル一族の価値観からすれば、尚更批判されただろう。
「それでもエリナは譲らなくて、ずっと言われて疲れたのか、十六歳で家を出たの」
静かな声なのに、その言葉はやけに重く響いた。
「そのあとに、エリナは冒険者になったのよ」
「……魔法使いとして、ですか?」
そう聞いた瞬間、エリシアは小さく首を振った。
「いいえ。剣士として」
「剣……」
エリナさんの剣の腕は植物の魔物に使った時に見たが、素人目から見ても脱帽するものだったが、まさか剣の方を先に学び始めてたとは。
「そのあと、カシウスと色々あって、今のメイドの職業に就いたらしいわ」
「色々とは?」
「教えてくれなかったわねぇ、まぁそれは解決したことだし、突いてもしょうがないわ」
エリシアは苦笑する。
「知ってるのはこれが全てよ。あとは自分でもしつこいと思うくらいに聞いたから、これが知れる全部だと思うわ」
おいおいさっき突いてもしょうがないって言ってなかったか?
「あのぉ、それでどうしてエリナさんは俺と距離を取るようになったんですか?」
「わからないわ」
「じゃあ、どうしてそうなったと思います?」
「わからないわ」
えぇ、じゃあなんでこのことを俺に教えたんだよ、というか予想もできてなかったんかよ。
「いや、予想くらいは――」
「人の気持ちなんて、わからないものよ?できるのは寄り添う合うことだけ、そうすればいずれ話してくれると思わない?」
思いません。
なんだ、この宗教にハマりやすそうな性格は。
「えっと……それじゃあなんでしつこくエリナさんに聞いたんですか?」
イライラしたから反論してやったが、どう返す?
「もちろん、同じ屋敷に住むものとしてっていう理由がほとんどだけど、私と名前が似てるってのもあるわね。エリシアとエリナ、運命的だと思わない?だから気になったの」
……エリシアのことを内気で塩らしい女性だと思っていたが、頭お花畑女にガラリと変わった。
「ありがとうございました。教えてもらったことを活かしてエリナさんに聞いてみます」
「ふふ。とりあえず、自分の気持ちをしっかり伝えて仲直りして、あとは試験も頑張ってね」
エリシアは立ち上がり、扉の方へ向かう。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
扉が閉まり、部屋に静寂が戻る。
ベッドに横になり、天井を見つめながら、俺はそっと目を閉じた。
なんでエリナさんがあんな態度を取ったのかはわからないが、きっと過去に何かがあったから……だと思う。
心が乱れたら魔法まで乱れる。
エリナさんとの関係を元に戻し、明日の中級魔術師試験に合格をする。
……仲直り、か。そういえば自分からそうしようとしたのは初めてだな。




