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赤ん坊の偽物の家族


  ——泣いている。

 そう理解するまでに、少し時間がかかった。

 耳の奥で、やけに甲高い音が反響している。うるさい。なのに止め方が分からない。

 息が苦しい。

 胸が勝手に上下して、喉がひりつく。

 ……ああ。

 俺、泣いてるのか。

 視界はぼやけていて、形が掴めない。色だけが滲んでいる。白と、薄い茶色と、動く影。

 体を動かそうとして、気づく。

 ——動かない。

 いや、違う。

 動かせないんじゃない。

 動かすって感覚そのものが、まだ俺にない。

 指に力を入れようとしても、そもそも「指」がどれなのか分からない。

 脚? 腕? それらしいものはある気がするのに、境界が曖昧だ。

 喉の奥から、また勝手に声が漏れる。

 短く、震える音。

 赤ん坊だ。

 理解した瞬間、胃の奥がきしんだ。

 ——本当に、転生したんだな。

 あの野郎の声は、聞こえない。

 軽い口調も、ふざけた笑いも、もうどこにもない。

 あるのは、この狭い視界と、制御できない体と、止まらない音だけ。

 ……やっちまったな。

 考えたくないことが、容赦なく浮かんでくる。

 俺は、この体の“本来の持ち主”を追い出した。

 いや、追い出したなんて生易しいものじゃない。

 マコトの言葉が正しいなら、入れ替わった結果、そいつは死んだ。

 顔も知らない。

 性別も、名前も、未来も。

 胸がどんどん締められていく感覚を感じる。

 これから、どうする。

 貴族の家に生まれたらしい。

 あの神が言うには、顔は良く、才能もそこそこある。

 この体の子が死ぬなんて思わなかった時は、全部利用してやるつもりだった。親が死ぬまで適当に魔術で遊び、女で遊び、財産が手に入ったら適当にツラのいい女と結婚して緩やかに死ぬ。

 世界を、立場を、全部、利用してやるつもりだった。

 でも——この人生は、俺のものじゃない。

 奪ったものの上に、俺は立っている。

 どう生きる。

 どう償う。

 ……いや、そもそも償う必要はあるのか?

 よく考えたら、俺は被害者みたいな者だろ。あのマコトと名乗るクソ神にちゃんと断ったんだ、転生はしないと。

 俺に非はないだろう。

 ……そんな考えで、いいのか?

 じゃあ……話せるようにでもなったらこの子の親に事情を話すのが正解か?実の息子が死んで、よくわからん男の魂が入ってるなんて知ったら、両親はどう思うだろうか。

 思考がぐちゃぐちゃに絡まって、出口が見えない。

 その時だった。

 ふわり、と。

 何かに包まれる感覚。

 視界が揺れて、近くなる。

 温度が、急に上がった。

 ——あたたかい。

 恐らく、この子の母親に抱え上げられている。

 柔らかくて、規則的な鼓動が伝わってくる。

 人の体温。

 無意識に出ていたさっきまでの泣き声が少しずつ小さくなる。

 喉のひりつきが和らいで、呼吸が、ゆっくりになる。

 思考を続けようとする。

 失われた命のこと。

 これからの生き方。

 全部、大事なはずなのに全部がどうでも良くなってくる。

 誰かに抱かれたことなんて、今までにあっただろうか。

 彼女が何を話しているかは全くわからないが、ただただ暖かった。

 ……少しだけ。

 少しだけ、考えるのをやめてもいいか。

 そう思ったところで、

 俺の意識は、柔らかな温度の中に落ちていった。

――――――――――――――――――――――――

 目を覚ました時、最初に感じたのは重さだった。いや、重いというより、体が沈み込んでいる感覚。

 背中全体を、柔らかいものに受け止められている。視界はまだ曖昧だが、さっきよりは輪郭がある。

 白い天井。ぼやけた装飾。

 どこか静かで、落ち着いた空気。

 低く、穏やかな声に、それに答える少し高い声。

 言葉として、まだ理解できない。

 それでも、会話だということだけは分かる。

 俺のすぐ近くで、二人が話している。

 時々、視界の端に影が落ちて、また離れる。

 声が、聞こえる。高くて、柔らかい音。

 意味は分からない。単語として切り分けられない。ただの音の連なりだ。

 なのに、不思議と不快じゃない。

 ……あれ?

 今の音。

 さっきと、同じだ。

 同じ抑揚。

 同じ間。

 理解する前に、脳が勝手に記録している感覚があった。

 意味じゃない。音の形。リズム。温度。

 頭の中に、引き出しが増えていく。

 自分で開けてもいないのに、勝手に整理されていく。

 ——なんだ、これ。

 前世の時の俺は、物覚えがよくなかった。

 勉強は何度やっても頭に残らない。頭のスペックが足りないだけなのに、努力が足りないと言うやつがいたが。

 今はどうだ。

 聞いた音が、消えない。

 重なって、積もっていく。

 考えようとしなくても、頭が勝手にやっている。

 ……赤ん坊の脳って、こんななのか。

 それからの日々は、正直言って驚きの連続だった。

 俺は何もしていない、ただ聞いて、見て、感じているだけだ。

 それだけで、声は音から塊になり、塊は繰り返され、やがて、区別できるようになる。

 この音は、母親。

 この音は、父親。

 ある時ふと、俺は理解していることに気づいた。

 意味を考えたわけじゃない。

 考える前に、分かっていた。これが赤ん坊の本能というやつだろうか?

 内心でそう呟く。

 嬉しさと、戸惑いが半々だ。

 赤ん坊の間は、脳が異常なほど情報を吸い込む。

 そんな話を、どこかで聞いた気がする。

 理屈としては知っていたが、実感はまるで別物だった。

 覚えられる。

 しかも、ほぼ完璧に。

 あのクソ神にはイラついているが……楽しい。

 罪悪感や将来のことを考えないわけじゃないが、それらは一旦、奥に押し込めておこう……できることなんて、少なくとも今はない。

 それに、この状態を無駄にする手はない。

 俺はこれから、両親の前では病気などを疑われない程度に泣き、できる限り静かにできる時は静かに。手のかからない赤ん坊でいよう。

 どう生きるかは……まだ決められない。

 償うのか、フラフラと生きるのか、それとも——別の道か。


 

 ――ただ、一つ決めていることがある。

 どうせ才能があるなら、どうせ覚えられるなら、今のうちに、徹底的に身につけておく。

 前世で手に入らなかったものを、この頭で、どこまで行けるのか、それを試すくらいは許されるだろ。

 とりあえず、俺はしばらくの間、自分にできることを最大限やろうと決めた。

4話まで続きを載せます。感想お願いします!

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