クズと神
1話
カーテンは、もう何日開けていなかっただろう。
昼か夜かも分からない部屋で、俺はベッドの上に転がっていた。
スマホの画面だけが光っている。
動画、掲示板、短い笑い声。
それらを指でなぞっては、何も残らず消えていく。
「フッ」
働いていない。
学校にも行っていない。
人とも、もう何年もまともに話していない。
体重計に最後に乗ったのはいつだ。
95kg、という数字だけが頭に残っている。
腹は重く、息は浅く、少し動くだけで心臓がうるさく自己主張してくる。
——まあ、いいか。
そうやって、俺は全部を後回しにしてきた。
胸の奥に、時々、嫌な違和感があった。
締めつけられるような、鈍い痛み。
息がしづらい瞬間。
でも病院に行く理由が、俺にはなかった。
どうせまた。
「運動しろ」「痩せろ」「生活を改めろ」
そう言われるだけだ。
あの人の気持ちもわからないクズどもが。
俺は布団に潜り、天井を見上げる。
染みの形が、知らない顔に見えた。
失敗ばかりだった。
学校でも、仕事でも、人間関係でも。
何かを始めようとするたびに、
「どうせ勝手に失敗する」
その言葉が先に来る。
何もしていないのに、疲れていた。
その日は、やけに胸が重かった。
息を吸っても、空気が途中で止まる。
……まあ、そのうち治るだろ。
そう思って、俺は目を閉じた。
次に目を開けた時、
世界は静かすぎた。
息を吸おうとして、吸えない。
体を起こそうとして、動かない。
視界の端が暗く滲んでいく。
頭の中で、警報みたいな音が鳴っていた。
——ああ。
ここで、やっと理解した。
俺、ヤバいんじゃないか。
心臓が暴れているのに、体は鉛みたいに重い。
叫ぼうとしても、声が出ない。
誰かを呼ぼうとして、
そもそも呼べる相手がいないことに気づく。
笑えてくる。
最後まで、一人か。
視界が完全に暗くなる直前、
頭に浮かんだのは後悔でも、誰かの顔でもなかった。
ただ一つ。
なんで俺は……
そこで、世界が切れた。
――――――――――――――――――――――――
目を開けた瞬間、そこはどこでもない場所だった。
暗いわけでも、明るいわけでもない。上下も奥行きも曖昧で、ただ「空間」だけがある。
「……ん?」
声はちゃんと出た。喉の感触もある。なのに、体の重さがない。
「お、起きた起きた」
正面に、人がいた。
そいつは、ずっとニヤニヤ笑っている。
そいつは、拍子抜けするくらい普通の顔。街を歩けば十人に一人は似たやつがいそうな、特徴のない顔。
なのに、妙に目が惹かれる。
「誰だよ……」
「ん? 俺? あー……名乗るほどでもないけど、”マコト”って呼んでよ本名は違うけど、長いし覚えにくいからね」
「……」
俺は周囲を見回してから、もう一度そいつを見る。
「ちょっと待て。ここ、どこだ」
「別世界、まぁ君にとってはあの世みたいなものと捉えてもらって構わないよ?」
あ?何言って……
「…………まじかよ」
喉がひくりと鳴った。
そいつは冗談のようなトーンで発言したが、冗談として流せない。
「……もしかして、お前、閻魔大王みたいなやつか?」
死んだら何も考えられずに眠るように死ぬだけと思ってが、意外と正しいこと言ってたんだな、あの仏教の奴ら。
「あー、違う違う」
マコトは手を振る。
「俺、そっち系じゃない。“よその神”」
「よその神……?」
なんだ?神にはそんな詳しくないんだが。
「そうそう。異世界転生って知ってる?」
一瞬、思考が止まった。
「……は?」
「ほら、ラノベとかでよくあるやつ。トラック、ドーン、女神ドーン、スキルどーん、みたいな」
「雑すぎだろ」
もちろん知っている。何百冊と俺は読んできたんだ。それができたらと……
「でもあってるでしょ?」
そいつは、笑ってる。
本当に、友達と駄弁ってるみたいな顔で。
「それでさ?赤ん坊から、いっちょやってみない?」
「……な!?」
言葉が追いつかない。
「ちょ、待て待て待て。状況が追いついてない。俺、確かに死んだが、できるのか?本当に?」
「うん、できるよ」
そいつは淡々と答える。なんだ、こいつ、やけに会話のテンポがいいな。
「君、受け入れるの早いねー」
「……今まで読んできたラノベと同じことが起きてると思えば、まあな、それに死んだ感覚もしっかり残ってるし……」
自分で言ってて笑えない。
でも、変に冷静だった。
「じゃあさ」
俺は一息ついて、そいつを見る。
「なんで、俺なんだ?」
「うん?」
「選ばれた理由だよ。どうせなら、もっと、体力的に優れたやつ?とか、他にも居ただろ?なんでわざわざ俺なんだ?理由があるんだろ?」
もしかしたら、俺はあるんじゃないか?俺が気づいてないだけで、とてつもない才能が……!
マコトは少し首を傾げて、次の瞬間、どこかに目を向け、ニヤニヤとした顔を変えずに話し始める。
「君が根っからのクズで、ゴミ野郎だから」
「……は?」
「いや、言い方悪かった?」
「……いや、何言ってるんだよ、お前!」
反射的に怒鳴っていた。
「お前、初対面で――」
「でも事実だよ?」
こいつ……俺を舐めやがって……
「君、いじめられてたわけでもない。家庭もそこそこ裕福。手伝ってくれる人もいた。でも何一つうまくいかなかった」
「うっせぇ!神だかなんだか知らねえけどな、俺の人生に何ちゃちゃ入れてんだよこのクズが!」
こいつは俺の言葉なんて聞いてないようにどんどん言葉を紡いでいく。
「で、万引きしたり、励ましてくれた人に人格否定めいた暴言吐いたり」
「あぁ!?何曲解して言ってんだよアホか!?」
ようやく俺と目を合わせやがった。
「いいか?そもそも万引きしたのは儲かってるコンビニとか、俺1人盗んでも、痛くも痒くもないようなところから盗んでんだよ!それで一々文句言うのか!?わからないような被害額なら、俺1人が幸せになって終わりでいいだろ!!!」
こいつ、なんだよその目。
軽蔑や、不快な雰囲気もみせずに、ただニコニコと……
「それに、何が励ますだよ!あいつらのあれは自分をよく見せようとしてるだけのクズだ!!何もわかってねぇくせにわかってる風に言いやがって、あのクズどもが……くそっ!」
一通り話し終えて、俺が息が絶え絶えになっていると、あいつがまた話し始める。
「自分が悪いって分かってるのに、考えようとしなかった。全部環境のせい。他人のせい」
なんだよ……
「傍若無人で、面倒なことから逃げ続けた。――立派なゴミ野郎」
「うるせぇ!!!」
俺は叫んだ。
溜め込んでた言葉を、全部ぶつけるみたいに。
「お前に何が分かる!さっきから一々、俺の人生の何を知ってる!!」
「全部」
「……っ」
……なんだよ、こいつ。
「だって、観測してたから」
あいつは肩をすくめる。
「でさ、気になったんだよ。そんな人間に」
すると、ニヤニヤとした顔は変わり、歯を剥き出しにし、満面の笑みで言い放った。
「顔がものすごくいい貴族の体と、そこそこの才能を与えたら、どんな人生を歩むのか」
ぞわり、と背筋が冷える。
だって、そんなの……
「……実験かよ」
「実験だね」
即答しやがった。
「ふざけてんのか?」
「でも、楽しみじゃない?Win-Winでいこうよ」
「いや!そもそも……俺は……」
……俺は、言い返せなかった。
こんな感覚、初めてだった。どんな時だって喧嘩をふっかけられたら相手が折れるまで口論してやったが、それを一生しても、こいつには勝てないような気がした。
「……もういい」
これ以上は無謀だ。
「さっさと転生させろ」
「お、いいの?」
「さっさとしろ、俺はお前と同じ空間に1秒たりとも居たくない」
「理解が早くて助かる」
マコトが指を鳴らそうとして――
――俺は、ふと引っかかるものを感じた。
このままじゃ、またとてつもない後悔を引き起こすような気が、なんだこの感じ、覚えてる。
あれは確か、転生者のラノベを見ている時に思ってたことだ。
「……なあ」
「ん?」
「俺は赤ん坊に転生するんだよな?なら、その赤ん坊は……どうなる」
マコトは一瞬だけ目を瞬かせて、ああ、と声を出す。
「魂を入れ替えるから……まあ、君が行くはずだった行き先に行くんじゃない?」
「……つまり」
「死ぬだろうね」
即答しやがった。
胸の奥が、少しだけ冷えた。
俺は、そこまでして生き直したい人間だっただろうか。
「……なら、いいや」
なるほどな、こいつはそういうやつだ。初対面に対して、クズと罵る。人間の心なんてわからない、正真正銘のクズだ。
「へぇ……」
ずっとリズミカルなこいつの声が、少し崩れたような気がした。
「そこ、ちゃんと考えるんだ」
「何言ってんだ?俺はお前の言うとおりにしてやる気が、さっき無くなっただけだ」
俺はあいつに恥をかかせるという一点に集中して、小さく笑って言ってやった。
「そんなこといちいち考えるくらいなら、俺は死んどくよ」
「……え?」
マコトが、本気で不思議そうな顔をした。いい気味だ。
「君に、選択権があると思ってるの?」
パチン
その言葉が終わる前に、視界が反転した。
落ちる。
押し込まれる。
圧倒的な感覚。
「じゃ、頑張って。結果、楽しみにしてるよ」
「ま……て…………」
マコトの声が、遠ざかる。
次の瞬間――
世界は、光と、音と、息苦しさで満ちていた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
初めての連載なので至らないところもあるかもしれませんが、必ず皆さんを楽しませる素晴らしい小説を作ってみせます!
感想や意見もぜひ聞かせてください。これからもよろしくお願いします。




