第8話 ちゃみ子宅にて
自慢じゃないが、葉山朔という人間は真面目で品行方正な生活を心がけているがゆえ、他人から後ろ指を差されるような事態に直面したことがない。
そしてこれからも、そんな出来事とは無縁の人生だろう。
そう、思っていた。
しかし今、信号待ちしている僕に向けられる通行人や運転手の目は、怪訝であったり、可笑しそうであったり、微笑まそうだったり。
ご高齢のご婦人からは「あらいいわね〜」なんてご感想をいただいたり。
すべては僕の隣にいる、この小さな生物のせいである。
「さう、顔赤い」
「……誰のせいだと思ってるんだ」
「?」
「傾げるな首を」
なんで分かんないだよ。
恥を受信するアンテナがぶっ壊れてんのか。
学校からの帰り道。
ちゃみ子の要望通り僕は、彼女の帰宅を手伝っていた。
いや帰宅を手伝うってなんだよ。聞いたことないぞこんな日本語。
移動教室の時のように、ちゃみ子は僕の腕に捕まり、寄りかかって歩いている。
絶対普通に歩いた方が楽だと思うのだが、ちゃみ子曰く『寄りかかり歩き』の方が少しだけ楽らしい。
そんなことある?
高校生の男女が寄り添って歩いていれば、カップルに見えて当然。
というかまるっきりバカップルだと認識されるだろう。
隣の席のギャルをちょっと世話しただけで、こんな恥ずかしい目にあうなんて。
人助けなんてするもんじゃない。
世知辛い世の中だ。
「ここ」
「ん? このマンションか?」
「そう」
学校から徒歩と電車で15分足らず。
ちゃみ子の自宅マンションに到着した。
ちゃみ子から漂う箱入り娘感から、超高層タワマンにでも住んでいるのでは、と思っていたが、そこまでではなかった。
それでも十分に立派なマンションだけど。
「ここだったか。近いんだな」
「一番近い学校を受験したから」
「なるほどな」
それには大いに共感する。
なぜなら僕も同じ理由で、受験する高校を選んだのだから。
僕の場合は家事や桃の面倒をみるためだけど。
なので実は僕の家も、ここからすぐ近くにあったりする。
徒歩5分くらいだろうか。
だが、ちゃみ子には決して教えない。
家が近くにあると知れば、より甘えてくるかもしれない。
親のいる家の中でまで世話をさせられることはないだろうが、毎日迎えに来させられるかもしれない。
絶対に、バレないようにしなければ。
「さう」
「なんだ?」
「近くに住んでる?」
「⁉︎」
え、一瞬でバレたんだが。
「な、なんで……?」
「『ここだったか』って言ったから。それはここを知ってないと、言わない言葉」
「……………………」
僕は、決定的証拠を突きつけられた犯人のように、うなだれるしかなかった。
「なんだその洞察力……」
「刑事ドラマ見てるから」
ちゃみ子は「むふ」と得意げ。
ただポテチ食いながら垂れ流してるだけかと思ったら、ちゃんと身になっているらしい。
いやいらないだろ、そんな能力。
「さう、来て」
「え、家にか?」
「うん」
ちゃみ子は有無も言わさず、僕の腕を掴んだままマンションの玄関へ入っていく。
まあ、親に挨拶くらいしておくか。
そんな軽い気持ちでエレベーターに乗り、5階に到着。
「ここ、みれぃんち」
「幼馴染のお隣さんな」
「うん。で、こっちがウチ」
ちゃみ子は鞄からのろのろゴソゴソと鍵を取り出し、扉を開錠する。
「どぞ」
「ああ、お邪魔しま……おい」
その扉が開かれた瞬間、僕は頭がくらっとした。
対してちゃみ子は、そんな僕を見て不思議そう。
「どうしたの?」
「なんだ、この散らかりようは……」
家に入り、扉の鍵をちゃんと施錠し、改めて百環家に向き合う。
玄関にあるいくつかの靴は脱ぎっぱなし。
神経衰弱でも始めるかのようにバラバラだ。
さらには玄関から見える廊下も、それはもう大いに散らかっていた。
ダンボールなどが乱雑に放られている。
「こっち、リビング」
「……行くのが怖いな」
招かれたリビングは、やはりというべきか、強盗が一仕事終えた後のようだった。
服は脱ぎっぱなし、皿は置きっぱなし、充電器などのコードはぐっちゃぐちゃ。
フローリングの色も見分けがつかないレベルだ。
「ここ」
ちゃみ子は衣服などを踏みつけながら、髪をふわふわと揺らしながら、部屋のど真ん中のソファへ向かう。
そしてちょこんと座り、満足げな表情。
「ここにいつも、いる」
「……特等席なんだな」
「そう。さうも座っていいよ」
そう言ってちゃみ子は、ポンポンとソファの隣を叩く。
かろうじて床が見える位置を飛び進み、指定の場所に腰をかけると、ちゃみ子は当たり前のように僕にもたれかかる。
距離感どうなってんだよ。彼女かよ。
「さうもドラマ見る?」
「いや、そんな長居はできないけど……それよりちゃみ子、親御さんは?」
「出張。シンガポーう」
「両親とも?」
「パパだけ。でもパパは何もできないから、ママもついてった」
「そ、そうか……」
ちゃみ子に何もできないと思われてるって、よっぽどだろう。
母親はきっと、何もできない夫イン海外と何もできない娘インジャパンを天秤にかけ、前者を選んだのだろう。
確かに海外は何があるか分からないからな。
「じゃあ普段はひとりなのか?」
「みれぃがよく来る。あとみれぃとみれぃのママが、たまに掃除に来てくれる」
「飯は?」
「たまにみれぃが作ったりしてくれる。あとはコンビニとかスーパー」
お隣さんにそこそこ世話になっているおかげで、なんとかやれているらしい。
母親もきっと密に連絡をとっているのだろう。
「いつからそんな生活なんだ?」
「先月から」
「しんどくないか?」
「別に」
その言葉とちゃみ子の表情に、ズレはないように見える。
というか、ウソをつくタイプでもないだろう。
とりあえず寂しさはないらしい。
「でも、こんなのを見せられたらなぁ……」
ついポロリと本音をこぼしてしまう。
普段から家事をしている身としては、なかなかに許し難い光景である。
食事についても、物申したさがある。
それを察したわけではないだろうが、ちゃみ子はじっと僕を見つめて告げる。
「さうも、家のいろいろ、してくれるの?」
「え、いや、それは……」
何の因果か家が近い。
今日のようにバイトも桃の習い事もない日、あるいはバイトの前など、時間を作れる日はある。
つまり家の色々とやら、やる余裕はあるし、正直この惨状は放っておけない。
ただ、女子がひとりで住む家へ頻繁に通うのは、如何なものか。
こればっかりは流石に、江口などのクラスメイトが良い顔をしなさそうなくらいには、倫理的によろしくない。
「うーん……」
どうしたものかと、僕は後頭部へ手を回す。
するとその拍子に、ソファから何かが落ちそうになった。
「おっと」
とっさに僕はそれを掴んだ。
感触から、何らかの被服だと分かる。
見ればそれは、ブラジャーだった。
「っっ⁉︎」
普段から母親のそれを洗濯しているので見慣れているつもりだったが、今僕が手にしているそれは、比べ物にならないくらいに巨大。
こんななのか、ちゃみ子のは。
「さう」
「はっ……ごめん! マジマジと見て……」
「それ、ほしい?」
「は?」
質問の意味が分からず、僕は困惑する。
己のブラを握っている男を前に、何を言っているんだ。
「さうがほしいなら、あげる」
「はぁ⁉︎」
「お返し」
「……あぁ」
そこで、発言の意図を理解した。
三者面談の時に明らかにした、ちゃみ子の気遣いのようなもの。
ただ僕に頼るだけなのは嫌。
なので何らかの対価を払う意欲はあるとのこと。
『さう、エッチなことしたい?』
いやいや、だからそれは童貞を拗らせすぎた妄想であって……。
「それか、おっぱい触りたい?」
「……は?」
「どこでもいいよ。さうが触りたいなら」
そう言ってちゃみ子は、その大きな両の乳房を、下から持ち上げる。
それはまるで別の生き物のよう。
服を着ていても分かるくらい、ぷるっと揺れた。
「バ、バカなこと言うんじゃ……」
「お返し、だから」
「っ……」
「でも……痛くしないでね」
ガラス玉のように大きく透き通った瞳が、僕を捉える。
するとその瞬間――僕の中で眠っていた獰猛な欲望が、殻を破って顕れた。
「ちゃみ子」
「あっ……」
肩を掴むと、ちゃみ子はピクッとわずかに震える。
この小さな女の子を、自らの醜い欲望の捌け口にする。
そんなことあってはならないと、頭では理解しながらも――もはや本能に抗うことは、不可能だった。
「ごめん、ちゃみ子……っ」
両方の手で僕は、柔らかなそれを、優しく触れて持ち上げる。
「んっ……」
ちゃみ子は、身悶えするような吐息を漏らした。