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第7話 やらなきゃいけないことなんて、ない

「さうじゃなきゃ、やだ」


 僕以外の誰かに頼ったらどうだ?

 という質問へのちゃみ子の回答が、これだ。


「…………」

「わお、フゥ」


 思わず言葉に詰まる僕と、謎にポップな反応する江口。


 だがその言葉の裏には、江口が思うような何らかがあるわけではないと、僕は直感的に理解する。


「ちゃみ子、お前アレだろ」

「ん?」

「別の寄りかかる相手を探すのが、面倒くさいだけだろ」

「それも、ある」


 やっぱりな。


「なら僕が探すのを手伝ってやるから。試しにまずは、江口とかでも……」

「ウェルカムだぜ、ちゃみ子ちゃん」

「いい」

「えっ、そっこーフラれもうした」


 江口の悲哀など気にも留めず、ちゃみ子はとうとうと語る。


「寄りかかる人は私が決める。私はさうに寄りかかって生きるって決めたの。一度決めたことをやめてまた決めるのは、めんどくさい」

「…………」

「だから私は、さうに寄りかかう」


 珍しく長尺で話したと思ったら、最後の1文字だけ子音が剥がれた。

 惜しい。


「なんだよその頑固さは……」

「思ったよりも確固たる意思で、葉山くんに寄りかかってたんだねぇ」


 人に頼ることを厭わず、それでいて一度決めたことは必ず通す。

 その頑固さ、いる?


「まあそれだけ、葉山くんのホスピタリティが行き届いてるってことだよね」

「うん。星5」

「金取るぞ」

「いくら?」


 そう言ってカバンをまさぐり出すちゃみ子を見て、僕は頭痛がしてきた。


「取らねえよ。出すな財布を」

「お金いらない?」

「いらねえ。てか、クラスメイトの時間と労力を金で買おうとするな」


 なんで本気にしてんだよ。

 倫理観までバグってるのか?


「お返しは大事。頼ってばっかりはやだ」

「わ、えらいね」

「そういう意識はあるのか」


 てっきり体裁など構わず、頼りっぱなしがデフォルトなのだと思っていた。しかしどうやら僕はみくびっていたらしい。

 ちゃみ子も人並みに気遣えるようだ。


「さうもお返しがないと、私をお世話するモチベーションが上がらない」

「良い上司か、お前は」


 マネジメントするな、僕を。


 ちゃみ子は僕をじっと見つめ、優しい声色で告げる。


「ほしいものとか、してほしいことがあったら、言ってね」

「……いや、それはまあ、いいが」


 きちんと面談しないと、分からないこともあるらしい。

 ちゃみ子は思いのほか、寄りかかることへの対価を払うことに、前向きなようだ。


『さう、エッチなことしたい?』


 あるいは、さっきのこの言葉も、そういう意図なのだろうか……?


「いやいや……」


 それはダメだ。

 金銭を受け取るよりもダメだ。


 というか、ギャルとはいえ流石のちゃみ子も、そこまでするはずがないだろう。


 そんなありえないこと想像もするなよ僕。

 嫌だ嫌だ、これだから童貞は。


「どうしたの、葉山くん?」

「なんでもない……。それより、そもそも誰に頼るとか、頼る相手への対価を考える前にすべきことがあるだろ」

「なに?」

「自分で頑張るんだよ。誰にも頼らず」


 こう言うと、ちゃみ子は悲しむでも怒るでもなく、眠そうな顔でかくんと首を傾げる。なんで分かんないんだよ。


「幼馴染がいなくなったのは、ひとりで何でもできるようになる良い機会だろ」

「んむ」

「そのための努力の手伝いならするけど、ハナから頼られる前提なのは……」

「んむむ」


 ちゃみ子は、わずかに口をへの字にする。

 たぶんちょっと反発している。


「……江口、僕間違ったこと言ってるか?」

「うーむむ……間違ってはないと思うけど、ちょっとスパルタかも。スパのルタ。ゆーて私たち、令和キッズだし」


 それ、自分で言うヤツ初めて見たな。


「いや、僕も令和キッズだけど」

「葉山くんはマインド昭和でしょ。昭和知らんけど」


 マインド昭和。

 そんなことを言われたの初めてだが、否定はしない。

「まーでも……令和キッズ目線でも、ちゃみ子ちゃんは異次元の無気力ちゃんだよねぇ。ちょっと不安になるくらいに」

「そうだろ? このままじゃ絶対にダメだよ」


 僕と江口はまるで父と母のように、真剣にちゃみ子のことを考える。

 だが当の本人は、何食わぬ顔でこんなことを言い出した。


「さうがいるから、大丈夫」

「いや、いつでもどこでも僕がいるわけじゃないだろ……」

「みれぃもいる」

「みれいさんはよく知らないけど、いくら家が隣同士でもいつまでも一緒にはいないぞ。僕もみれいさんもいなかったらどうするんだ」

「そしたら、その時考える」

「あのなぁ……」


 もはやどこから説明したらいいのか。人生について。


 僕はできるだけ丁寧にひとつひとつ話していく。


「大人になったら嫌でも自分で色々できるようにならないといけないんだぞ。なら今から少しずつでも自分でできることを増やして、成長した方がいいだろ」


 我ながら正論を述べているつもりだが、ちゃみ子には響いていない。

 その無表情の顔は僕を向いているが、まるで手応えを感じない。


「私は別に、成長しなくていい」

「え?」

「ほしいものとか、やりたいこととか、ないから。ただ生きてるだけでいい」


 人生において高望みはしない、ということだろうか。


「いつか後悔するかもしれないぞ。あの時ちゃんとしておけばよかったって」

「後悔なんてしないよ。私は私のこと、そんなに期待してないから」

「…………」


 この破滅的な無気力さは、究極の無欲によるものだったのか。

 こうなりたいという欲や、自分への期待がなくなると人は、こうなるのか。


「だから、成長しなくていいと?」

「うん」


 ちゃみ子は、まっすぐな瞳で告げる。


「私が成長しなくても、周りはみんな勝手に成長する。小さい頃からずっとそうだった。だから私は、成長するみんなに寄りかかって生きる」

「えぇ……?」


 なんて迷惑な信条だろう。

 いっそ尊敬に値する、他力本願の極みである。


 いや、尊敬なんてしない。ただ呆れ果てているだけだ。


「そんな頼りっぱなしだと……どこかで痛い目みるぞ」


 人生は何が起きるか分からない。

 高校生の時分であるが、僕はそれを誰よりも深く理解しているつもりだ。


「人にはいつか必ず、自立しなきゃいけない時が来るんだよ。その時に焦らないように、道を踏み外さないように、やらなきゃいけないことを精一杯やるべきなんだよ。だから、ちゃみ子も……」


 ここまで言って、僕はハッとする。


 つい熱くなってしまったが、流石に詰めすぎたかもしれない。

 隣の江口も「ハラハラ」と顔に書いているような様子だ。


 僕と、おそらく江口の脳裏によぎったのは、昨日の昼休みのこと。


 膝枕にノーを突きつけていたら、ぐずり出したちゃみ子。

 その程度で目を潤ませる彼女には、僕の言葉は当たりが強すぎたかもしれない。


「…………」


 と、慌てかけたが、恐る恐る確認したちゃみ子の顔は、意外なものだった。


 無表情で、眠そうなまま。

 涙を我慢するようなものではない。僕の言葉が響いたようにも見えない。


 とりあえず、ぐずりはしなかったことで、僕と江口は一安心。

 なんだこの、赤ちゃんを前にした夫婦のような様相は。


「さう」


 ふと、ちゃみ子は僕の名を呼ぶ。

 そうして、なんでもないように言った。


「やらなきゃいけないことなんて――本当はひとつもないんだよ?」


 一瞬、何を言っているのか分からなかった。


 言葉の意味を理解した後も、脳はその1文を同意しかねた。


 そんなわけない。

 そんなのは戯言だ。

 人生はやらなきゃいけないことだらけだ。


 まるで必死に抗うように、そんな言葉が頭を巡る。


「っ…………」


 しかし、どうしてだろう。


 ちゃみ子のその言葉を僕は、これから幾度となく思い出すことになる。

 不思議と、そんな予感があった。


「な、なんかちょっと深い、かも……?」


 江口もぼんやりと、僕と似た感覚を得たのだろう。

 要領を得ない感想を呟く。


 当のちゃみ子は、表情も瞳も、何も変わらずただそこに座っていた。


「…………」


 僕とは正反対の、究極のダメ人間。


 脱力ゆとりギャル。


 だけどちゃみ子といるとたまに、触れたことのない触感の感情が、心に浮かぶ。


 理性的には、そばにいれば自身のあらゆる部品が緩んでしまうかもと不安になる。

 だが本能的には、そばにいることを求めている感覚がある。


 なんだ、この女子は。

 というより、なんだこの生き物は、という感覚に近かった。


「あっ、やば! そろそろバイトの時間だ!」


 不意に江口が立ち上がる。

 三者面談は江口のバイトの時間まで、と決めていたのだ。


「なんだか最後ぐちゃぐちゃーってなったけども……とりあえずちゃみ子ちゃんの意見としては、葉山くん以外に頼るって選択肢はないのね?」

「うん、ない。さうだけでいい」

「おっけー。それじゃクラスのみんなには明日、そんな感じで伝えとくね」


 結局、三者面談前とそう変わらない状況となってしまった。


「あとはもう、どうするかは葉山くん次第、かな?」

「……そうなるな」

「それじゃ今日はここまで!」

「ああ、お疲れ。ありがとうな」

「どういたま! 私は急ぐから、先に出るね! さいなら〜〜〜」


 江口はさっさと荷物をまとめ、風のように去っていった。


「じゃあ、僕も帰……」


 立ち上がろうとしたところ、ちゃみ子が僕の袖を力なく握る。


「どうした?」

「しゃべりすぎて、疲れた。送ってって」

「えっ」


 聞こえていたが、言葉がうまく処理できず、たまらず聞き返す。


「な、なんて?」

「送ってって」

「……家にか?」

「うん。さうに寄っかかってないと、歩けない」

「…………」


 今度こそ、予感があった。

 袖を掴むその非力な手を、力ずくで振り解いたら、絶対ぐずる。


「……わかったよ」

「ん」


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