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第5話 脱力ゆとりギャルの暴走

「ただいまー……え?」


 朝のホームルーム前。

 図書室に本を返しに行き、たった今戻ってきた江口は、その光景に目を丸くした。


「……おはよう江口」

「おはよぉ」

「葉山くんとちゃみ子ちゃん、どうしたの?」

「あぁ……百環の宿題を見ようとしてるんだけど……」

「それは良いけど……距離感バグっちゃった?」


 江口が気圧されるのも無理はない。

 江口だけでなく、他のクラスメイトたちも遠巻きに僕たちのことを見ている。


 なぜなら百環が僕に、ぺったりと寄りかかって座っているからだ。


 精神的に、でなく物理的に。

 まるでソファで並んで映画を観ているカップルのように。


 数分前、百環が登校してくると、珍しく彼女の方から声をかけてきた。

 宿題を教えてほしいとのこと。


 良き心がけだと僕は了承。

 すると百環は、僕の机を百環の机にくっつけるように言ってきた。


 ここまではまだいい。

 くっつけた方が教えやすいから。


 だが机を寄せ、椅子も近づけた次の瞬間だ。

 百環は全身を僕に傾けて、僕の肩に頭をくっつけてきた。


 初めは冗談かと思った。

「何してんだ」と軽い口調でツッコミを入れた。


 だが百環は一切体勢を変えないで「はやく教えて」と抜かす。

 僕は恐怖を覚え「何してんだよ……」と今度はマジトーンで言うも、百環は応えないし状況も変わらない。


 そうして困惑しているところに、江口は帰ってきたのだ。


 当事者だが、意味不明すぎて僕から追及するのは怖かった。

 それを察したのかどうなのか、江口が代わりに尋ねてくれた。


「ちゃみ子ちゃん、なんで葉山くんに寄りかかってるの?」

「この方が楽だから」

「ら、楽?」

「うん。イス、固いし」

「……………………」


 え、イスとして?

 本当にイスの代わりとして、僕はもたれられてるの?


「確かに学校のイスの背もたれより、葉山くんのボディの方が柔らかい、か……」


 いや納得するな。

 事実としてはそうかもしれないけれど、まともな人間ならばこの行動に行き着くまで、いくつもの障壁があるはずだ。

 僕の知ってる人間社会ならそのはずだ。


「いや、ほら……人の目とかもあるだろ?」


 僕の問いに百環は、こてんと首を傾げる。


「ひとのめ?」

「恥ずかしいとかあるじゃん」

「恥ずかしくないよ」

「な、なぜ? 僕との仲を疑われるぞ?」

「いいよ。しらない」

「……………………」


 僕は、思案した。


 それなりに苦労した人生だが、これは紛れもなく初めましての状況だったからだ。

 僕はひとまず、何が最優先かを判断することにした。


「えっと、ここの文法は昨日の授業の……」

「宿題に入るの⁉︎ 受け入れたの⁉︎」

「ハッ……そ、そうだよな! やっぱりおかしいよな!」


 江口のツッコミで我に返る。

 なぜ僕は宿題を優先してしまったのか。


 どうやら僕は今、静かに大パニックに陥っているようだ。


 そんな中、担任の教師がやってきた。僕と百環を見た途端、ポカンと口を開ける。


「と、とりあえず宿題は後!」

「んぁー」


 百環の鳴き声を耳に、僕は慌てて机を元の位置の戻した。

 そうして教室が異様な空気に包まれたまま、朝のホームルームは始まる。


 百環が巻き起こす、世にも奇妙な1日の幕が上がった。


      ***


 百環の快進撃は止まることを知らなかった。


 昨日「このまま世話を焼いていればウザがられるかもね」なんて江口と話していたが、勘違いも甚だしい。


 その日の百環は、僕を頼った。

 それはもう怒涛の勢いで頼り続けた。


 朝の寄りかかりなど、序の口だったのだ。


「百環、移動教室だぞ」

「んぁ……さう」

「準備しろ。今日はノートと筆記用具だけでいいって」

「さう、とって」

「自分で取れる!」

「私は立つのに全力をそそぐのぉ」

「立つのに全力が必要なのか……?」


 僕は仕方なく百環の鞄から化学らしきノートと筆箱を取り出した。 

 普通男子に鞄の中を見られたくないとか、そういう感覚になりませんかね。


 その間に百環はゆっくりゆっくり、ナマケモノのような速度で立ち上がった。

 そうしてふたり揃って教室を出る、が……。


「さう、はやい」

「……いやその前に、当たり前のように寄りかかるな」


 廊下を移動する中、百環は僕の腕にしがみついて寄りかかり、歩いている。


「こうすると、ちょっと楽」

「いや楽だからって……」


 廊下には、顔見知りでもない生徒たちが山ほどいる。

 彼らは僕と百環を見て驚いていたり怪訝な顔をしていたり。


 僕は顔から火が出そうだったが、百環は平然と、なんなら眠そうにしていた。


「さう」

「さっきから『さう』って、もしかして僕のこと?」

「うん」


 おそらく僕の下の名前の朔からきているのだろう。

 そこまでは理解した上で、聞きたいことがふたつある。


「なんで下の名前?」

「下の方が、文字が少ない」


 1文字の労力さえも惜しいらしい。


「あと、なんで『朔』じゃなくて『さう』?」

「か行も、ちょっと疲れる」

「か行もちょっと疲れる」

「あ行以外は、だいたい疲れる」

「……そうか。じゃあ仕方ないな」


 もう何も言うまい。

 僕は子音と疲労の関係性について考えることをやめた。


「それで、なんだ百環? さっき呼んだだろ」

「おんぶ」

「いい加減にしろ流石に」


 百環を引きずるようにして、僕はなんとか化学室まで連れていく。


「さう」

「何?」

「ちゃみ子がいい」


 一瞬何の話か分からなかった。


「ああ、呼び名のこと?」

「うん。『ももたま』も、疲れる」

「僕は何文字でも何行でも疲れないから大丈夫」

「私が、疲れる」

「聞く方もなの……?」


 自分の苗字を「疲れる」の一言で全否定したぞおい。


「じゃあ、ちゃみ子」

「うん、さう」


 あだ名とはいえ、女子を下の名前で呼び捨てするのって、もっとドギマギするものだと思っていたんだけどな。


      ***


 体育の前の休み時間。

 クラスメイトたちが更衣室へ移動する中、ちゃみ子はまだ席で眠そうにしている。


「ちゃみ子、体育だぞ」

「んぁ」

「体操着は持ってきた?」

「うん」


 ちゃみ子は机のフックにかけたトートバッグをフラフラと持ち上げる。


「じゃあ更衣室に行って」

「どこ? 連れてって」

「男と女で違うんだよ。ひとりで行け」

「……めんどくさいぃ」


 ちゃみ子は口を「いーっ」とさせる。

 何を反抗しているのか。


「さうと一緒がいい」

「⁉︎」

「さう、着替えるの手伝って」

「⁉︎⁉︎⁉︎」


 その発言には僕だけじゃなく、教室にいたすべての人間が動揺していた。

 うっすら興味を示していた視線が一斉にこちらへ向く。


 膝から崩れ落ちそうになっていたところ、江口がバタバタと教室に入ってきた。


「体育体育〜、更衣室いくぞ〜っ」

「江口、ちゃみ子を更衣室に連れてけ!」

「うえっ⁉︎ どうしたの葉山くん⁉︎」

「いいから、頼んだぞっ!」

「さうー」

「さよなら!」


 僕は逃げるように、教室から去っていった。


      ***


 昼休みの終盤。

 僕は仲間内で昼食を食べたのち、次の授業の準備をするため自分の席に戻った。


 すると、昼食を食べ終えて寝ていたちゃみ子が、のっそりと顔を上げる。

 そうして椅子と共にこちらに近づいてきた。


「どうした?」

「ひざーくぁ」


 寝起きのせいか、普段以上に子音が剥がれ、聞き取り難易度が上がっている。


「もう1回」

「ひざまくぁ」

「……もしかして、膝枕って言ってる?」

「うん。机より、さうの方がやわらかい」

「……………………」


 僕は、頭を抱えた。


 無気力で怠惰。

 ここまではまだいい。今となっては可愛い個性だ。


 ちゃみ子の一番の問題点は、羞恥心が欠如していること。

 そして距離感がバグっていることだ。


 普通の女子ならば、公の場では恥ずかしくて絶対にできないようなことを、ちゃみ子は平然と要求してくる。


 正直悪い気はしない。

 僕だって男子なのだから。それは認める。


 だが公序良俗の観点から、受け入れることはできない。

 僕は学級委員長なのだから。


「ダメに決まってるだろ」

「…………」


 キッパリ断ると、ちゃみ子はこれまでと少し違う反応を見せた。


 じっと僕を見つめる。

 無表情だが、その瞳はどうしてか、わずかに揺れている。


「……だめ」

「そう、ダメだ」

「……おんぶも、着替えもだめ」

「そりゃそうだろ」

「さう、あれもだめ、これもだめ」

「だから、ダメなものはダメ……」

「あれもだめ、これもだめ」

「うっ……」

「あれもだめ、これもだめぇ……」


 なぜかじんわりと潤んでいくちゃみ子の瞳と声色に、僕はギョッとする。


 周囲のクラスメイトにも動揺が波及する。

 まるで泣き出す直前の赤ん坊を前にした大人たちのような様相である。


「ひ、膝枕なんて、ダメに決まって……」


 思わず僕は賛同を求めるように、クラスメイトたちに目を向ける。


 しかし彼らの瞳から感じたのは「膝枕なら、まぁ」「やったほうがいいよ」「気にしないフリするから」との同情が入り混じった感情。


「……………………」


 とっさに僕は、最終確認するように、前の席の江口を見た。

 江口は真摯な表情で、ひとつ大きく頷いた。


「……分かったよ」

「んふ、あぃがと」


 そう言ってちゃみ子はイスをくっつけて、僕の太ももを枕に寝始めた。

 その無垢な寝顔を見ながら僕は、改めて思うのだった。


 マズい奴に、捕まってしまった。

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