第28話 がんばったら疲れる
「『葉山くんは頑張りすぎだよー。委員長タスクって言ってるけど、半分以上は葉山くんが自主的に見つけてやってることでしょ。そういうのはね、自分で全部やるんじゃなくて、上手に人に仕事を振ったりするのも、大事だと思うな』」
「…………」
「『葉山くんが教室のためにやってることも、頑張りすぎなことも、でも頑張りすぎないでって言われるのがイヤなことも、分かってるよ。感謝もしてるよ。だから今度からは私も頑張る手伝いをさせてね。じゃなきゃ寂しいよ』」
「っ……」
「おわり」
思いのほかちゃんとした『良い言葉』に喉が詰まる。
これは想定外に、効いた。
江口にそこまで理解されて、そんな風に思わせていたのか僕は。
「次は、葵」
「葵って、山菜さん?」
「うん。この前、ライン交換したから。チャットで聞いた」
「いつの間に……」
次は、山菜さんの『良い言葉』をちゃみ子が読んでいく。
「『葉山朔くんは仕事を覚えるのも早くて、要領も良いよね。だから店のみんなも、すぐに頼っちゃってたけど……私はもうちょっとゆっくりと、おしゃべりしたり、ちょっとだけサボったりしながら、一緒に楽しく仕事したいって思ってるんだ』」
そういえば、会話のきっかけはいつでも山菜さんだった。
今考えたら、ただ山菜さんがしゃべりたいんじゃなくて、僕を良い意味でサボらせようとしてくれていたのかもしれない。
「『次からシフトで一緒になった時は、私にいっぱい頼って、いっぱい甘えてね。待ってるから。絶対だよ』」
「…………」
「おわり」
ちゃみ子は、しばしスマホを見つめて沈黙。
「本当に人妻じゃないの?」
「らしい」
なんなら人妻すぎて、わざと人妻感を出しているのかとさえ思うようになってきた。
いやわざと人妻感を出して得られるメリットって何?
「最後、桃」
「っ……」
だろうなとは思ったが、やはり桃にも聞いていたか。
少し聞くのが恥ずかしい。そしてちょっと怖くもある。
だが、聞くしかない。
「『さっくんに言いたいこと? 大好きしかないよ!』」
「っ……」
「『あ、でも頑張りすぎてるのは、そうかも。家のこといっぱいやってくれて、私のこともいっぱい考えてくれてるけど……さっくんはやりたいことやれてるのかなって、思うの』」
「…………」
桃にまで、そんなこと思わせていたのか。
「『だからね、ちゃみ子ちゃんといる時のさっくん、好きなんだ!』」
「え……」
「『家とかバイトとか勉強のこと考えてない、ただのさっくん。ちゃみ子ちゃんといる時のさっくんは、そんなさっくんな気がする』」
そんな風に思っていたのか。ちゃみ子といる時の僕を。
「『だから、そんなさっくんを大事にしてほしい。さっくんの世界の主人公はさっくんなんだから。どんなさっくんだろうと、私の自慢のお兄ちゃんだよ!』」
「っ……」
「おわり」
これにて、用意してきた僕に聞かせるべき『良い言葉』は終了のようだ。
すべてを読み終えたちゃみ子は、なんだか息が荒い。
「いっぱい読んで……疲れた……」
「だろうよ」
実際、ちゃみ子がこんなにしゃべっているところを、僕は初めて見た。
普段行きすぎた省エネで生きているのだから、たまにはこんな時間も必要だろう。
「……あ」
不意にちゃみ子が、何か閃いたような顔をした。
「どうした?」
「私も出そう」
「何が?」
「良い言葉……出かかってる、ちょっと待って」
良い言葉ってそんな、くしゃみみたいな感じで出るの?
「あ……出たかも」
「そうか。言ってみな」
ちゃみ子はいつもと変わらない眠そうな目で、のろのろと話す。
「さう。がんばると、疲れるんだよ」
「…………」
そりゃそうだろ。
と言いかけたが、まだ続きがあるらしい。
「でもさうは……がんばると、もっとがんばらなきゃって顔をする」
「え……」
「がんばるために、がんばってる?」
「っ……」
「だから……がんばるためにがんばらないで。あと、ちゃんと疲れて」
これが、ちゃみ子の『良い言葉』のようだ。
ちゃみ子はぼうっと僕を見つめている。
感想待ちというわけではなさそう。何かこう、心配そうなニュアンスも表情から感じ取れた。
「さう」
「ん?」
「今の、『良い言葉』だった……?」
「不安になるなよ」
良い言葉を言った直後、本当に良い言葉だったか心配するやつがあるか。
受け取った側はどんなスタンスでいれば良いんだよ。
「大丈夫。ちゃんと響いたよ。要は頑張ることが目的じゃなくて、何のために頑張るかを考えて頑張れってことと、疲れてるのに気づけってことが言いたかったんだろ?」
「たぶん、そう」
たぶんて。頼むから自信を持て。
その時ふと、ちゃみ子は前にも『良い言葉』めいたことを言っていた気がした。
何だったかと意識して思い出さなければいけない時点で、本当にそれは『良い言葉』なのか疑問ではあるが、割とすぐに出てきたので『良い言葉』としよう。
『やらなきゃいけないことなんて、本当はひとつもないんだよ?』
契約を結ぶ前、僕とちゃみ子と江口での三者面談の時に、言った言葉だ。
この瞬間は今でもたまに、頭に浮かぶことがある。
「なあちゃみ子、前に言ってたよな? やらなきゃいけないことなんて、本当はひとつもないって」
「ああ、うん」
「それって、どういうことなんだ?」
尋ねるとちゃみ子は、少しの間考える。
顎に手を当てるでも、宙を見上げるでもなく、ただ僕を見つめながら「うーーーーーん……」と唸っている。
整ったらしく、ちゃみ子はポツポツと言葉にしていく。
「私にはやりたいことがないし、なりたいものもない。だから、やらなきゃいけないことなんて、ない」
「うん」
「でもやりたいことがあったり、なりたいものがあるなら、そのためにやらなきゃいけないことは、本当はやらなきゃいけないんじゃなくて、ただやりたいだけ。それ以外のやらなきゃいけないことは、やらなくてもいいこと……ということ」
「……なるほどな」
「わかった?」
「うーん……だいたい、言いたいことは。でもまだ全部は納得できてないかも」
「そっか」
そこに不満はないらしく、ちゃみ子は何度か頷くだけだった。
「でも、良い言葉ではあると思う」
「んふ、そう。私、良いこと言えた?」
「……まあまあな」
「なんだ。じゃあ3人の良い言葉を集めるとか、がんばらなくてよかった」
「おい」
こちとらちょっと感動したんだぞ、あの3人の言葉でも。
でも、これはもう、受け入れるしかない。
なぜなら僕の心は今確かに、軽くなってしまっている。
ならば、僕の負けだ。
「さうがしたいことは、何?」
ちゃみ子は僕の頭を撫でながら、子供に尋ねるように言う。
僕は、心の中の一番上にある欲を、口にした。
「ちゃみ子の髪に触りたい」
「んふ、変態だもんね」
「あと、ちゃみ子の家のソファで昼寝がしたい」
「いいね」
ちゃみ子はくすくすと笑う。
「私には、さうが必要。でもさうにも、私が必要」
「…………」
「私というか、私の髪が」
そうだな。よく分かっている。
「うちのソファで、昼寝する時間も必要。がんばるさうはカッコいいけど、がんばらないさうもみんな好き。私も好き」
「うん」
「だからさう、たまにはウチでサボろ?」
「…………」
なんだそれは。どんな誘いだ。
そう思わなくもないが、残念ながら僕は、負けたのだ。
それゆえ、迎合するしかない。
「ちゃみ子」
「うん」
「たぶん僕、うまくサボれない人間なんだ。ちゃみ子みたいに、うまく寄りかかることができないんだ」
「そうなんだ」
「だからこれからは、ちょうど良い寄りかかり方を教えてくれ」
僕もまた、おかしなお願いを口にしてみる。
するとちゃみ子は、とても満ち足りた表情で、応えるのだった。
「いいよ、寄りかかるのは得意だから」