第20話 ちゃみ子と買い物
5月下旬。
中間テストが終わった。
僕の成績は、総合点でクラスで3位。学年では11位とのこと。
「おーーー、やっぱすごいね葉山くん!」
放課後。
その結果を教えると、江口は感嘆の声を上げる。
「朝と夕方にバイトいっぱいして、家事とか委員長の仕事をやっても、そんな良い成績が取れちゃうのかー」
「うーん……でもケアレスミスが多かったんだよなぁ」
僕は正直な気持ちをこぼす。
別に順位を気にしてはいないが、くだらないミスでいくつか取りこぼしていたのが非常に悔しい。
きちんと問題を読んでいれば。
時間内に見返していれば。
そんな後悔が答案に散りばめられている。
ただそう言った途端、江口は目を釣り上げる。
「おおっと、その成績でも不満かい? 嫌味な委員長だこと!」
「本音だしなぁ。江口はどうだったんだ?」
「話題を逸らすんじゃあない!」
真実は分からないが、たった今話題を逸らしたのは江口の方だと予想する。
「さう」
会話に割って入ってきたちゃみ子。
その瞳から「早く帰ってダラダラしたい」との圧が感じられる。
「えっと……そうか。今日は途中まで一緒に帰る約束だったな?」
「そうなんだ、仲良しだね!」
本当は一緒に帰るどころかちゃみ子の家にまで上がり込むのだが、適当に誤魔化す。
江口をはじめとしたクラスの面々には、いまだにちゃみ子の世話は学校でのみ、ということにしている。
家へ頻繁に通っているとバレるのは、流石によろしくないという判断だ。
「ちゃみ子ちゃんはひとりで街を歩かせたら、悪い大人に声かけられたりしそうだしね。でも葉山くんが連れ添ってるなら安心だね!」
そこまで子供じゃないだろ……と言いたいところが、確かにこんなふにゃふにゃだと、ちゃんと拒絶できるか不安ではある。
ただ結局は面倒くさがるから、悪い大人について行ったりはしないだろうとも思う。
「ところでさ、ちゃみ子ちゃんは中間テスト、どうだったの?」
こいつ、自分の成績は明かさないくせに、人のはガンガン聞いてくるな。
「ん」
ちゃみ子はポケットから、雑に折り畳まれた紙を取り出す。
各教科の点数やクラス及び学年での順位が書かれた成績表だ。
僕と江口はそれを見て、一瞬言葉を失う。
「ちゃみ子……お前ってさ」
「んあ?」
「全然勉強できないわけじゃないよな?」
ちゃみ子の成績は、各教科おおよそ50点台か60点台。
英語だけは78点とまあまあの点数だった。
順位はクラスでも学年でも平均よりやや下。
けして良くはないが、普段の圧倒的無気力さを肌で感じていると、意外に思える成績だ。
それに、ちゃみ子が家で勉強している姿は見たことがない。
先週の土曜、ちゃみ子の家でテスト勉強に付き合わせたくらいだ。
なのに、なぜ平均点くらいは取れるのか。
「だって、授業中って他にやることないし」
「ん?」
「寝てたら怒られるから」
「ああ、なるほどな」
つまり授業をちゃんと聞いてるから、それ以外の時間にあまり勉強しなくても、平均点くらいは取れるということ。
簡単に言うが、なかなかできることではないと思う。
ただ、こう考えることもできる。
ちゃみ子は普段から無欲で無気力で行動力が皆無なために、普通の人より脳のリソースが有り余っているのかもしれない。
だから授業に集中できるし、入ってくる情報もきちんと吸収、処理できる。
あくまで仮説だけど、もしこれが真実なら、とんでもない伸びしろを秘めている可能性がある。
何かにのめり込めば、ひとかどの人間になれるかもしれない。
いや、ないな。
ちゃみ子に限ってそんな夢物語。
こんなにも何かのめり込む姿が想像できない人間が、かつていただろうか。
ちゃみ子はきっといつまでも、無気力で高望みしない、脱力人間なのだろう。
それでいい、とも思える。
「……………………」
ふと僕は、江口が謎の微笑みを浮かべたまま固まっていることに気づいた。
真意は分からないが、僕にはこう、耐えがたい情報を処理するのに時間とエネルギーを要しているように見える。
「江口、お前アレだな?」
「…………」
「絶対にちゃみ子より、自分の方が上だと思っていたな?」
「くうっ……」
膝から崩れ落ちる江口。
図星だったか。
「己の精神安定のためにちゃみ子を利用しようとするとは、醜いヤツだな」
「恥を知れぇ」
「くそぉうっ!」
ちなみに江口の成績は、各教科50点台から60点台。
大体はちゃみ子と同じくらいの点数だが、総合点はちゃみ子よりも3点低かった。
「江口お前、毎朝早く登校して勉強してるのに、なぜ……?」
「逆に言うと、それ以外で勉強してないよね。授業中も落書きとかしてるし。『朝勉強した私えらい!』貯金を切り崩す毎日です。ウケる」
ウケないが。
無個性女子・江口なぎ。
くしゃみがエチチに加えて、また新たな個性が加わった。
毎朝勉強してるのにアホ。
「ひどい!」
***
教室で江口と別れ、僕とちゃみ子は連れ立って下校。
家の最寄り駅の改札から出たところで、ちゃみ子が服の袖をクイっと引っ張る。
「さう、行きたいとこある」
「え、今からか?」
「うん。一緒にきて」
「ああ、分かった」
これまた珍しい。
一刻も早く帰宅したいでお馴染みのおうち大好きちゃみ子が、放課後に寄り道をするなんて。
一体何がちゃみ子を家から遠ざけるのか。
純粋に気になる。
ちゃみ子に連れられるがまま駅前を行く。
向かったのはとある商業ビルだ。
目的のお店は決まっているようで、ちゃみ子は迷いなくぽてぽてと歩みを進めていく。
「さう」
「ん? ああ、ここか」
ちゃみ子が足を止めたのは、ルームウェアや靴下を販売しているお店。
女性向けの商品ばかりで、お客さんも店員さんもほとんどが女性だ。
なので僕としてはなかなか入りにくいが、ちゃみ子はそんな僕の気も知らずにぬるぬると店を進んでいく。
「なにを買うんだ?」
「こっち」
「こっちって……ッ!」
ちゃみ子が入っていくのは、女性用の下着エリアだ。
これには僕も後退りしかける。
だがちゃみ子は、僕のブレザーの袖を掴んで離さない。
「きて」
「い、いや……僕は外で待ってようかなと……」
「だめ。悪い大人に連れてかれちゃうよ?」
「いねえだろ、こんなところに悪い大人」
「んふ」
「このっ……」
完全に理解した。
こいつ、僕に恥ずかしい思いをさせるために、わざわざついて来させたのだ。
「僕がこんなところにいたら、他のお客さんにも迷惑だろっ。だから外で待って……」
と、ここでそばにいた妙齢の女性ふたりが、僕に笑いかける。
「大丈夫よー、私たち気にしないから」
「彼女に付き合ってあげなさいな」
「うっ……」
謎に気を回されてしまった。
女性たちは「可愛いカップルねー」とか言って勝手に盛り上がっている。
そしてちゃみ子は、ほくそ笑んでいる。
ここで出ていけば、逆に恥ずかしい感じになってしまった。
なので僕はちゃみ子の毒牙にかかったまま、女性用下着ゾーンに滞在することに。
「さう、どれがいい?」
「知るか」
「さうが見たいやつでいいよ」
「見たいって……いつどこで見るんだよ」
「掃除してるとき、床で」
確かによくブラジャー落ちてるな、お前んちの床。
治安の悪い床だよ。
「まず床に落としておくな」
「床に落ちててほしいブラの柄ランキング、教えて」
「ねえよそんなの」
一通り僕をからかったのち、ちゃみ子は気になった下着をいくつか選択する。
そうして試着室へ向かおうとしたところで、僕はその手を振り解く。
「さう」
「やだっ……」
「さう」
しかしちゃみ子はその手を再度掴む。
しばらくこの攻防は続いた。
「放せ……放せっ!」
「試着手伝って、さう」
「手伝いません! すみませーんっ!」
助けてくださーい!
という感情のもと僕は店員さんを呼び、アテンドをお願いした。
店員さんと共に試着室の方へ去っていくちゃみ子は、つまらなそうな顔をしていた。
もうこのまま置いて帰ってやろうか。