第16話 ギャルの髪を洗う
「さう、髪洗って」
「……………………」
僕が、ちゃみ子の髪を、洗う。
それは一体どういう形式で、どういうポジショニングで、行うのだろう。
美容室のシャンプー台があれば話は早いが、残念ながらちゃみ子の家にシャンプー台はない。
というか一般家庭にシャンプー台はない。
では、どうやって?
「先行ってるから。呼んだら来て」
「ああ、わかっ…………んんっ⁉︎」
僕の反応など気にもせず、ちゃみ子はのそのそと風呂場へと向かっていく。
「え、そういうこと? いやつまりどういうこと?」
ちゃみ子を見送った後、僕は顎に手を当てながらその場をウロウロ。
そりゃ一般家庭において、髪を洗う場所なんてひとつだ。
風呂場しかない。
でもそしたら僕は、ちゃみ子と風呂を共にするのか?
こんな突発的に裸の付き合い?
いやいや、裸を見せるのは流石のちゃみ子でも……。
「ない、よな……?」
とりあえず心を落ち着けよう。
掃除でもしよう。
そう思ってリビングを見回すと、ついため息が漏れる。
足繁くこの家に通い、短い時間でもきちんと片付けている。
なので少しずつでも綺麗になっていってるはずなのに、それでも進捗が悪いように見えるのは、当の家主が平気で散らかし続けているから。
完全に3歩進んで3歩下がっている状態である。
「こりゃ一回、休日にでも一気に進めるか…………うわっ!」
まるで虫を見つけたかのように反応してしまった。
しかし実際に発見したのは、ブラジャー。
前にも似たようなことがあった気がする。
童貞なのでよく分からないのだが、ブラってリビングにポイってするものなの?
「これ、洗った後か? それとも……」
「さうー、いいよー」
「っ!」
そうこうしているうちに、呼び出しを食らってしまった。
いまだ判明していない、ちゃみ子の髪を洗うその方法。
というよりそのスタイル。
まさか本当に風呂場で……?
まさか今から僕は、このブラの中身と対峙するのか……?
「んなわけ!」
うん!
「ない!」
そうだ!
「よな……?」
どうだろう……?
不毛な自問自答をしてしまうくらいには、テンパっていた。
「さうー」
「は、はい!」
ひとまず、ちゃみ子の声の鳴る方へ。
脱衣所に入ると、床には我が校の制服が散らばっていた。
まだ温かいそれを畳んで洗濯機の上に置きつつ、僕は一旦その場で様子を見る。
すりガラスの向こうには、人影がポツン。
こちらに背中を向けているのだろうか。ほぼちゃみ子の長い髪しか認識できない。
「さうー、まだー?」
「っ……ちょ、ちょっと待て!」
おそらくだが、僕も風呂場に入るという話なのだろう。
ではこの場合、僕は脱ぐべきか否か。
9割方、すりガラスの向こうのちゃみ子は何らかを身につけている。
流石のちゃみ子もここで全裸を晒すことはないと信じたい。
だが万が一にも全裸だった場合、こちらも全裸でないと失礼にあたるというもの。
どうする……脱ぐが脱がざるべきか。
間をとって半分脱ぐか?
下半身だけ全脱ぎして突入するか?
あるいは1割の確率で向こうが全裸なら、こちらも1割だけ脱ぐか?
いや1割脱ぎってなんだ? 股間のチャックだけ全開にすればいいのか?
どうすればいい!
僕は一体どうすればいい!
「おそいー」
「うおっ!」
逡巡していると、不意に風呂場の扉が開く。
そこに立っていたのは、バスタオルを身体に巻いたちゃみ子。
背が低いおかげで、胸元から膝上までしっかりと隠れている。
「…………」
「なに?」
「……いや、なんでも」
蓋を開ければ、そりゃそうだ、という格好で待っていたちゃみ子である。
そんなわけで、こちらも真剣にシャンプーに取り組もうと思った。
ワイシャツの袖とスラックスの裾をまくり、シャワーの温度を確認。
「お湯加減はどうだ?」
「ちょうどいい」
無意識に、美容師みたいなことを言ってしまった。
「じゃあ、頭を流すぞ」
「うん」
頭頂部からシャワーを当てると、三次元的な広がりを見せていたちゃみ子のもあもあな髪が、一気にペタッとなっていく。
最後に桃と風呂に入ったのはいつだったか。
人の髪を洗うのはそれ以来だ。
もちろん、他人のは初めて。
正直なところ、女子の髪を洗うという行為も、大いに興味を持っていた。
なので突発的で予想外な展開ではあるが、僥倖とも言える。
せっかくの機会なのだから楽しまなければ損である。
「シャンプーは……これか」
ドラッグストアではあまり見かけないボトルである。なんとなくだが高級感があるように見える。これもみれいさんのおすすめなのだろうか。
「それじゃ、やってくぞ」
「うん」
頭皮と髪をしっかり濡らしたところで、シャンプーを馴染ませていく。
空気を含ませるように、優しく泡立てていく。
「うおぉ……」
「なに?」
「いや、大丈夫だ」
髪質のせいかすごい勢いで泡立っていく。
つい感嘆の声をあげてしまうほどに。
これだけ天然パーマだと泡立ちにも影響するのか。
直毛である桃の髪しか洗ったことがないから、シャンプーの量を見誤ってしまった。
そうしてたっぷりの泡で、髪は繊細なタッチを心がけ、頭皮は少し力を込めてマッサージするように洗っていく。
「んふ……気持ちいぃ」
「人に洗われると、やたら気持ちいいよな」
「うん。さう、うまい」
「そりゃどーも。痒いところはあるか?」
「なぁい」
もうひとつ美容師さんっぽいセリフ。
これはわざとである。
髪も頭皮もしっかり洗ったところで、シャワーで流していく。
モコモコの泡がちゃみ子の髪から流れ落ち、排水溝へと大挙していく。
圧巻の光景である。
泡が綺麗サッパリなくなった髪を、軽くギュッと絞る。
そうして仕上げへ。
「よし、次にトリートメントな」
「うん」
シャンプーの隣に並んでいるトリートメントのボトルをプッシュ。
ちゃんと同じメーカーで揃えらえていた。
「これ、良いやつなのか?」
「わかんなぃ。みれぃと同じの」
「ああ、やっぱり」
「みれぃ、おしゃれだから」
「そうなのか」
みれいさんに関する情報がさらっと出てきた。
名前と住所以外では初めてじゃないか?
「あと、おっぱい大きい」
そりゃお前もだろ、と言いかけて堪えた。
トリートメントを満遍なく髪に塗っていく中で、いったん常識的な釘を刺しておく。
「あんまりな、人のおっぱい事情を他言するもんじゃないぞ」
「んふ……そっか、さうはおっぱいより髪だもんね」
「そういうことじゃなくて」
確かにみれいさんの髪型とか髪質とかも気になるけど。
おっぱいといえば、現在のちゃみ子の格好。
バスタオルを巻いただけの姿だ。
少し前ならドギマギしていたが、悲しいかな、もはや慣れてしまった。
というのもこれまでに何度か、ちゃみ子から髪を乾かしに来いとの用命があり、行けば必ず彼女はバスタオル姿で待ち構えているからだ。
だからもう、上から見える胸の谷間など、どうってこと……。
「ッッ⁉︎」
「どした、さう」
されるがままで目を瞑っているちゃみ子だが、僕の動揺には気付いたらしい。
少しだけ首を傾ける。
「い、いやなんでも……もうちょっとで終わるからな」
「うん」
気付いてしまった。
ちゃみ子は現在、かなり薄い生地のバスタオルを巻いている。
しかも白の。
最初は気づかなかったが、水に濡れた状態で改めて確認すると……本当にわずかだが、透けているように見える。
うっすらと、ピンク――。
「よ、よし! トリートメントは以上だ!」
「え?」
「洗い流すのは自分でやれ! 僕は出るからな!」
理性が保たれているうちに出ねばと、僕は急いで手のトリートメントを洗い流す。
そうして慌てて風呂場から退却しようしたところ……。
「さう」
ちゃみ子が呼び止める。
「もう面倒くさいから……全身洗って」
「できるかぁい!」
盛大にツッコミを入れたのち、僕は逃げるように風呂場から出ていくのだった。