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第12話 ブローはバスタオルのままで

 ある日の夕暮れ時のこと。


 桃のリクエストにより、本日の葉山家の夕食はポークカレー。

 手際よく調理を進め、母親が帰宅する30分前には完成した。

 しっかり吸水させた白米を炊飯器にかけ、ふっと一息。


 しかし、エプロンを外しかけたその時、僕は失策に気づく。


「あ、しまった」

「どしたの、さっくん」


 桃は、キッチンから見えるリビングにて動画を見ていたが、めざとく反応する。


「らっきょう買い忘れた」

「ええっ!」


 桃は目を見開き、両手をあげ、全身で驚きを表現する。


 それもそのはず、桃はカレーには絶対らっきょう派だ。


 桃にとってカレーのらっきょうは肉や野菜と同格レベル。

 らっきょうのないカレーは、もはやカレーにあらずと認識していると言っても過言ではない。


「らっきょう……」


 それゆえカレーを楽しみに待っていたその顔に、翳りが見え始める。

 胸がチクリと痛む光景である。


 とはいえ今から、らっきょうだけを買いに行くのは効率が悪いだろう。

 となれば残された手はひとつだ。


「仕方ない。母さんに買ってきてもらおう」

「えー、でもあっちのスーパーのらっきょうがいいなぁ……」


 こだわりのある桃は、とある銘柄のらっきょうを特に好んでいる。

 が、それは駅近くのスーパーにはない。


 つまりそれは、駅から買って来れるらっきょうではないのだ。


「すまん、今日は別のらっきょうで我慢してくれ」

「うーん……しょうがないなぁ」


 深く頭を下げたことで、なんとか許してもらえた。

 物分かりのいい妹でよかった。


 というか、らっきょうにこだわりのある小5って何?


「それじゃ母さんにラインを…………ん?」


 スマホを見ると、すでに1件ラインが届いていた。

 ちゃみ子からだ。つい1分前に来ていた。


「…………」


 嫌な予感がした。


 恐る恐る、ちゃみ子とのチャット画面を開く。

 そこには一言、こう書かれていた。


『髪乾かして』


 一瞬、意味が分からなかった。


 どうすれば良いのか。

 我が家から熱波を送ればいいのか。サウナのロウリュみたいに。


 そんな意味の分からないことが頭を巡る。


「……いや、まさかな」

「どうしたの、さっくん?」


 無垢な妹の頭を撫で、「なんでもないよ」と一言。

 そうして返信を打つ。


『どういうことだ?』


 スタンダードな疑問文を送ると、瞬時に既読がつき、ものの数秒で返答はくる。


 ちゃみ子はチャットの返信だけはやたらと早い。

 たぶん、指を動かすだけでいいから。あとギャルだから。


『お風呂から出たら、力が尽きた。髪も乾かせない』

「マジか……」


 そんな体力ミリで生きてるのかよ、ちゃみ子。


 そういえば今日の体育はマラソンだった。

 ちゃみ子は特に理由もなく、サボろうとしていた。

 だが流石に注意して、できる限り走らせたのを覚えている。


 それによって、髪を乾かす体力が失われたというのか。


 いやだからと言って、わざわざ髪を乾かすために家に行くのは馬鹿馬鹿しすぎる。


 自転車で3分ほどのご近所さんだし、髪をブローするのは僕にとってはまったく苦ではなくむしろ望むところなのだが……それは甘やかしすぎだろう。


『それくらい自分でやれ』


 よって、突き放した。


 こちとらこれから家族でゆっくりカレータイムだ。

 なんで髪を乾かすために使いっ走りさせられなければいけないのか。


 髪フェチ嗜好よりも、プライドが勝った瞬間である。

 こんな日があったっていい。


 そうして改めて母親に、らっきょうを買ってくるよう連絡しようとした時だ。


 ちゃみ子から、今度は2つのチャットが届く。

 それは1行の文と、とある画像。


『このまま寝てもいいの?』


 画像は風呂上がりの、バスタオルを巻いた自撮り写真。


 髪がびしょ濡れのまま。

 タオルドライさえしていない。


「……………………」


 脅迫してきやがった。

 僕の愛する髪を人質にして。


 怒りに震える僕。

 気づいた時には、スマホと財布と鍵を手にしていた。


「……桃、お兄ちゃんな、らっきょう買ってくる」

「えっ、いいよ別に」

「いや……やっぱり僕も、あのらっきょうじゃないとダメな気がしてきた」

「えへー、そう思う? わかってるねーさっくん!」


 嬉しそうな桃の純粋な表情を前に、胸がチクリと痛む。

 ウソつきな兄を、どうか許してくれ。


「それじゃ、行ってくる」

「うん、行ってらしゃーい」


 マンションを出た僕は、駐輪場で自転車に飛び乗る。

 そして、体力的または法律的に可能な、最大限の速度を出す。


 向かった先は、ちゃみ子のマンション。

 エントランスのインターフォンで呼び出す。


「ハァ、ハァ……きたぞ」

『んふ』


 ちゃみ子の喜悦を孕んだ声が聞こえた後、自動ドアが開いた。


 そうして、ちゃみ子の家まで辿り着く。

 ちゃみ子は不用心にもバスタオル姿のまま出迎えた。


「さう、おかえり」

「おかえりじゃねえよ」


 確かについ数時間前にも来たけれども。


「いい性格してるよ、ほんと」

「んふ。さうなら来ると思った。変態だから」

「変態を弄ぶな。ほら、洗面所いくぞ」

「ソファがいい。ソファで乾かして」

「仕方ないな……」


 連れ立ってリビングに向かう。


 前を歩くちゃみ子の髪は濡れていて、いつものボリュームは皆無。

 ウェーブがかった髪の束がペチペチと、真っ白な太ももの裏に当たっている。


「いや! その前に着替え!」

「んあ?」

「バスタオル巻いただけ! それダメ!」


 思わず片言になってしまうのも、無理はないだろう。


 髪に意識が集中して、なんか普通に受け入れてしまっていたが、バスタオル姿で目の前に現れてもらっては困る。主に目のやり場に困る。


「パジャマに着替えてこい!」

「やだ、めんどくさい」

「めんどくさくない!」


 確か昨日、ジェラートでピケなパジャマを洗濯したはずだ。

 そいつを強引にでも着せてやらなければ……。


 そう企てていたところ、それを見透かしたかのようにちゃみ子は主張。


「ここは私の家。私がしたい格好をする」

「なっ……か、髪を乾かしてやらないぞ!」

「いいよ。このまま寝てもいいのなら」

「ぐっ……」


 敗北。

 完璧なまでの敗北である。


「はぁ……分かったよ。とっとと来い」

「んふ」


 ちゃみ子はバスタオル姿のまま、ソファに座った。

 上も下もだいぶ際どい気がするが、まるで恥ずかしがるそぶりを見せない。


 ほんと、羞恥心はどこへ置いてきたんだよ。


 ひとまず気にせず、ブロー開始。

 とその前に、洗い流さないトリートメントをつける。


「……ん? これ良いやつだろ。普通のドラッグストアには売ってないやつ」

「よくわかんない。みれぃにすすめられたのを買っただけ」

「そうか、いい幼馴染を持ったな」


 どうやらみれいさんとやらは、多少なりとも美容に精通しているらしい。

 本当、ちゃみ子のお隣さんが彼女でよかった。


「そういや、なんでお隣のみれいさんじゃなくて僕を頼ったんだ?」

「みれぃは最近、仕事いそがしいから」

「仕事?」


 バイトでもしているのだろうか。


「それに、さうは私の髪、乾かしたいかなって」

「……そこまででもねえよ」


 女子の髪をブローするのは無論望むところではあるが、出張させられてまでしたいわけではない。たぶん。


「今日だけ特別だからな。こんなこと毎日やってられないし」

「わあってるよ。わあってる」


 本当だろうか。週1〜2くらいで出張ブローさせられそうな気配がするのだが。


 さて、母親が帰宅するまであと20分ほどか。

 それまでには帰らないと桃が心配する。

 らっきょうも忘れずに買わないと。


「熱くないか?」

「うん」


 ブローを開始する。

 長く量も多いため効率的にやらないと、どれだけ時間がかかるか分からない。


「さう――――」

「ん? なに、聞こえない」


 ドライヤーの音でかき消されたちゃみ子の声。

 一度ドライヤーを止めて聞き返す。


 ちゃみ子は、若干おねむな声で、呟いた。


「さう、カレーの匂い」

「ああ、作ってたからな。今晩はカレーなんだ」

「カレー、いいな」

「今度作ってやろうか?」

「うん、食べたぃ」

「わかったよ」


 そうしてブローを再開。


 人に乾かされていると妙に眠たくなるのはちゃみ子も同様らしく、だんだんと船を漕ぎ始める。


 若干乾かしづらいが、気持ちよさそうなのでこのままにしてやろう。

 結局のところ、僕はちゃみ子に甘いんだなぁと、思わされる夜の出来事だった。


 ちなみにその後、僕はちゃんとらっきょうを買って帰った。

 桃は「これだよこれ〜」と喜びながら、カレーに舌鼓を打っていた。

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