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プロローグ

小さな子犬に向かって独自の十字を切り、呟く。

「南無阿弥陀仏、来世があったら幸せになってくれ。」

毎度自分でも不思議に思う。キリスト教の行為をして、仏教の言葉を口にするのだから。

しかし…こんな事していても神など信じてはいないのだから、住職や神父に見られたら怒られるな。

一人苦笑しながら、少年は夜の道を帰っていた。

そして思う。

もし、ここであの子犬の様に車に轢いてもらえたら…

いや、と頭を振る。あの子犬は轢かれたくて轢かれた訳ではないのだから、自分と一緒にするのは失礼か。


再び歩き出した少年の顔を冷たい雫が濡らした。

そして雫は徐々に、その数を増していく。

「雨か…」

そこまで激しくはない雨だが、確実に彼の身体を濡らし、体温を奪っていく。

それでも少年は傘を差そうとしなかった。

少年は雨に濡れるのが好きだった。

徐々に体温が奪われていく感覚が、まるで死ぬ間際の様だからである。

自然死…あぁ、なんて良い言葉だろう。

「ふふっ、」

少年の口から嘲笑が漏れる。

いや、自虐ともとれる笑いがあたりに静かに木霊する。

「何を考えているんだろう、俺は。」


橋を渡る。

ついつい目線が谷底に行ってしまう。

…ここから飛び降りたいと思ったのはこれで何回目だろう。

高さ数メートルの決して低くはない橋だ。所々に岩も顔を出している。もしここから落ちれば、ただでは済まないだろう。下手をすれば死ぬ高さであることは間違いない。

「死にたい。」

思わず、ポロッっと口からこぼれた言葉は、虚しく虚空に飲み込まれて行った。

唯一と言っても良い望み。

この場所で、いつも口から出てしまう願い。

この時間にこんな場所にいる人間などいないのだからと、発した台詞。

「貴方も?」

しかし今回は違っていた。

「えっ?」

声のした方を見る。

橋の電灯と電灯の間のわずかな闇にその声の主はいた。

「貴方も死にたいの?」

再び問われる同じ質問。

「い、いや、違う。」

条件反射と言っても良いだろう。

無意識にそう答えていた。

いつも、そう答えるから。

そうとしか、答えてはならないから。

「そう。」

声の主は淡白に答えると、もう少年には興味が無いかのように、手すりの外から虚空の漆黒を眺めた。

「…君の名前は?」

我ながら呆れた質問だと思いながらも、その声の主を観察する。

少女だ。

病的とも言える白い肌に、緩やかにウェーブのかかった茶髪が印象的な、自分とそんなに年齢も変わらないであろう少女。

「私の…名前は…、」

こちらも見ずに名乗った少女。

ただその声は弱い風にかき消されていった。

「ん?良く聞こえなったけど、それで…あなたは、そんなところで何をしてるのかな?」

軽く聞いたつもりだったが、やはり少し声が震えていた。

なんとなく、分かってしまったから。

彼女が何をしようとしているのか、分かってしまったから。

「…死のうと思って。」

一拍おいて少女が答える。


…やっぱりだ。

分かってはいた。

ただ、出来る事なら違う答えが欲しかっただけ。

自分の中の身勝手な願望を他人に言われたくなかっただけ。

「なぜ?」

「…?」

振り返る少女。その黒い瞳に映るのは虚無。

自分と同じ瞳。

「なんで死にたいの?」

「貴方はなんで生きてるの?」

「えっ?」

質問に質問で返されるとは、思っていなかったため、少し狼狽してしまった。

「貴方はなんで死なないの?」

「………。」

いきなりな質問。いつもなら、笑って適当な言葉を並べるところだが…

彼女の瞳が、まるで自分の瞳が、それを許さない。

考えれば考えるほど、

ぐるぐると、思考が渦を巻く。

考えが纏まらない。脳が熱を帯びる。これ以上考えるなと警告が鳴る。

「………。」

「…そう。」

大して興味もなくなったのか、少女は視線を虚空に戻し、一歩歩みを進める。

もう一歩。もう一歩で、彼女の願いは叶うだろう。

常人にとってその一歩は、とても重く、とても長い事を少年は知っている。

だが同時に、その一歩が、とても軽く、とても短い事も少年は知っている。

そう、子供が小川や用水路を飛び越えるのと同じだ。

覚悟があれば誰にでもできる。恐怖心にさえ負けなければ、容易い行為だ。


同じ願いを持つ彼女だから。

目を瞑る少女。

自分には出来ない行為を行おうとしてる彼女だから。

微かな深呼吸。

誰よりも彼女の思いを分かってしまったから。

片足が空を踏む。

彼女の行為が禁忌だと知っているから。

少女の体が傾く。

その一歩を踏み出す少女を彼は…


とんっ、


「え?」

思わず発せられた声。

それが、自分の声だと気づくまでに時間がかかった。


今、俺は何をした?


傾く少女を、この手で…。


俺は……



押した…



否、突き落とした…。




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