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81 消えた第二王子

ライオネルがエマの屋敷を訪れ、庭園で心を通わせたあの日から――二人の距離は目に見えて縮まっていった。


 彼は王宮に戻ってからというもの、まるで隙間を埋めるように手紙を送り続けてきた。

 朝に届く便りには、「昨日はよく眠れたか?」と気遣う一文や、王宮での些細な出来事。夜に届く便りには、会えない時間を埋めるような、彼らしい柔らかな言葉が並んでいた。


 エマもまた、返事を書かずにはいられなかった。

 清書の前に何度も下書きを書き直してしまう日もある。ペン先が紙をなぞるたび、彼の手元にも自分の想いが届いていくのだと思うと胸が熱くなった。


 ――こんなにも誰かを想う気持ちが、自分の中にあったなんて。


 そう気づくたび、頬が自然とゆるんでしまう。

 便箋を閉じ、封蝋を押すたびに、明日また彼からの返事が届くと信じて疑わなかった。


 けれど――。


 その穏やかな日々は、ある朝、唐突に途切れた。


――その日を境に、ライオネルからの手紙はぴたりと止まった。


 前日まで、まるで呼吸をするように届けられていた便り。朝の光の下で封を切る瞬間は、今のエマにとって一日のうちで最も心が弾む時間だった。けれど三日、四日と手紙が届かない日が続き、胸の内に小さなざわめきが生まれはじめる。


(……忙しいだけよね。王宮では何があるとも限らないし)


 そう自分に言い聞かせても、不安は底の方で燻り続けた。


 五日目の朝、エマはとうとう落ち着いて座っていられなくなり、サラに声を掛けた。


「サラ、今朝は届け物…何も来ていないの?」


「ええ、お嬢様。郵便はいつも通り確認しておりますが、お手紙は……」


 言い淀むサラの声音が、かえってエマの胸を締めつけた。


 昼を過ぎても落ち着かず、屋敷の廊下を歩くだけで胸はきゅっと縮こまる。こんなに手紙がない日が続くのは初めてだ。手紙の端の少し乱れた筆跡まで愛おしく思うほど、彼は毎日書いていたはずなのに。


(何かあったの……? それとも嫌われてしまった……? そんなはず……でも)


 夕刻、庭に出れば、風に揺れるバラの香りがいつもより遠く感じた。ライオネルが笑いながら語ってくれた出来事や、送られてきた手紙に添えられていたささやかな言葉の数々が思い出のように胸をよぎる。


 そして六日目の朝――。


「お嬢様……ちょっと、お聞きになった方がいいかと……」


 サラが珍しく強ばった顔をしていた。


「どうしたの?」


「……王都で、噂が出ているそうです。第二王子殿下が……その……」


 エマの心臓がどくりと跳ねた。


「……何? はっきり言って」


「“行方不明になった”……と」


 その瞬間、世界から音が消えたようだった。


 何を言われたのか理解できないように口を開きかけ、閉じ、そして再び開く。


「……そんなはず……ないわ。だって……」


 毎日届いていた手紙。庭園で交わした言葉。優しい目。


 あれほど自然に寄り添ってくれた人が、突然いなくなるなんて――考えたくなかった。


 サラは続けた。


「宮廷の方々の間で、何か動きがあると……。本当かどうかは分かりません。ただ、ここ数日、殿下のお姿を見た者がいないのだと」


(だから……手紙が来なかった?)


 胸の底に沈んでいた不安の正体が、輪郭を持って迫ってくる。


 エマは震える指先を胸元で組んだまま、必死に立っていた。


「サラ、父は? 王宮勤めの方に何か聞いていないの?」


「確認しておりますが……今はまだ、はっきりした情報はないそうです」


 喉が痛くなるほど息がうまく吸えない。はりつめた緊張が身体の奥を冷やしていく。


 サラはエマの固く組まれた指先と、青ざめた頬を見て、そっと唇を結んだ。


「……お嬢様、少し温かいものを召し上がった方がよろしいかと存じます。気持ちが落ち着くお茶を入れてまいりますね」


「サラ……」


「すぐ戻ってまいります。どうか、深呼吸だけでも」


 サラは静かに一礼し、まるでエマをこれ以上刺激しないように足音を殺して部屋を出ていった。


 扉が閉まると、部屋に残ったのは自分の心臓の鼓動だけ。

 エマは胸元を押さえ、震える息をどうにか整えようとしたが、指先の震えは止まらなかった。


 そのとき、ふと背後で空気が揺れた。


『……落ち着きなさい。悪い噂ほど、早く回るものよ』


 振り返れば、そこにはオードリー夫人の姿があった。憂いを秘めた視線で、しかし毅然としてエマを見つめている。


「……夫人。ライオ……第二王子が、本当に……?」


『まだ“本当に”かどうか分からないでしょう? 不確かな影に飲まれてはいけないわ、エマ』


 その声は不思議と静かで、心の奥を撫でるように響いた。


 しかし――。


 胸の不安は、消えるどころか日に日に大きくなっていく。手紙の途絶えた理由が彼自身の意思ではないような気がして、エマの脳裏には最悪の想像がちらついてしまう。


(ライオネル様……お願い。無事でいて)


 祈るように胸元を握りしめた。


 その翌日、さらに決定的な知らせが舞い込む。


 ――“王宮に不審な動きがあり、内部調査がはじまったらしい”と。


 屋敷の空気はざわつきはじめ、使用人たちの間にも緊張が走る。


 そしてエマは悟る。


 これ以上ただ待っているだけでは、何も分からない。

 ライオネルがどこにいるのか、本当に危険なのか。

 知りたい――ではなく、確かめなければならない。


 胸の奥で静かに、しかし確かに一つの決意が芽生えた。


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