08 青年の提案
屋敷を抜け出し、三人は慎重に人目を避けながら路地を進んだ。
夕暮れの街は、昼間の喧騒とは違い、少しずつ静けさを帯び始めている。
「どこへ行く?」
青年が低い声で尋ねる。
「まずは安全な場所へ……エミリーを保護できるところを探さないと」
エマはエミリーの小さな手を握りながら答えた。
「……なら、俺の知っている施設に預けるのがいい」
「施設?」
青年はわずかに視線を落とし、慎重に言葉を選ぶように口を開く。
「孤児を保護する修道院がある。そこならしばらくの間、エミリーを安全に匿えるはずだ」
エマは思わず青年を見上げた。
(……彼は信用できるの?)
彼は先ほどまで冷静に戦い、的確に指示を出していた。まるでこうした危機に慣れているかのように。
それだけではない。帳簿を手にした瞬間、そこに書かれた内容の異常さをすぐに見抜いた。
——彼はいったい何者なの?
「その修道院、本当に安全なの?」
エマは慎重に問いかけた。
青年は一瞬だけ視線を逸らしたが、すぐにエマの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「保証する。俺が直接手を回せる場所だからな」
「あなたが手を回せる……?」
やはり、ただの調査員ではない。
「俺の仕事柄、身寄りのない子どもたちがどうなるのかを見てきた。孤児院といっても、粗悪な環境の場所もある。だが、俺が紹介する修道院は、信頼できるところだ」
その口ぶりは、どこか確信に満ちていた。
エマは青年をじっと見つめた。
(本当に信用していいの?)
心のどこかでまだ迷いがあった。
「……あなた、何者なの?」
核心に迫る問いを投げかけると、青年はしばし黙った後、ゆっくりと答えた。
「俺は……ただの調査員じゃない。だが、それ以上は今は言えない」
「言えない?」
「ああ。ただ一つ、確かなことを言うなら……」
青年はエミリーを見つめ、その後エマに向き直ると、真剣な眼差しで言った。
「俺は、この国の腐敗を正したい。そして、理不尽な理由で苦しむ人々をなくしたいんだ」
それは、決して表面的な言葉ではなかった。
彼の瞳には迷いがなく、本気でそう思っていることが伝わってくる。
「……あなたが、エミリーのことを本当に守れる?」
「ああ、誓う」
エマは青年の瞳をじっと見つめた。
そこに嘘はない。
それでも——。
「……エミリー、あなたはどうしたい?」
エマが優しく問いかけると、エミリーは涙の跡が残る顔を上げ、不安そうな瞳を揺らした。
「……ママがいないのに、私、一人でいられるかな……?」
その問いかけに、エマの胸が締め付けられる。
孤独に取り残されることの恐怖は、計り知れないほどのものだろう。
「エミリー、あなたは一人じゃないわ。ママはきっと、あなたをいつも見守っている。そして、私もあなたを守るから」
エミリーの手を優しく包み込むと、小さな肩が震えながらも、彼女はしっかりと頷いた。
エマはゆっくりと息を吸い、青年に向き直った。
「……信じるわ。でも、何かあれば私はすぐにエミリーを連れ戻す」
「それで構わない。案内する、ついてきてくれ」
青年は低い声で告げた。
しかし、エマはすかさず手を上げ、「待って!」と叫んだ。
「その前に、寄りたいところがあるの。少しだけ待っててもらえない?」
青年は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに毅然とした口調で答えた。
「分かった。だが急いでくれ。今も安全とは言えないからな」
エマは力強く頷くと、
「分かったわ!すぐ戻るから!」
と宣言し、その場を駆け出した。