78 特別な友人
「そういえば、今日は庭師の彼はいないのですか?」
ライオネルがふと問いかけた。
午後の日差しが降り注ぐバラ園は、ゆるやかな風に包まれ、白や紅の花弁がほのかに揺れている。
「えぇ、先ほど執事に呼ばれて行ったみたいです」
エマが答えると、ライオネルは小さく頷き、柔らかく微笑んだ。
「では今日は2人きりですね」
その声に、エマの胸がわずかに跳ねる。
風が通り抜け、薔薇の香りが一層濃くなった――その瞬間だった。
『まあ、まあまあまあ! なぁんて素敵な午後かしら! あら、まあ、あの横顔……!』
突然、明るい声が響き渡った。
エマは反射的に肩を跳ねさせ、ぎくりと足を止めた。
(……えっ!? ど、どうして……!? お客様がいるときは滅多に出てこないのに!)
慌てて振り返ると、そこには金の羽根扇を手に、豪奢なドレス姿の貴婦人――オードリー夫人が、
うっとりとした表情でライオネルを眺めていた。
『あらあらあらエマ! このお方、まるで絵画の王子様! いいえ、“現実の王子”でしたわねぇ!』
(やめてぇ……!)
エマは引きつった笑顔を浮かべながら、必死に平静を装った。
見えていないはずのライオネルに気づかれぬよう、言葉を飲み込む。
「どうかされましたか?」
ライオネルが心配そうに覗き込む。
「い、いえ! あの、えっと……虫がっ! ちょっと顔のあたりを……!」
『まあ、私を“虫”呼ばわり!? まぁまぁ、淑女としての礼儀がなってませんこと!』
(違うのよ、夫人! お願いだから黙ってて!)
心の中で悲鳴を上げながらも、エマの動揺は隠しきれない。
ライオネルは眉をわずかに寄せ、静かに彼女を見つめた。
「……今、誰かと話していましたか?」
「えっ!? そ、そんなことありませんっ」
「そうですか。……けれど、誰かに返事をしているように聞こえました」
風が止み、沈黙が訪れる。
ライオネルの穏やかな眼差しが、まっすぐにエマを射抜いた。
その瞳の奥にある静かな直感が、“何か見えないもの”の存在を察しているようだった。
『ふふ、鋭い方ね。やっぱり“ただの美男子”ではないわ』
「もうっ……!」
エマは小声で抗議するが、ライオネルはさらに近づき、低く問いかけた。
「今も……何か聞こえてるんですか?」
逃げ切れない。
エマは観念し、そっと息を吸った。
「……あの、驚かないでくださいね」
「ええ」
「……こちらに、オードリー夫人という方がいらっしゃいます。
ライオネル様には見えないと思うのですけれど……」
『まぁ! ご紹介してくださるなんて初めてね! 嬉しいわ!』
オードリー夫人は胸に手を当て、優雅に一礼した。
「……お初にお目にかかりますわ、殿下。ローズベリー家の屋敷を長年見守っておりますの」
もちろん、ライオネルにはその姿は見えていない。
だが、エマの真剣な表情が嘘ではないことを、彼はすぐに悟った。
「……なるほど。その方が、あなたの“特別な友人”なのですね」
「……はい。とても……長く、この屋敷と私を見守ってくださっている方です」
その答えに、ライオネルはほんの一瞬だけ驚き、それから柔らかく微笑んだ。
「不思議ですね。見えなくても……なぜか、挨拶を返したくなるような気がします」
エマの頬が思わずゆるむ。
「まぁ、殿下ったら、礼儀も紳士ぶりも完璧!」
感激したオードリー夫人が、羽扇をばさばさと揺らす。
エマは額に手を当て、思わず苦笑した。
(お願い、今だけはおとなしくしてて……!)
秋の陽光が傾き、“三人”の不思議な午後が、
薔薇の香りと笑いの中で静かに流れていった。




