66 懺悔
エマはそっと手を伸ばし、リジーの背中に触れた。目を伏せたまま、夜気の冷たさが頬をなぞり、バラの葉が風に揺れるかすかな音が、静かに耳に届く。
「じゃあ……一緒に行きましょう。マーガレットさんのところへ」
その言葉に、リジーは小さく身を震わせた。
「い、いま……ですか?」
「ええ。夜が明ける前に。――あなたの気持ちが本物なら、きっと伝わるはずよ」
エマが立ち上がると、リジーもふらつきながら体を起こす。埋め戻された土の跡に、もう一度だけ視線を落とし、彼女は深く息を吸った。
そのとき――
どこかから、少女の笑い声が風に乗って届いた。
木の葉が擦れたのでも、風が鳴いたのでもない。確かに、誰かの声。小さく、楽しげな笑いだった。
エマははっとして足元を見る。バラの根元には、すでに静かな土の気配しかなく、あの不穏な空気は、やわらいでいた。
「いまの……」
リジーが震える声でつぶやく。エマは何も言わずに頷いた。
「きっと、待っているのよ。あなたの言葉を」
リジーは深く頭を下げ、それからゆっくりと顔を上げた。
「……行きましょう、エマお嬢様」
ふたりはそっと歩き出した。夜露に濡れた石畳を踏みしめながら、夜の屋敷へと続く小道を。
バラの根元に、ひとしずく落ちた涙のあと――そこに、小さな銀の光がきらりと瞬いた。それは月明かりよりわずかに早く、音もなく消えていった。
***
エマはリジーの震える手をしっかり握りながら、無言のまま歩いた。灯りの落ちた廊下を抜け、夜の静けさに包まれた屋敷を進んでいく。リジーは何度かつまずきそうになりながらも、ひたむきに前へと歩を運んでいた。
やがて、使用人棟の奥――マーガレットの部屋の前に辿り着く。
「……わたし、できるかな」
リジーが小さくつぶやいた。
エマは手をぎゅっと握り返した。
「大丈夫。うまく言えなくてもいい。伝えようとする気持ちは、きっと届くわ」
リジーは唇をきゅっと結び、そっと頷いた。
エマが扉を軽くノックする。しばらくして、中からかすかな足音が聞こえ、戸が静かに開いた。
「……お嬢様? こんな時間に……」
眠たげな顔で現れたマーガレットは、エマの後ろに立つリジーに目をとめ、ゆっくりと表情を引き締めた。
「何か……ありましたか?」
エマは静かに頷いた。
「リジーが、あなたに話したいことがあるの」
通された部屋はほのかに香草の匂いが漂い、暖炉の火はすでに落ちていたが、まだわずかにあたたかな気配が残っていた。窓から差す月明かりが、部屋をやさしく照らしている。
リジーは膝をつき、深々と頭を下げた。
「マーガレットさん……わたし……っ」
声が震え、なかなか言葉にならない。エマはそっと寄り添い、何も言わずにその肩に手を添える。
「……ペンダントを……盗みました……」
ようやくこぼれたその言葉はかすれながらも、静かに部屋の空気を震わせた。
「とても綺麗で……つい、手に取ってしまって……返そうと思ったけど、怖くなって……庭に埋めてしまいました。本当に、ごめんなさい……」
しばらくの沈黙が流れた。
マーガレットは目を伏せたまま、じっとリジーを見つめていた。そして、ゆっくりと口を開く。
「……探したの。母の形見だったから」
その声には怒りではなく、静かな哀しみが滲んでいた。
「失くしたことも悔しかったけど――なにより、あなたが何も言ってくれなかったことが悲しかった。ペンダントが消えてから、あなたは私の目を見なくなったの。……もしかしたらとは思ってた。でも、自分から話してくれる日を、ずっと待ってたのよ」
リジーは涙をこぼしながら、なおも深く頭を下げ続けた。
「どうか……どうか、許してください……」
椅子を離れたマーガレットが、そっと膝をつき、リジーの背に手を添える。
「……母が生きていたら、きっとこう言ったと思う。“間違いを認めた人を、罰だけで閉じ込めてはいけない”って」
震える声に、リジーは顔を上げた。
「だから……許すわ。二度と繰り返さないと、誓えるなら」
リジーはこくこくと、何度も頷いた。
そのとき――
窓の外に、ふわりと淡い光が舞った。夜の静寂のなかに、やさしい気配がすっと通り抜けていく。
エマがそっと目を向ける。バラ園のほう。風に揺れる葉のすき間に、少女の影が一瞬だけ浮かび、そしてゆっくりと消えていった。
言葉はなかった。でも、その背中には、どこか安らぎのような静けさが宿っていた。




