51 夜空の下のダンス
人混みの中を少し歩くと、次第に市場の中央に近づいていく。
屋台は一段とにぎやかになり、色とりどりの布が張られた小屋が並んでいた。
提灯の柔らかな明かりが、夜風に揺れて幻想的な光を落としていた。どこからともなく焼き菓子の甘い香りが漂い、屋台から漏れる音楽と人々の笑い声が、夢のような時間を演出していた。
「わぁ……」
思わずこぼれた声に、ライオネルが笑う。
「初めてなんだろう? 夜の屋台は」
「はい。こうして歩くのも、夢みたいです……」
エマの目は、次から次へと現れる屋台の彩りに奪われていた。
手のひらほどのクレープを焼いている若い女の子の店。
色鮮やかな果実酒を並べた旅人風の男性。
飴細工の職人が、手際よく鳥や花を作り上げていく様子に、子どもたちが歓声を上げている。
「ねえ、見てください! あの飴、鷹の形になってます……!」
「すごいだろ? あの職人、南方の出身らしい。昔、一度だけ王宮に呼ばれたのを見たことがある」
「そうなんですか?」
「でも、今はこうして旅してる方が気楽らしいよ。……君もどう? ひとつ」
ライオネルは店主に話しかけ、小さなバラの形の飴を二つ買った。
ひとつをエマに差し出す。
「ありがとう、ございます……」
バラの花びらが、ほんのりミントの香りがする。
エマはそっと受け取ると、宝物のように胸の前で両手に包み込み、目を細めてじっと見つめた。
透き通った琥珀色の輝きに、まるで本当に魔法がかかっているように感じた。
「食べないの?」
「もったいなくて……」
ライオネルがくすっと笑った。
「食べ物だよ?」
「……そう、ですね」
飴を舐めながら歩くと、次の屋台には小さな動物の置物が並んでいた。
木彫りの猫や兎、小鳥たちがぎゅっと詰まったその店先で、エマの足が止まる。
「かわいい……」
「どれが気になる?」
エマは少し迷ったあと、小さな鹿の彫刻を手に取った。
首にちいさな鈴がついており、揺らすと控えめに音が鳴る。
「その音、君に似てる」
「えっ?」
「静かだけど、ふいに心に残る感じ」
エマは不意を突かれて、顔を真っ赤にした。
「……ずるいです、そういうこと言うの」
「本当のことを言っただけだよ」
さらに進むと、今度は香草と乾燥果実の屋台。
スパイスの香りが風に乗って鼻をくすぐる。
エマは、乾燥ローズヒップの香りに思わず立ち止まった。
「お茶にしてもいい香りがしますね」
「ここのは質がいい。そこら辺の貴族の屋敷で使ってるものより、よっぽど純度が高い」
ライオネルは言いながら、屋台の主と二言三言話し、小袋を一つ購入してエマに手渡した。
「持って帰って、屋敷で飲んでごらん。そして今日のことを思い出してくれると嬉しい」
エマはその袋を胸元で大切に抱きしめ、小さく頷いた。
「ありがとうございます……」
少し歩いた先では、小さな楽団が演奏を始めていた。
フィドルと木笛、太鼓が軽やかに絡み合い、通りを行く人々の足取りを楽しげに弾ませる。
「踊る人もいるんですね……」
「あぁ、そうだな。……俺たちも踊ろうか」
「ここで……?」
戸惑うエマの手を、ライオネルはそっと取って引き寄せる。
「今夜は誰も君を知らない。ただ音楽に身を任せて」
ふわりと回され、自然とステップが始まる。
周囲のざわめきが、遠のいていくような不思議な感覚。
舞踏会のような華やかさとは違って、時間がゆっくりと流れていた。
提灯の光がきらめき、風がケープを揺らす。
ふたりの影が、石畳の上で重なって揺れていた。
「……今、時間が止まってくれたらいいのに」
思わず小さく呟いたエマに、ライオネルはふっと苦笑するように囁いた。
「……君が望むなら、時間ごと奪ってでも、あげたいと思ってしまうな」
その言葉に、エマははっとして彼を見つめ返す。
けれどその瞳の奥には、何の冗談もなかった。
目が合った瞬間、胸の奥がどくん、と大きく脈を打つ。
夜空の星々が、静かに見守る中――
ふたりは踊りながら、心の距離を一歩、また一歩と縮めていた。




