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43 ド・ラ・ヴァール家の屋敷

屋敷の中は、昼間にもかかわらずどこか薄暗く、廊下には古びた肖像画が並んでいた。だが、それらの顔は、どれも薄布で覆われていた。


「ご案内するわ。少し変わった習慣があるの……絵に布をかけておくの。ただの日除けですわ。お気になさらないでね」


 セリーナがさりげなく言った。


(この廊下に日差しなんて差し込んでいないのに……。まるで、誰かに見られているのを恐れているみたい)


案内された客間は、日差しの差し込む静かな部屋だった。テーブルの上には香り高い紅茶と小さな菓子皿。そして――エマが持参したスケッチブック。


「この絵に見覚えはありますか?」


 エマがページをめくると、セリーナの顔がふっと陰った。


「……似てるわ。“あの方”に」


「“あの方”?」


「昔、屋敷に飾られていたの。誰も彼女の名を口にしなかったけれど、私はずっと気になっていたのよ。なぜ、あの絵だけ……“夜になると裏返されるのか”」


 セリーナの指先が微かに震えていた。


「私は、その人の名前を知ったわ。“セリーヌ”……でも、誰に聞いても『そんな人はいない』って」


「――それは、あなたのお姉様の名では?」


 問いかけると、セリーナは一瞬目を伏せ、そしてゆっくりとエマを見た。


「……違うのよ。私が“その名前を継ぐことになった”の。名を継げば、“過去”は一つに収まる。そう教えられたわ」


 その言葉に、エマの背中に冷たいものが走った。


(名前を継ぐ……それは、存在すら上書きするということ?)


 セリーナは微笑んだ。けれどその目は、まるで遠い昔を思い出しているように、どこか空虚だった。


「でも最近、時々わからなくなるの。私が“セリーナ”だったのか、それとも……“セリーヌ”だったのか」


 その言葉を受けて、エマはそっとスケッチブックを閉じた。


「……セリーナ様。よろしければ、少し屋敷を見せていただけませんか?」


 セリーナは軽く首を傾げた。


「ご興味があるの?」


「ええ、素敵なお屋敷ですし……どこか懐かしい気がして」


 一瞬、セリーナの目が何かを探るように細められた。しかしすぐに、いつもの柔らかな笑みに戻った。


「いいわ、案内して差し上げる」


***


 二人は廊下へ出た。足音は厚い絨毯に吸い込まれ、屋敷は静寂に包まれていた。


 肖像画にかけられた白布の列を進む。

 廊下の奥で、セリーナは一枚の扉の前に立ち止まった。


「ここは使われていない客間なの。でも、姉は……セリーヌはこの部屋を好んでいたって、昔、乳母が話していたわ」


「お姉様の部屋だったのですか?」


「ええ……けれど今は、鍵がなくて開かないの。父が、ある日突然この部屋を封じたの。“もう誰も入ってはいけない”って」


 セリーナの手が扉に触れた、その瞬間――


 扉の向こうから、微かな風が吹いたような音がした。


 扉は、わずかに軋みながら、自ら開いた。


「……あら?」


 セリーナが戸惑いの声を漏らす。


 エマは息をのんだ。空気が変わった。


 まるで、部屋の中から“誰か”が彼女たちを見ていたかのようだった。

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