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38 D・L家の霊

クラリス・ド・ラ・ヴァールが倒れたという知らせは、舞踏会の華やぎを一瞬で凍りつかせた。


エマはざわめく人々をかき分け、侍女たちが集まる輪の中へ駆け寄った。床に倒れているクラリスの顔は青ざめ、細かく震えている。


「呼吸は……あるわ。でも、意識が――」


そっとその手を握った瞬間、エマの頭の奥に、冷たい声が直接響いた。


――『……いけない……“あの子”が見てる……』


確かに霊の声だった。だが姿は見えず、クラリスの周囲の空気だけが異様に冷え込んでいた。


(この場で霊のことを口にするわけにはいかないわ……)


エマは表情を崩さず、侍女の一人に指示を与えた。


「クラリス様を静かな部屋に。医師も呼んでください」


そこへ、第二王子・ライオネルが歩み寄ってくる。


「何があった?」


エマは一礼して応じた。


「突然、体調を崩されたようです。ご家族に連絡を……」


「ご家族は本日、地方へ出立されています」と、そばの貴族が補足した。


(クラリス様は、目立つ方ではないけれど……確か、王宮の絵画室に出入りしていたことがあったはず。絵が上手で、模写の手伝いをしていたと……)


クラリスは小部屋に運ばれ、ベッドに寝かされると、侍女たちが世話を始めた。エマはその場を離れるふりをして、人の気配のない隅へと移動する。


「……あなた、誰?」


問いかけにすぐの反応はなかった。だが、壁の鏡に、ぼんやりと若い女性の霊が浮かび上がる。白いドレスに身を包んでいたが、それはクラリスではなかった。


『“あの子”が……また、肖像画に……何か、したの。わたし、あれを見るたびに……息ができなくなるの』


「“あの子”って……セリーナ?」


だが霊は鏡の奥を見つめたまま、かすれた声で繰り返す。


『また……顔を消して……また……』


(“顔を消す”……? 肖像画の顔を、意図的に塗り潰す?)


ふと、マリアンヌの語っていた夢が脳裏をよぎる。塗りつぶされた肖像画の列、そして『戻ってきた』という謎の声。


(もしかして、過去に誰かが――肖像画に何かを封じた? それとも、誰かの正体を隠すために……?)


「……お嬢様?」


サラの声に、エマは我に返った。気づけば霊の姿は消え、鏡はただの鏡に戻っていた。


「戻りましょう。クラリス様は、王宮の侍医に任せることになるそうです」


「ええ。ありがとう、サラ」


廊下を歩きながらも、エマの頭の中は考え事でいっぱいだった。


(この“顔のない肖像画”が意味するもの――それを解き明かさなければ、きっとこの霊は救われない)



***



その夜遅く。ローズベリー邸の門に、一人の使いが現れた。


「届け物です。差出人は……名乗りませんでした」


侍女が差し出した小包は手のひらほどの大きさで、封筒も中身もどこか時代がかったものだった。


エマが封を切ると、中には古びたスケッチブックと、黄ばんだ一枚のメモが収められていた。


《D・L家の令嬢の素描。正式な肖像画に使えなかった理由:――顔が、何度描いても、消える》


スケッチブックの最初のページには、顔のない若い女性の素描が残されていた。描かれたはずの顔の部分だけが、何度も擦られ、塗り潰されたように曖昧だった。


エマはその紙を手に、再び鏡を見つめた。


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