33 オードリー夫人
サラが返事の手紙を手に部屋を出ていく。扉が閉まり、エマがほっと息をついた、その瞬間だった。
――すうっと、壁をすり抜けるように現れたオードリー夫人が、両腕を広げて叫んだ。
『どうだったの!? 王宮の庭園で何があったの!? どんな言葉を交わして、どんな雰囲気で、手は握った? 庭園で二人きり、何もないわけないわよねぇ!?』
ひらひらと幻のレースドレスを揺らしながら、空中をすべるようにエマの目の前に降りてくる。
『まさか、庭園で告白!? あるいはプロポーズ!?』
「いきなり何を言ってるんですか……! 違います、そういうのじゃなくて……!」
エマが慌てて否定するが、オードリー夫人の興奮はとどまるところを知らない。彼女はぐるぐるとエマの周囲を飛び回りながら叫ぶ。
『でもその顔! 目の縁が赤いし、口元に微笑みの名残がある! はっ……まさか……まさか……! もしかして……キ、キ、キス……!?』
「ななななななんてこと言うんですか! 違います!」
顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を振るエマ。
『そうよね! 奥手の貴女に限って、いきなりそんなことないわよね! てっきり、あつぅ〜いベェーゼを交わしたのかと思ってびっくりしちゃったわ』
「べ、ベェーゼ……! もう、夫人! やめてください! どうしてそんなにこういう話が好きなんですか!?」
エマの顔はすっかり熟れたトマトのように真っ赤だ。
『それは私が恋に生き、愛に殉じた女の霊だからよ! さあ、詳細をすべて話してちょうだい。庭園の構造から彼の服の色、靴の革の質まで! ああ、エマ、貴女ついに運命に踏み出したのね!』
「まだ一歩も踏み出してませんから! 勝手なこと言わないでください!」
興奮して言い返すエマとは対照的に、オードリー夫人はふっと落ち着きを取り戻し、今度は静かに切り出した。
『で? 何があったの? “何もなかった”って顔じゃないわよ。もしかして……貴女の“秘密”のこと、話したのかしら?』
エマははっとして、視線を落とす。
「……どうして分かるんですか?」
『貴女が生まれた時から、ずーっと見てるのよ? なんでもお見通しよ』
オードリー夫人はふわりと手を伸ばし、エマの頬の近くで止めた。
『ねえ、あの人――貴女を拒まなかったのね?』
エマは小さく、でも確かにうなずいた。
「……うん。驚いてたけど……でも、受け入れてくれました。“これからも隠さなくていい”って……」
しばらく黙っていたオードリー夫人は、やがて口元に穏やかな笑みを浮かべた。
『ふん。やるじゃない、あの王子様。ああ見えて、なかなか骨のある男なのね』
そして次の瞬間――
『で!? 手は握ったの!? ハグは!? あと視線は!? 何秒くらい目を合わせてた!?』
「話の流れを壊さないでください! 急に俗っぽい方向に行くのやめてください!!」
『いいじゃないの! これは“恋の幕開け”よ! 心の秘密を打ち明けたってことは、もう信頼関係の最初の階段を踏み出したってこと! となれば、次はもう一気に――』
「もういいですっ!! 少し黙ってくださいっ!」
叫ぶようにそう言ったエマだったが、その顔は照れくさそうに紅潮していた。
そんなエマを見つめながら、オードリー夫人はうっとりと微笑む。
『ふふ……恋って、やっぱり素敵ねえ……。あの頃の私も、ああだったかしら――』
その声は、遠い昔を懐かしむようであり、
そして今、ここに芽吹いた小さな“未来”を、静かに祝福しているようでもあった。




