32 茶会への誘い
馬車へと向かう小道には、春の陽がやわらかく差し込んでいた。
足元では可憐な花々が風に揺れ、蜜を求める蜂が羽音を立てて舞っている。
エマはその景色をぼんやりと眺めていた。
さっきまで胸を締めつけていた不安は、まだ完全には消えない。
けれど、隣に並ぶライオネルの歩幅と、時折そっと向けられる視線が、静かに心を和らげてくれた。
こんなふうに、誰かと隣を歩ける日が来るなんて――
かつての自分には、想像すらできなかった。
花の香りに包まれて、そっと息を吸い込む。
それだけで、胸の奥に残っていた小さな棘が、ふわりとほどけていくようだった。
二人は言葉を交わすことなく庭園を歩く。
けれどその沈黙は、穏やかで、心地よいものだった。
やがて馬車に乗り込むと、車輪が静かに動き出し、花園が少しずつ遠ざかっていく。
その光景を、エマは窓越しに静かに見送った。
あたたかくて、やわらかくて――ほんの少し、名残惜しかった。
***
邸に戻ると、玄関にはサラが待っていた。
「おかえりなさいませ、エマ様。……お疲れではありませんか?」
「ええ、ありがとう。今はなんだか、清々しい気分なの」
エマはふっと微笑む。
サラはそんな様子を見て、何かを察したように優しく微笑み返した。
「それから……こちらにお手紙が届いております」
差し出された封筒は、上質な紙に淡いローズピンクの縁取りがされていた。
差出人の名前を目にした瞬間、エマの手がぴたりと止まる。
――マリアンヌ・クラレンス。
あの夜以来、顔を合わせてはいない。
エマはそっと封を切り、文面に目を通した。
優雅な筆致で綴られた、丁寧で穏やかな言葉たち。
「今度の週末、親しい友人達とささやかなお茶会を開きます。
ぜひエマ様にもご参加いただければと存じます。お会いできるのを楽しみにしておりますわ。」
社交界の形式に沿った、完璧な招待状だった。
「……お茶会、ですって」
エマは便箋を静かに折り、封筒に戻す。
普段なら断っていただろう誘い。
けれど、舞踏会の夜――あの日の出来事がどうにも引っかかっていた。
「お受けしますか?」
サラの問いかけに、エマはため息をつき、うなずいた。
「……ええ。ぜひ、出席させていただくと伝えてちょうだい」
外では春の風がそよぎ、花壇のチューリップがやわらかく揺れている。
けれどその美しさの下で、誰にも気づかれぬまま、静かに忍び寄る影があった。




