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26 夜の終わり

 「――あらあら、まるでおとぎ話の一幕のようねぇ」


 落ち着いた声とともに、クラリッサが花咲く庭に姿を現した。白銀のドレスが月明かりに浮かび、まるで幻のようにきらめいている。手には扇子、口元には微笑。


 エマがはっとして振り返ると、母の姿に顔をこわばらせた。


 「お母様……!」


 「ええ、母様ですとも。あなたが少しも戻ってこないから、心配になって探してきましたのよ。すると、まあ――」


 「クラリッサ夫人。遅くまでお嬢様をお借りしてしまい、申し訳ありません」


 ライオネルが丁寧に一礼すると、クラリッサは穏やかに扇を開きながら、その所作を興味深げに見つめた。


 「第二王子殿下。先ほどは、娘とのダンス、楽しそうでしたこと。……あれほど真剣な表情の娘を拝見したのは、私も初めてでしたわ」


 彼女もまた、優雅に一礼を返す。


 「ご令嬢とのひとときは、かけがえのないものでした。貴女のお育ての賜物と、心より感謝申し上げます」


 「まあ、お上手。けれど――言葉の巧みな殿方ほど、娘にはよくよく見極めなさいと申しつけておりますのよ」


 ライオネルは微笑し、敬意を込めて頭を下げた。


 「肝に銘じておきます」


 クラリッサはくすっと笑うと、扇子の先でエマの腕をそっと叩いた。


 「エマ、殿下と何をそんなに話し込んでいたの?」


 「べ、別に……大した話じゃ……」


 「まあ。殿下相手に“大した話じゃない”なんて言えるのね。なら、社交界でももう少しうまくやれそうなものだけど?」


 「お母様、それは……!」


 「ごめんなさい、つい。……でもね、あなたが緊張せずに言葉を交わせたということ、それだけでも私は嬉しいのよ」


 クラリッサはそっと扇子を閉じると、エマの顔をやさしく見つめた。


 「この舞踏会で、あなたがどんなふうに笑って、どんなふうに踊るのか――ずっと見ていたわ。あなたが、自分の足で世界に一歩踏み出す姿を」


 「……お母様」


 クラリッサは娘の肩に軽く手を添える。そしてふと、視線を王子に移した。


 「第二王子殿下。娘との時間を、心から楽しんでくださったようで、母として安堵しております。ただ――」


 言葉を切り、少し間を置く。夜風が庭を撫でる。


  「第二王子殿下。娘とのひととき、よい時間だったようで何よりです。けれど娘はまだ、若くて――時に、物事の裏を読むには少々“まっすぐすぎる”ところがございますの」


 「その“まっすぐさ”に、惹かれる者も多いのでは?」


 「ふふ……さあ、どうでしょう」


 クラリッサは扇子で頬を軽くなぞりながら、やわらかく笑った。


 「惹かれた方が、まっすぐな心をお持ちなら……娘もきっと、幸せになれるのでしょうけれど」


 少し間を置いて、穏やかな口調のまま、しかし目は冗談を言う時のそれではなかった。


 「殿下。私は娘に過度な期待をかけるつもりはございませんが……」


 そう前置きしてから、クラリッサはふっと表情を和らげる。


 「女の子の心を少し動かすだけなら、殿下ほどの方には造作もないことでしょう。でも、それを“どう受け止めるか”は娘にとって人生を左右する問題ですの。――ですから、お心遣いにはぜひ、“責任”も添えていただけると嬉しいですわ」


柔らかい口調なのに、逃げ道のないひと言だった。


 ライオネルは一瞬だけ言葉を飲み込むが、すぐに毅然とした声で答えた。


 「……そのつもりです」


 「まあ……それはもう、娘のことをよほどお気に召したのね」


 「……はい」


 「……否定なさらないのですね?」


 「否定する理由も、ありませんから」


 ライオネルの声音は静かで、しかし力強かった。


 クラリッサはその答えに満足げに頷くと、娘の手を取ってやわらかく言う。


 「さ、お姫様。そろそろかぼちゃの馬車に戻りましょう。日付が変わる前にね」


 「やめてください、お母様……!」


 娘の反応にくすりと笑いながら、クラリッサはふっと呟いた。


 「まったく……娘の初舞踏会で、こんなに心配させるなんて。ねえ、王子様?」


 振り返ると、ライオネルは少し困ったような微笑みを浮かべていた。


 「ごめんなさい……」


 「謝らなくていいのよ、エマ。私はただ、“あなたがどんな顔で舞踏会を終えるのか”、見届けたかっただけ」


 クラリッサはもう一度、しっかりとライオネルに向き直った。


 「殿下。どうかお忘れなく――令嬢の母親というのは、笑顔の奥に、一番鋭い剣を忍ばせていることもございますのよ?」


 一瞬の沈黙。


 ライオネルは瞳を細め、静かに息を整えると、深く頭を下げた。


 「それも、肝に銘じておきます」


 クラリッサは満足げに微笑み、踵を返してエマの手を引き、月の光の中へと歩き出した。


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