23 閑話 幽霊屋敷騒動 (ライオネル視点)
幽霊屋敷でのライオネル視点です。
ちょっと長くなりました。ゴメンネ。
俺があの屋敷に足を運んだのは、“幽霊騒ぎ”の調査のためではない。
本当の目的は、税務報告に不自然な点があった、ある旧貴族家の資産調査だった。
すでに潰れたはずのその家が、今も裏で金を動かしているという情報を掴んだ。
放棄された屋敷――だが、もし記録を操作し、資産を隠しているとすれば、そこにこそ秘密がある。
幽霊だの怪異だのと騒がれているのは、むしろ都合がいい。
民が恐れ、役人も足を踏み入れぬ場所であれば、目立たずに調査ができる。
俺は部下数人を連れ、極秘裏に屋敷へ向かった。
計画は単純だった。潜入し、取引や証拠を確認したうえで、関係者を押さえる。
適当な身分と変装を使い、調査は順調に進む……はずだった。
――だが。
「殿下、屋敷の前に誰かが現れました」
そう、部下の一人が低く告げた。
市場の喧騒から離れた路地に、一人の少女が立ち尽くしていた。
普通なら怯えて足早に立ち去る場所だ。だが、彼女は違った。戸惑いながらも、確かな意志をもって、屋敷の門をくぐった。
ただの物好きか、あるいは……。
様子を見てすぐ出てくるだろうと高を括っていたが、その娘はいつまでも現れなかった。
中で何かが起きているのか。あるいは、奴らの仲間なのか。
可能性が拭えない以上、動くしかない。
「俺が先に行く。中の様子を確かめる。お前たちは後に続け。……ただし、誰にも見つかるな」
「それはなりません、危険です」
「俺の身分が露見するわけにはいかない。あの娘の正体が不明な以上、慎重を期す。……俺が指示するまで動くな」
部下たちは忠実で有能だ。
万一のときは勝手に動くだろうが、そうはならない。――そのはずだった。
屋敷に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
重く、湿った埃と古木の匂い。風のない廊下で、どこからともなく軋む音が耳を打つ。
薄暗い内部に、得体の知れないざらついた気配が漂っていた。
(……これが“幽霊屋敷”と噂される所以か)
迷信と片づけるには、不自然すぎた。
住民から寄せられた訴え――「夜中に人影を見た」「子どもの泣き声がする」。
どこかで聞いたような話のはずなのに、胸に引っかかる。
その違和感を追っていたとき、小さな声が聞こえた。
少女の声――それに、誰かと話す気配。
音を殺して進んだ先、二つの影があった。
一人は怯えたように立ち尽くす幼い少女。もう一人は、彼女をかばうようにそっと寄り添う――若い令嬢。
(……こんな場所で、何を?)
その瞬間、令嬢と目が合った。
大きく澄んだ瞳。気品ある顔立ち。だがそれ以上に――何かが違う。
恐怖も戸惑いもない。まるで、この場に在ることが当然であるかのような静けさ。
研ぎ澄まされた視線の奥に、揺るがぬ意志が潜んでいた。
「……ここで何をしている」
声をかけた。疑問と、警戒を込めて。
その後のやり取りで、少女が“お城の人”を恐れていると知ったとき、胸の奥がわずかにざわめいた。
ただの迷子ではない。何か、知っている――。
保護すべきだと判断した、そのときだった。
バタンッ!
突然、扉が閉まった。風はない。それでも――確かに、誰かが閉めたような音だった。
「……何か、いるな」
確信だった。
幽霊など、信じていなかった。けれど今、この屋敷には“気配”がある。人ならざる何かが、確かに。
令嬢の方を振り返る。怯えているかと思ったが、彼女は違った。
じっと、誰もいない空間を見つめている。まるで、耳を澄ませているように。
もしくは――誰かと話しているかのように。
次の瞬間、彼女は少女を俺に託し、階段の方を見た。
「私が行かなくちゃ。――きっと、何か、大事なものがある気がするの」
その言葉は、誰に向けられたものだったのか。
まるで、見えない何かに導かれるように。彼女は静かに、階段を上っていった。
俺はただ、その背を見送るしかなかった。
━━━
やがて、令嬢が戻ってきた。手には、一冊の古びた帳簿。
その中身を覗いた瞬間、息が詰まった。
「これは……」
見慣れたはずの数字が、ひと目で異常とわかる配列を成していた。
王宮の財務に携わる者にしかわからない、ある“仕掛け”がそこにあった。
(想像以上だ……)
ページの端に、王室関係の補助金名目と見られる略称がいくつも記されている。
そしてそれらの隣には、名もなき取引先――だが、俺には見覚えのある隠し口座の符号。
「……この屋敷に関わっていた貴族が、相当な額の金を不正に動かしていた可能性がある」
口にした言葉が、自分でも驚くほど重かった。
胸の奥に、鉛のような現実が沈み込む。
(幽霊騒ぎの裏に、こんな事実が……いや、むしろそれを隠すための“仕掛け”だったのか?)
視線を彼女に戻すと、彼女は怯える少女の肩をそっと抱き、静かに寄り添っていた。
言葉も、表情も。すべてが、痛みを知る者のそれだった。
あの屋敷の重たい空気の中で、彼女だけが、あの子の光になっていた。
(……彼女がいたから、この真実に辿り着けた)
エマ・ローズベリー。
この時点ではまだ、その名すら知らなかった。
だが、彼女という存在がただの“令嬢”ではないと、この瞬間確かに感じていた。
――そして。
俺はその直後、この目で見てしまった。
この世ならざる者――あの少女の母親の霊を。
人の形を保ちつつも、現実とわずかに乖離したような気配。
空気が凍りつくような感覚に、思わず息を呑む。
男たちは顔面を引きつらせ、叫び声を上げて逃げていった。
だが彼女だけは違った。
眉一つ動かさず、静かに霊へと目を向けた。
まるで“そこに在る”ことを最初から理解していたかのように。
否、理解していたのだ。彼女のその瞳は、確かに“見えていた”。
驚くこともなく、祈るように目を伏せ、その霊に向けてそっと語りかけていた。
恐怖ではなく、同情でもなく――共鳴するような、あたたかなまなざしで。
(君は……一体、何者なんだ)
恐怖を前にしても動じず、霊を前にしても取り乱さなかった、あの眼差し――。
見えざるものが“見えている”という事実を、まるで呼吸のように当然のこととして受け入れていた。
あれは訓練では得られない。
生まれながらに“それ”と共に在る者の眼だった。
――彼女には、何かがある。
***
屋敷を出た後、俺はすぐに命じた。
「あの令嬢を調べろ。本当にローズベリー家の者か。家族構成、養育歴、幼少期の記録、周囲の証言、何でもいい。異常はないか、過去に不審な出来事がなかったか……すべて洗え」
あの場にいた全員が動揺していたというのに、彼女だけが平然としていた。
平然――いや、それはもはや“受け入れていた”と言うべきだ。
あれほどの存在を前にしてなお、怯えず、目をそらさず、むしろ寄り添うように言葉をかけていた。
……この国でそんな人間が、何人いる?
表向きはおとなしく、誰の関心も引かない地味な令嬢。
けれど、その影に潜むものは……あまりに、得体が知れなかった。
━━━
部下たちは優秀だ。すぐに詳細な報告が上がってきた。
彼女は正真正銘、ローズベリー伯爵家の令嬢。
確かに存在する“おとなしい令嬢”で、貴族社会でもあまり噂に上らない地味な存在。
近々デビュタントが控えていること。
当日のドレスの色、その仕立てを請け負った店の名、以前に出入りした菓子店まで。
どうでもいい情報が、逆に彼女の“普通さ”を際立たせていた。
(だが――あの夜、あの屋敷で見た彼女は、どこまでも“普通”ではなかった)
気配を読む鋭さ。人の心に寄り添う優しさ。
そして“見えないもの”を見て、それを受け入れているあの目。
(あの令嬢が、ただの娘であるはずがない)
――エマ・ローズベリー。
彼女の名が、あの瞳が、焼き付いて離れない。
(これ以上、巻き込むべきではない。けれど……)
本当の名も告げず、去っていったあの夜。
だが、運命は静かに糸を巻いている。
次に会うとき、俺はもう“ただの通りすがり”ではいられないだろう。
彼女の目に映る世界の向こうに、何があるのか。
その答えを、俺はきっと知ることになる――




