15 デビュタント
事件後慌ただしく数日が過ぎ、ついに――デビュタントの日がやって来た。
朝からエマの屋敷は、戦場さながらの騒がしさだった。
侍女たちがドレスの裾を整え、髪を巻き、宝石を選び、オードリー夫人の霊がそのすべてに「待った!」をかけてくる。
『もっと華やかにしなさい!これは少女の最後の夜よ、エマ!』
『そのリボンの色、地味すぎるわ!私なら――そうね、ターコイズを選ぶわね!』
「お静かにお願いします、オードリー夫人……」
エマは侍女が側を離れた隙に、小声で言った。
『私が黙ったら、あなたの社交人生は終わりよ?』
もう何度目かのため息をつきつつも、エマは鏡の中の自分を見つめる。
繊細な編み込みにまとめられた髪は、淡い金糸のよう。
ペールブルーのドレスは、彼女の白磁のような肌をふわりと包み込み――鏡の中には、見慣れぬ“貴族の令嬢”が立っていた。
結局、最初にエマが選んだ地味なドレスは母クラリッサによって却下され、ペールブルーのドレスに仕立て直されていた。
(まぁ……これくらいなら)
そのドレスは地味ではないが、派手すぎず、品がありエマも気に入ったのだった。
『完璧よ、エマ。顔が引きつってなければ、だけど!』
「うぅ……」
オードリー夫人はいつものようにふわふわと漂いながら、団扇でエマの頬を扇いでいた。
『背筋はもっとシュッと。口元は柔らかく微笑んで。あとはそうね――バカな男の言葉は右から左へ流すこと。5回結婚したわたくしからのアドバイスよ』
「……参考にならない……」
エマは小声でぼそっと呟いた。
『あぁ……!懐かしき社交界!本当はわたくしも会場までついて行って、「ほら、あれが私の可愛いエマよ!」って言いたいところだけど、屋敷の外はねぇ……無理なのよねぇ……』
オードリー夫人はどういうわけか、エマの屋敷の敷地外には出られないのだ。
エマの今までの経験から推測すると、どうやら霊は2種類おり、建物や土地に憑く霊と、人間に憑く霊がいるらしい。
オードリー夫人は前者のようだった。
(いつもはうるさくて鬱陶しいだけだけど、今日だけはついてきて欲しかったわ……)
『素敵な紳士の霊と出会って6回目の結婚もいいわね〜!』
そんなエマの思いをよそに、オードリー夫人は1人ではしゃいでいる。
(やっぱりついて来れなくて良かったのかも)
そうしてエマと母のクラリッサは馬車に乗り込み、王宮の舞踏会場へと向かった。
***
控えの間には、緊張した面持ちの令嬢たちと、彼女たちの侍女、そして母親たちの姿があった。
エマは、大理石の柱の陰で姿勢を正し、サラとクラリッサに囲まれて最後の準備をしていた。
「エマ、背筋。……ほら、もう少しだけ」
クラリッサの声は凛としていたが、穏やかだった。
「……ごめんなさい、お母様」
サラが手早くリボンの乱れを直し、ドレスの裾を整える。その間、クラリッサはエマの頬に手を添えた。
「大丈夫よ。あなたは今日、私の誇りそのもの。堂々としていなさい」
エマはこくりと頷いた。心臓の鼓動は速いけれど、不思議と気持ちは静かだった。
やがて扉が開き、次の紹介が始まる。クラリッサが手を差し出し、エマの手をとる。
「行きましょう」
二人は一緒に廊下を進み、やがて豪奢な大広間の入り口へとたどり着く。王宮の舞踏会場は、すでに貴族たちで埋め尽くされていた。
「次はローズベリー伯爵家令嬢、エマ・ローズベリー様!」
その声が響いた瞬間、クラリッサは静かにエマの手を放した。
「行ってらっしゃい、エマ」
エマはひとりで広間へと歩み出る。百の視線が彼女に注がれる中、彼女は王族の前で丁寧に一礼した。ペールブルーのドレスが柔らかく揺れ、控えめながらも気品ある姿に、周囲から小さなざわめきが起こる。
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クラリッサは静かに会場の社交席に戻ると、すぐに数人の夫人たちに囲まれた。
「まあ、クラリッサ夫人。あれがあなたの娘さん?」
「素敵な立ち居振る舞いだこと。あのドレスも上品ね」
「ええ。あの子は……私の誇りですわ」
舞踏会場の喧騒の中、ただひとり静かに微笑む娘の姿――
クラリッサは笑みを浮かべたまま、遠くに立つエマを目を細めて見つめるのだった。




