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第七話 嵐の前の静けさ


 嵐瑛は部屋に近づくごとに体が軽くなっていくのを感じていた。淀んでいた空気がどんどん浄化されていく。今まで封じられていたし、傍には煌蘭がいたので、気づかなかった。


「……人間空気清浄器……」

「ああ、昔、同じことを言ったやつがいたな」


 煌蘭の前でポツリと呟くと、一瞬訝しげな顔をしたが、怒るでもなく、きょとんと首を傾げて何でもない風に返してきた。


「そうなのか?」

「ああ、お前の傍だと邪気も瘴気もきれいになるから便利だよな、と失礼極まりないことをいわれた」

「へ、へえ……」


 思わずかつて煌蘭にそれを言った人間のことを思う。果たしてその後大丈夫だったのだろうか。


「で? どうして外へ出たいんだ?」


 聞かれても困る。実際、外に出るとか、出ないとかはどうでもいい。ただ、煌蘭と一緒にいたいと思っただけなのだ。だから、別に外でなくてもかまわないのだが。


「いや、六百年でどう変わったかなと」

「森じゃわからないだろ? 街にでも出なければ」


 煌蘭はわずかに上目遣いで嵐瑛をみるとやや胡乱気な眼差しを向けた。


「ま、まあ、いいだろ? 出たいから出るんだ」

「ふうん」


 納得していない様子の煌蘭の背を押しながら、嵐瑛は困ったような表情を浮かべる。どうしても、この少女の前では素を出さざるを得ない。調子が狂う。

 嵐瑛は神殿に張り巡らされている結界の前で立ち止まった。


「どうした?」

「本当に出られるのか?」


 昨夜さんざん脅されたので、疑いたくもなる。


「ああ。だから言っているだろう? 勇気の問題だ」


 ひょい、と煌蘭は結界を越えていってしまう。


「気合いだろ……」

「なにをしている。置いていくぞ?」


 嵐瑛はそっと手を伸ばしてみた。難なく抜ける。確かに結界が張られている気配は感じられるのに、なにもないかのように手は結界の外へ出た。


「ええい、遅い!」


 業を煮やした煌蘭に、伸ばした手を思い切り引っ張られる。鷹揚でいるかと思ったら、案外短気だ。制止する間もなく、よろけるようにして結界の外に出てしまった。


「入るときは、私より先に入らないと首が切れるから気をつけろよ」


 不敵に笑って先を行く煌蘭の後を追って、嵐瑛は思いきり六百年ぶりの外の空気を吸い込んだ。









    *               *               *







 鬼は基本的には光に弱い。太陽の下に出られないわけではないが、暗闇の中活動するのに比べ、太陽の下では格段に力が弱くなるのだ。

 いつもは艶然と笑い、鬼たちを従えている女は木の陰からこっそりと、神殿から出てきた二人をみていた。いや、見るつもりはなかったが、鬼たちを休ませている間の偵察にきたとき、二人が出てくるのを見つけたのだ。

 女は強く下唇を噛む。真っ赤な唇はプツリと切れて深紅の血を流した。それを一舐めして、女は憎々しげに目を細める。


 日の下でのびのびと笑うあの女がにくい。封印されているはずなのに、まるで人間のように振る舞って笑うあの精霊がにくい。


 憎い憎い憎い……殺してやる。全部、全部、壊してやる……


 強く握り締められた掌からは止めどなく真っ赤な血が流れる。その血気に鬼がもぞもぞと動き出したのを女は感じた。

 鬼は戦い、共食いをして今は五匹しか残っていない。十匹の争う様は壮絶だった。生き残った半分も瀕死に近い重傷を負ったのだ。それが、ようやく回復する。


 あと二日ですべて終わる。


 女は真っ赤な唇を弓なりに曲げて凄絶に笑んだ。







    *              *                  *








 嵐瑛は目の前の光景に途方に暮れた。未だかつて、そう、六百年前であったって、こんなにたくさんの動物を目にした記憶がない。いや、そういえば何度かそれに近いものを見たような気がする。その時、動物の中心にいたのは別の人物だったが。

 動物の真ん中でよってくる動物の頭や体をなでている煌蘭の後ろ姿を嵐瑛は呆然と見ていた。もしかすると、この森すべての動物が集まってきているのではないだろうか。


「……煌蘭、これは一体……」

「ああ、鬼の瘴気が強すぎて森の中にいられないらしい。それで、私に助けを求めてきたんだ」


 なぜわかる。


 嵐瑛は心の中で盛大にため息をついて煌蘭たちを見た。その気配に気づいたのか、煌蘭はくるりとこちらを振り返る。


「あの森にはなぜだかわからないが精霊がいないな」

「たぶん、俺がいるからだろう」


 嵐瑛は眉間にしわを寄せて腕を組む。


「ああ、お前の霊力のせいで寄ってこないのか。こんなにいい森なのにな」

「だが、全くのゼロというわけじゃない」

「そうなのか?」

「ああ。微弱で遠いが何かいるな」

「何かか……」


 顔をこすりつけてくる鹿の頭を掻くようになでて煌蘭は考え込んだ。


「まあ、鬼が去れば精霊も戻ってくるだろうな」


 煌蘭の言葉に、それもそうだが、と嵐瑛は反論しかけた。結局、自分がここに封じられていては精霊も戻ってこられないだろう。


「安心しろ。お前を自由にするといったのは偽りじゃない」


 嵐瑛の考えを見抜いて煌蘭が苦笑する。


「別に、そんなこと……」


 心配していない、と横を向く。広がる空に、大地に、懐かしさを覚えた。生きてきた長さに比べて六百年は決して短いとは言えないが、長いとも言えなかった。それでも、懐かしいと思うくらい、自分もこの世界が好きだったのだと思う。


「そうか? ならいいが」


 煌蘭の目はずっと動物たちに向きっぱなしだ。


「……そいつらどうするんだ? 助けを求めにきたんだろう?」

「うん……全員、封じてしまえば話は早いんだがな」

「できるのか?」

「……できるできないを論じるのは好きではないな」

「じゃあ何だ?」

「できるできないではなく、やるんだよ」


 ニヤリと不敵に笑う煌蘭には絶対にかなわないような気がする。

 煌蘭はその場に座り込んで右手をかざした。手甲からポロポロと直径三センチほどの封珠が出てくる。三十個ほど出したところで、煌蘭は封珠を出すのをやめた。


「本気か?」

「本気だ。この封珠を適当に動物たちの前に並べてきてくれ」


 ズイッと差し出されて嵐瑛は両手に抱えるようにそれを受け取った。


「おい」

「落とすなよ? それにはあまり封珠を込めていないからすぐに壊れるぞ」

「壊れるのか?」


 封珠とはそんなに脆いものだっただろうか。特に、この煌蘭の封珠だ。そう弱いとも思えない。

 それを煌蘭に聞くと、実際、ガラスのように壊れてしまう封珠などあり得ないが、煌蘭はその封力の強さを武器に、封力を分散して大量の封珠を作っている。その分封珠はもろくなってしまうのだが、彼女は特に気にしないらしい。


 嵐瑛はどこか釈然としないながらも煌蘭の言葉に従って封珠を動物たちの前に置いた。

 全て置き終え、煌蘭の元へ戻ると煌蘭は座り込んだままピンと背筋を伸ばす。そして、嵐瑛の手を握った。


「動物たちよ。我にその身を預け、封珠の中に眠れ。霊封」


 静かな声は風に乗り、動物たちの元へ届く。並べられた封珠から淡く柔らかな白い光が放たれると、動物たちは穏やかな気持ちでその光を受け入れた。

 光が収束すると、何百匹という動物たちが忽然と消えていた。全て余すことなく封珠に入ってしまったのだ。


「お前な……俺の力を使うなら、使うと言え……」


 嵐瑛は急な脱力感にうなだれる。


「私一人で、あんなにたくさんの動物を封じたら倒れるだろうが」


 一方、煌蘭は元気そうだ。

 恨めしげに、煌蘭に視線を送り、嵐瑛は動物たちのいなくなった草原を見回した。


「……すごいな……こんなことまで」

「本当に。びっくりしたな」


 煌蘭も驚いたような声を上げる。


「は?」

「だから言っただろう? できるかどうかはわからないと。だからやってみたんだろうが」


 嵐瑛は目の前が暗くなるような錯覚を覚えた。思わずこめかみに手をやって揉む。


「失敗したらどうする気だったんだ……」

「今度は動物全部が入れるよう結界を張るだけだ。それなら確実にできるしな」


 あの数を全て囲むとなると、相当なでかさになる。神殿など比ではないだろう。そうなると、煌蘭は、嵐瑛の力を借りても確実に二日は眠ることになってしまう。それだけはなんとしても避けたかったので、今回は一か八かの実験的なことをやったのだという。一言言えばいいのに、なんて奴だ。


「終わりよければ全てよし。さあ、嵐瑛。封珠を全部拾ってこい」

「……お前、俺が今力使えないの判ってて言ってるだろ」


 とりあえず反抗してみるが、犬を追い払うように行けと命じられ、その上、無言で右手を首に当て横に引き、首をはねる、というような動作をされてしまっては行かないわけにはいかなかった。






   *                *                  *






 昼だけ馬を飛ばしておよそ一週間以上かかる道程を、昼夜構わず駆け抜けてわずか四日で行くのは、人には無理だったのではないかと景斗は思う。馬が何頭もつぶれてもおかしくないような強行なのに、馬たちのこの目の輝きは何だ。結局、どの馬も、封士連から連れてきた馬のままだ。


 そんなに煌蘭に会いたかったのか。


 馬でなく、人間が、息も絶え絶えについた神殿には、強い結界が張ってあったのだが、すんなりと入れた。こんな強い結界で、一体なにから守っているのだろうか。


「玲煌蘭の要請により、封士連より参りました。滅部部長、涼景斗と部下です。玲封士と貞神官長にお会いしたい」

「あ、はい。伺っております。こちらへどうぞ」


 年若い神官について中に入っていこうとすると、馬に服の裾を噛まれて首が締まった。振り返ると、馬たちは自分も連れて行けと言わんばかりの目を景斗に向けていた。連れていかなければ、誰の恋路もじゃましていないのに、蹴られて死んでしまいそうだ。


「あの……すいません。馬同伴でも構いませんか?」

「え? それは、構いませんが……」


 戸惑うのも判る。だが、おれは泣きたいと景斗は心底思った。

 連れてこられたのは、封珠のたくさんついている扉の前だ。


「こちら、封印の間となっております。中におりますので、扉の封印を解いてお入りください」

「はあ……」


 神官に訝しげな視線を送ると、神官は心底申し訳なさそうに眉をハの字に下げてうつむいてしまった。


「私たちでは開けていただけないのです。ご自分で解くように、と玲封士からの言付けも賜っております」


 ああ、また何か問題を起こしたのだ。無茶をするなと言ったのに、こんなところに籠城するなんて、なに言われるか判ったもんじゃない。

 景斗は人知れずため息をつき、そっと扉にふれた。確かに、煌蘭の封力を感じる。後ほかにも別の強い力が一つ。


「……風?」

「ええ。ここには、古くから風の精霊を封印しているんです」


 なるほど、と頷くと、神官に戻っていいと追い払う。


「解錠」


 術を解き、中にはいる前に、深呼吸して声を張る。


「涼景斗、以下、部下三名、馬四頭参上いたしました!」

「どうぞお入りください」


 年輩の声が聞こえてくる。電話で話したあの声だ。

 景斗は扉に手をかけ、ゆっくりと開ける。

 煌蘭と顔を合わせるまでがいつも緊張する。自分の方が、五つも年上だというのに、未だに慣れない。


「ああ、お久しぶりです。涼封士。早かったんですね」


 部屋の中央で、自分と同じくらいの年齢の青年と向かい合って、大小色とりどりの封珠を並べる煌蘭は、表情は笑っていたが、目の奥が笑っていない。余計なこと言ったら、どうなるか判ってるだろうなぁ? とその目は語っていた。

 二人とは少し離れたところに、五十過ぎの男が、にこやかに座っている。神官服を着ているので、こちらが神官長だろう。

 ゆっくりと立ち上がり、景斗の前にやってきて手を差し出す。


「ようこそいらっしゃいました。私がお電話差し上げた、貞でございます」

「初めまして。涼です。玲封士も久しぶり」

「遠路はるばる申し訳ありません」


 青年を置いて、こちらに来る煌蘭に、景斗は思わず後ずさりしたくなる。自分に丁寧語を話すことも、また然りだ。


「煌蘭? これは誰だ?」


 いつの間にか煌蘭の横に立った青年が、少し屈んで煌蘭の耳に口を寄せる。青年と煌蘭には、身長差が三十センチはありそうだった。


「こちらは封士連本部滅部部長、滅位封士の涼景斗という。今年で二十四歳のエリート様だ」

「滅、ということは、煌蘭の上司なのか?」

「封士連に、あまり上下はないが、まあ、そうなるのかな? 一応」


 エリートなどと思ってないくせに。自分が鯨ならその他はプランクトンくらいにしか思っていないやつがなにを言うか。心の中で毒づきながら、景斗は青年に目を移す。


「……玲封士、そちらは?」

「風の精霊です。六百年この地に戒縛されていました」


 景斗は目をむいた。煌蘭の寒気がするような敬語なんて目じゃない。六百年前に封じられた精霊など、景斗は一人しか知らない。

 景斗がなにもいえずにいると、空気から何か察したのだろう、貞が封士様、と呼びかける。


「封士様。私はここで退室させていただきます」


 深々とお辞儀をした貞は、本当に出ていってしまった。部屋の中には、煌蘭、嵐瑛、景斗、部下三人と、馬四頭が残された。

 景斗は後ろの方で音もなく扉に術がかかるのを見ると、その場にしゃがみ込んだ。


「あー、疲れた……」

「随分早かったな。後三日はかかると思っていたが」


 煌蘭の言葉遣いを聞いて、なんだか疲れがどっと押し寄せてきた。どうやら、思っていたよりも遙かに緊張していたらしい。座っているのもままならなくなり、うつぶせに転がる。部下も同様だ。


「馬がな……あり得ないほどがんばってた……」


 突っ伏したまま言うので、声がくぐもっている。

 蹄の音がやけに近いと思ったら、耳の数センチ横に馬の足があった。


「よーし。整列!」


 煌蘭が号令をかけると馬はピシッと一列に並ぶ。


「お前たち、よく頑張ったな」


 一頭一頭鼻面をなでてやると、感動したのか、目を潤ませて喜びに打ち震えている。

 景斗は心の中で、馬が感動するってなんだ、と呟いたが、それを表情に出す気力もない。それよりも、問題なのは煌蘭の隣に当然のように立っているあの精霊の方だ。

 寝転がったまま睨み付けていると、こちらの視線に気付いたらしく嵐瑛が鋭い目を返してきた。


「何だ」


 短い声には煌蘭にかけていた優しさなど欠片もない。


「どうして縛されていない」


 敵意をむき出しにしたままの景斗の声は鋭い。


「そんなことは煌蘭に聞けばいいだろう?」


 嵐瑛が馴れ馴れしく煌蘭と呼ぶのにもかちんとくる。


「おれはお前に聞いている」

「俺は話す気などない」


 険悪な空気が、二人の間に流れる。景斗は嵐瑛が発するピリピリとした気迫を感じていた。景斗を見下ろす金緑の瞳はどこまでも冷たく、恐ろしい。

 このままにらみ合っていても埒があかない。先に音を上げるのは絶対に自分の方だ。と景斗は話の矛先を煌蘭に向けた。


「煌蘭、なぜこんな邪悪な精霊が野放しにされているんだ」

「景斗、それが人にものを尋ねる態度か?」


 金緑の目よりも更に冷たい金茶の目が景斗を見下ろすが、脱力しきって起きあがれないものはしょうがない。

 煌蘭は景斗の恨めしげな顔を見て悟ったのか、馬を一頭呼ぶと、景斗のクッション代わりになれと言った。馬は不満げに首を振る。


「そう嫌がるな。湯たんぽだとでも思って我慢してくれ」


 この場合、嫌がっているのも、湯たんぽだと思うのも馬だ。

 結局、煌蘭の言葉には逆らえず、馬は景斗の背もたれになって悔しがった。あと二頭が部下三人のクッション代わりになり、残りの一頭は煌蘭と嵐瑛の背もたれになった。勝ち誇った顔で、ほかの三頭の馬を見ている。


「もう一度聞く。なぜそいつは野放しにされている」

「野放しなんかじゃない。ちゃんと首輪がついているだろう?」

「……首輪と言うな」


 愚痴りながら嵐瑛はごそごそと胸元から純白の紐についた奇妙な形の封珠を取り出す。

 煌蘭は簡潔にその封珠の機能を説明して、野放しにしていないだろう? と片笑みながら首を傾げた。


「……すごいな。そんなことまで……おれにもできるか?」


 純粋に、封士として感心した。自分もやりたいという欲求が湧いてくる。


「無理だ」


 煌蘭は即答する。景斗は不満げに煌蘭を見た。


「なんで」

「私の頭の中をまるまるコピーするなら別だが、言葉で説明できるものでもないし、仮に説明できたとしても、理解できるとは思えない」

「なら目の前で実際に作ってくれ」

「断る」


 やはり即答だ。


「何でだよ」

「あれを作るのには、普通の封珠を作るよりも気を張って疲れる上に、あまり実用性がない」

「へぇ。じゃあ何でその精霊には作ってやったんだ?」


 にやにやと笑う景斗に煌蘭は不敵な笑みを返して見せた。


「鬼退治には犬が必要だろうが」


 惚れたか? とからかおうとしていた景斗は、あまりの答えに言葉を忘れ、そっと嵐瑛を見た。きつく眉間にしわを寄せ、微妙な顔をしている。景斗は、嵐瑛のことはまり好きではなかったが、このときばかりは少しだけ同情した。同病相哀れむ、というやつだ。


「……ちなみに、サルとキジは?」


 言ってすぐ、聞かなければよかったと思った。にやりと煌蘭は口元に笑みを梳く。


「お前が二役やって華々しく散れ」

「死ねっていうのか!?」


 哀れむような目の嵐瑛と目が合う。なんだか一瞬判り合えた気がした。


「あー、もう。話がそれた」


 ガシガシと毒づきながら頭を掻く姿は、景斗の悪友兼同僚によく似ていた。


「お前、この精霊が誰だか知っているのか?」

「もちろん。嵐瑛だ」


 なあ? と煌蘭と嵐瑛は顔を見合わせると、胡乱そうな眼差しで景斗を見た。


「へえ。そいつ、嵐瑛って言うのか……ってそうじゃなく! こいつが六百年前になにをしたとか」

「大量虐殺だろう?」

「風の王と呼ばれていたのは?」


 煌蘭は隣に座る嵐瑛を、少し体を引いてまじまじと見る。金茶と金緑が交差した。互いに無駄に強く輝いている目だ。


「嵐瑛……お前、有名だったんだな」

「な。俺も初めて知った」

「こらそこ! 真面目な顔してほのぼのしてるんじゃない!」


 景斗が怒りも露わに声を上げる。


「景斗、うるさい。口縫い合わせるぞ?」


 思わず、煌蘭以外全員(馬も含む)口に手を当ててしまう。


 もっとも早く我に返った嵐瑛がわずかに眉をひそめて景斗を見た。


「だが封士、俺はそんな呼び名は初めて聞くが?」

「当たり前だ。封印後に呼ばれ始めた名だからな」


 景斗は腕組みしてちらりと嵐瑛を見た。くそ。本当に無駄に整った顔をしている。


「しかし、景斗。よくそんなこと知ってるな」

「お前は興味ないことは端から覚える気がないからな。当時最高の封力を持った封位の封士が命をかけて六人がかりでやっと戒縛したという風の精霊。そのあまりの強大な力故に、畏怖を込めて付けられた名が“風の王”だ」

「へー」


 煌蘭の瓏玲な声と嵐瑛のよく通るテノールの声が響きあう。


「あー、いい響き。って違う! ああ、もう、なんか二倍疲れる……」

「つっこみご苦労。そろそろ体力回復したんじゃないか?」

「あ、あれ? 何で……」


 叫び疲れた感はあるが、体の倦怠感は消えている。試しに立ってみるが、しっかり立ち上がることができた。







 景斗の頭の周りに疑問符がたくさん浮かんでいるのが見えて、煌蘭は苦笑する。


「今、この部屋は私の封珠の中とほぼ同じ状態だ」

「あ……精霊に、煌蘭の封珠の中、快適で出たくない。と言わしめたあの……?」


 精霊の声まねだけ微妙だ。慣れないことはするものではないという見本だろう。


「そう。試すのは初めてだが、なかなか居心地がいいだろ? まあ、私にはよく判らないんだが」


 封力は自分の力そのものなので、特別なものは感じられない。


「……バケモノめ……」


 呻くように言う景斗を睨む。


「……吊すぞ? それに、これはいろいろと条件がそろってるからできるんだ」

「条件?」

「まず、神殿の周りに張った結界。次に、このやたらと封珠だらけの部屋。そして、嵐瑛だ」


 煌蘭は一つ、二つと指を立てた。


「一つ目と二つ目はいいが、最後のはなんだ」

「あの首から下がる封珠をグルグルと回っているうちに私の封珠とほぼ同じものになるからそれを使っている」

「何でもありだな」


 まさに再利用だ。


「ちょっと待て。俺は聞いてないぞ?」


 嵐瑛は驚いたような顔で隣の煌蘭を見下ろす。煌蘭は何を今更、というように嵐瑛を見上げた。


「利用できるものは何でも利用すると言わなかったか?」

「聞いてない!」


 語気を荒げた嵐瑛にひるむことなく、煌蘭は片眉を跳ね上げた。


「おや。長生きしていると物覚えも悪くなるか。これだけの戦力をとどめておくのはもったいないと言ったぞ?」


 なんか文句あるか? と言いたげな煌蘭の顔を見て、嵐瑛はあきらめたように肩を落とし、頭を降って盛大にため息をついた。

 ふと顔を上げると、景斗、部下三名、馬四頭が哀れむように嵐瑛を見ていた。




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