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第二話 疑惑の封士



 煌蘭は案内された部屋の寝台の上であぐらをかき、瞑想していた。頭がスッとクリアになり、余計なことは一切廃される。はずだった。


『封士! 封士返事をしろ!』


 答えなければ延々とわめき続けそうな嵐瑛に、とうとう煌蘭は折れた。これ以上頭痛が酷くなるのにも耐えられない。それならば、話を聞いてやった方がいくらかましな気がしたのだ。


『わめくな。静かにしろ。戒締(かいてい)するぞ』

『う……それだけは止めてくれ』

 戒締された痛みを思い出したのか、嵐瑛は怒鳴ることを止めた。あの戒締は本当によく効いたらしい。それ故に、あまり使いたくない技ではあった。


『なら黙れ』

『封士よ……』


 普通の声は低く落ち着いていて耳触りがいい。これならば頭痛も起きない。


『黙れと言った』


 それでも、頭に直接話しかけられるのは、あまりいい気がしない。煌蘭は眉根を寄せた。


『頼む……俺をここから出してくれ』


 懇願するような声に湧いてきたのは、またか、という感想だけだった。ウンザリして煌蘭はため息をつく。


『何故?』


 たとえ封印が解けて自由になったとしても、もう嵐瑛を封印したという封士たちは死んでいる。血筋的にはありだろうが、子孫が封士になっているとは限らない。捜すとなると、途方もない作業になるだろう。


『何故って……俺は風だ。何にも縛られることなく自由であるのが風だろう?』


 思わぬ返答に相手には見えないとわかってはいるが煌蘭は首を傾げる。


『復讐が目的ではないのか?』


 絶対にそれが目的だと思っていたのに。

 しかし返ってきたのは純粋な疑問の声だった。


『それこそ何故? 俺を縛した封士たちが死んだのは知っている。目の前で死んだからな。別に、復讐したいとも思わない。だから、出してくれ』


 少なくとも、その言葉は真実に聞こえた。けれど、煌蘭には、嵐瑛を信じられるだけの材料が何もない。


『だが、また再び同じ過ちをしないとも限らない。かつて封士たちはお前を危険だと判じたから、縛したのだろう?』

『それは……』

 言いよどむ嵐瑛に、煌蘭は目を閉じる。邪悪な精霊。自分で言うのも嫌なものだ。邪悪という言葉一つで全てを片付けられた気がしてならない。


『自業自得ではないか』


 思いとは裏腹に皮肉げに言うと、強い否定が返ってきた。


『違う!』

『何が違う。人間を殺したことが偽りか?』


 煌蘭は嵐瑛の強い様子とは違い、淡々と問い返した。


『それは……事実だ……だが、あの時俺は……』


 それっきり黙ってしまった嵐瑛に煌蘭は首を傾げたが、追及することもなく瞑想を続けた。

 ジワリと体の周りを封力が包み込んでいくのがわかる。温かい封力が大きく濃くなるように封力を練る。封力が濃縮されたのを感じると、煌蘭は刀印を結び、深呼吸をして静かに呟くように言った。


凝玉(ぎょうぎょく)


 封力が更に収束して形を作る。白い光が溢れたかと思うと、急速に収束し、その場には数十個の透明な封珠が転がっていた。

 今は、親指と人差し指で円を作ったほどの大きさしかないが、封士の思いのままに大きさを変えることができ、中に入っている力の大きさによってもその大きさは変化する。そして、封士の力の強さが強ければ強いほど、どこまでも大きく、また反対に、どこまでも小さく出来るのだ。


 煌蘭はその封珠を手甲に封じると、そのまま後ろに倒れ込んだ。術を使うより何よりも、封珠を作ることの方が気力と封力を使う。煌蘭にとっては微々たるものであるが、ほんの少しの脱力感にまどろんだ。


『封士……』


 呟くような嵐瑛の声がする。煌蘭は目を閉じて、その心地いい声に耳を傾けた。


『頼む……俺をここから出してくれ……』

『駄目だ』

『もう人を(あや)めたりはしないと誓う……だから……』

『……駄目だ』

『……邪悪な精霊だと、お前も言うのか……?』

「違う、私は……」

 嵐瑛のうなるような声に、眠りに落ちた煌蘭の肉声は届かなかった。








 封士との交信が途絶えた。眠ってしまったのだろう。もう、何の返事もない。

 まさか、あんな幼い封士が自分の事を完全に戒縛してしまうとは思わなかった。あの力ならば、精霊である嵐瑛をも伏封してしまうかもしれない。


「はっ。伏封はちょっとな……」


 伏封されたら終わりだ。何の弁解をすることもできず、滅玉されてしまうだろう。

 嵐瑛は片手で顔を覆った。


 体に巻き付く鎖の音がやけにうるさく耳に響く。最初は重く冷たかった鎖が、慣れたからだろうか、軽く温かく感じる。

 立ち上がってみると、今までの長さの定まっていた鎖とは違い、玉から引き摺られるようにして伸びた。

 多少邪魔ではあるし、以前のように微風ほどの力も出せないが、以前より幾分楽になった。あの、力を吸収されるような感覚もない。それどころか、満ちてくる気さえする。だからといって戒縛が解けるわけではなかったが。


 これがあの封士の力か。


 封珠に近づいて手を伸ばすと、触れる前に弾かれた。


「……っ」


 拒絶ではなく、強大な力の渦にはじき飛ばされたという感じだ。そうは見えないし、このままではそんな感じはしないのだが、かなり強力な封力で術がかけられているのだろう。

 何の力も入っていない封珠の色は術者の心を映すという。ならば、何の色も付いていない透明なこの封珠があの封士の心なのだろうか。


「まさか。そんな可愛らしい性格じゃないだろう」


 ジャラジャラと鎖を鳴らしながら部屋の中央へ戻る。


 この六百年間変わることなく降り注ぐ月の光に手を伸ばした。この光だけが、嵐瑛の心の支えだった。

 月光だけはいつだって傍にいた。千年前も、この六百年の間も、変わらずに降り注いでいたというのに。気付かずに全てを壊しかけた。()の人の愛した世界を、壊そうと。


 そう、本当は世界を壊したかった。けれど、今はその壊したい世界でさえ、自分の知っている世界ではない。だから、ただ、外へ出たい。嵐瑛は思った。

 復讐が目的なのではないかと封士は言う。けれど、あんな一人では取るに足らない封士達などどうだっていい。あいつらは、自分たちの世界を守ろうとしただけだ。当然のことをしただけ。寧ろ、自分に世界を壊させないでくれたと感謝の念さえ沸く。

 復讐などどうでもいい。だって、きっとそんなこと望んでいない。この六百年。長いようで短かったこの無駄のような時間で、十分に頭は冷えた。


 だから、ただ、外に出られればそれでいい。今はただ、それだけでいいのに。


 これが業だというのなら、仕方のない話なのかも知れない。けれど……


「ここから、出してくれ……――」


 そっと呟く最後の言葉は音にはならなかった。


 この声はあの封士に届いただろうか。






     *          *            *







 薄暗い部屋で数人の神官が燭台の乗った卓を囲んでいる。


「本当にあんな小娘に任せてよいものか……」


 組んだ手の上に顎をのせて思案深げに一人の神官が呟く。


「そもそもあれが玉位であることから間違いなのではないか?」


 そうだそうだと、同意の声が上がる。


「今回の精霊の戒縛もちゃんと行われていたかどうか……」

「神官長は見ていなかったのであろう?」


 この場にいないあの神官長は、何の疑いも持たずに煌蘭を信じている節があった。それが他の神官たちにとって気に入らない一因でもあった。


「術が終わるまで、外で待たされていたようだ。術後も中を確認していないらしいぞ?」

「どうせ、手も足も出なかったのであろう? 数十年は持つが、今まで通り十年に一度封士を呼べと言っていたそうではないか」


 今まで来た封士は多くの神官たちを呼んでその前で術を行い、包み隠すこともしなかった。自信たっぷりにこれでもう大丈夫だと胸を張って帰って行った。それでも、精霊の力の強大さの前に再びひびが入ってしまうのだ。なのに、どうして隠して術を行った、しかも、あんな小娘がひびを修復出来ようか。


「だが、本当のことを言ったのではないか? 自分の力を驕らぬよい封士なのでは……」


 煌蘭を擁護する言葉を、一人が鼻で笑い飛ばす。


「どうにもならなかったからこそ言ったんだろう。保険のようなものだ」

「だが、精霊を封縛できると……」

「はったりでしょう。大方、封印を解いて精霊を逃がし、いなくなったところを見せて封縛したという腹づもりなのでしょうよ」

「だが、次の鬼の襲来で退治すると……」

「次の襲来までには、他の封士も駆けつけましょう」


 グッと煌蘭を擁護していた神官は黙ってしまう。それに気をよくしたのか、別の眼鏡をかけた神官が言う。


「それにあの封士、まだ十九歳だと言うではありませんか。封士の資格を得て、解位を授かるのが一番早くて十二歳になってから。縛位にたどり着くまで最低五年。それから玉位に昇位するには最低でも六年はかかると言うではありませんか。なのに十九歳の小娘が、どうして玉の位を授けられましょうか。私たちは騙されているのではありませんか」


 ザワザワと隣同士顔を見合わせる。疑心暗鬼が広がって行く。


「皆さん、あの封士を追い出して、本物の封士様をお呼びしましょう。結界が破られてからでは遅いのです」


 眼鏡をかけた神官は立ち上がり、両手を広げるそぶりを見せる。


「だが、神官長はあの小娘が本物の封士だと信じているぞ? 神官長の同意なしに客人を勝手に帰すことはできぬ」


 声高に言った神官は、ふむ、と考え込んでみせると、ニヤリと不気味な笑みを浮かべた。


「ならば、あの偽封士が自発的に出て行くようにするまでです」


 言った神官の目が不気味に赤く輝いたことに気付いたものは誰もいなかった。







    *          *            *







『封士!』


 朝、嵐瑛の怒鳴り声で、煌蘭は飛び起きた。不意打ちに心臓が早鐘を打つ。


『朝からうるさいぞ。精霊』

『俺の名は嵐瑛だ』


 はあ、と煌蘭は頭を抱えてため息をつく。正直、すぐにおさらばするというのに、封印された精霊の名前などどうでもいい。


『……お前、今、どうでもいいとか思っただろう?』

『別に、思ったが? それがどうした』


 声は聞こえないが、何となく、歯噛みしているのではないかと煌蘭は思う。ざまあみろと内心で舌を出した。


『用もないのに話しかけるな』


 ぴしゃりとはねつける。嵐瑛の声は聞こえなくなった。

 ちょうどその時、扉を叩く音が聞こえた。


「封士様、朝食です。食堂にお越しください」

「わかりました」


 軽く身支度を済ませると、昨日髪も乾かさずに寝てしまったので、ピョンピョンと跳ねる寝癖をなでつけながら案内する神官について部屋を出る。

 食堂に行くと、もうすでに他の神官たちは食事を終えたのか、貞神官長しかいなかった。


「おはようございます。封士様。よく眠れましたか?」

「ええ。おかげさまで」


 にこやかに話しかけた貞とは反対に、苛々とした空気を振りまきながら煌蘭は席に着いた。いただきます、と手を合わせる。


「いかがなされました? 封士様」

「お気になさりませぬよう。夢見が悪かっただけです」


 貞の前でもそもそと朝食を食べながら低い声で言う。けれど、気にするなと言うのも無理な話だろう。気にするなと言うには、その空気はあまりにも剣呑だ。

 貞はひくりと顔を引きつらせ、無理矢理話題を変える。


「本日はどのようなご予定で?」

「この辺りの自然の力を素縛しようと思います。時間があれば神殿に更に結界を施しましょう」

「更に結界を張るのですか?」


 煌蘭のコップに茶を注ぎながら貞は聞き返す。


「結界は土地になじんだ力の方がより強く働きます。ここに封じられている精霊の力だけでも、十分に強い結界が張られていますが、自然の力を借りれば更に強いものになります。昨日のような鬼のプレッシャーも和らぐでしょう」

「なるほど」


 貞はにこにこと笑んで、煌蘭を見ている。


「あの……私の顔に何か付いているでしょうか?」


 じっと見られているとはっきり言って決まりが悪い。視線に離れているが、正直真正面からこうも不躾に見られるのは居心地が悪い。用がないなら止めて欲しかった。


「ああ、申し訳ありません。ただ、私の娘も生きていたらあなたと同じ年齢になっていたなと思ってつい……」

「……娘さん、お亡くなりになられたんですか?」

「ええ。ちょうど十年前、鬼に喰われて……」


 そっと眼鏡の向こうで目が伏せられる。煌蘭はそれを半ば唖然とした気持ちで見つめた。


 今、貞はなんと言った?


「鬼に……喰われたのですか? 失礼ですが、娘さんに特別な力は……」

「いいえ。普通の娘でした。それがどうかしましたか?」

「いえ……」


 鬼は基本的に飢えて死にそうにならない限りただの人間を喰ったりしない。と言うより、声さえ上げなければ人間はその存在を感知されない。だから、封力のような特殊な力などがなければ、鬼に襲われることはめったにない。

 時折、人肉を好むような特殊な鬼は人間も見えているが、そう言う例外の鬼を除いて、鬼にとって人間とは瘴気を低めるだけで、毒にはなっても、薬にはならない存在なのである。

 鬼は自然の霊力や、精霊や、霊獣、魔霊、同族の鬼の力を喰らうのだ。


 とそこまで考えて煌蘭は気付いた。


「そうか……」

「封士様?」


 訝しげに貞は首を傾げる。


「判りました。鬼の狙いが」

「ええ? それは一体……?」


 怪訝そうに身を乗り出した貞に煌蘭は視線を向ける。


「あの精霊です。喰いに来たんだ……」


 神殿に張られた結界さえ破ってしまえば、縛されて力のでない精霊など容易く喰らうことができるだろう。

 その後何をしたいかは皆目見当も付かないが、大凡それで間違いない。

 そうでなければ、鬼が執念を燃やしてわざわざ神殿などに奇襲を掛ける意味が判らない。


「精霊を喰われてしまえば、神官たちにも被害が出かねません。多少、面倒ですし……」


 伏縛はすぐに済むだろうが、その間に神官たちが余計なことをしそうだ。余計なことをして怪我をしたら、どうせ煌蘭のせいだとわめき立てるのだろう。


「応援を頼みますか?」

「……そう、ですね。連絡して貰って構いませんか? 私は準備に取りかかります」

「わかりました」

「そうだ。滅部部長涼(りょう)景斗(けいと)に繋いでください。私の名前を言えば、話は通じますから、応援を頼むとだけ伝えてください」


 煌蘭は失礼しますと立ち上がると走り出した。

 景斗が来るまで早くても一週間。その前にけりを付けて、事後処理は全てやつに任せよう。


 廊下を走っていると、煌蘭は神官に呼び止められた。


「封士殿、そんなに急いでどこへ行くのです?」


 眼鏡をかけた年嵩の神官だ。彼から神官にあるまじき禍々しい気配を感じ取った煌蘭は気付かれない程度に僅かに眉をひそめる。


「鬼退治の用意をしに」

「ほう。鬼退治ですか。鬼は封士の血肉を好むと聞きます。お気を付けくださいね」


 その話しは確かではあるが、だからなんだ。

 裏のある笑みで笑った神官に、煌蘭はニッコリと笑みを返す。


「何よりも好きなのは中途半端に霊力のある、根性の悪い人間の、真っ黒な腹だと聞きますよ」

「……私のことをおっしゃっているのですか?」


 ピクリと不機嫌そうに眉をつり上げて神官は煌蘭を見下ろす。煌蘭はわざとらしい笑みのまま神官を見上げた。


「誰も神官殿のことだとは言っていません。ですが、心当たりがおありなら、神官殿、用心召されよ」


 それだけ言うと、煌蘭は早く準備を始めるべく足早に去っていった。


「……くそ、小娘め……」


 神官はぎりぎりと音が鳴りそうなほど強く唇を噛み締め、恨みのこもった目で煌蘭を睨み、神官服を翻して逆方向へと歩き出した。






   *             *              *






『はい、こちら封士連本部事務局です』

「あの、私、テルト神殿の(そう)という者ですが、お宅の封士様のことで二、三お聞きしたいことがありまして……」

『封士の安全のため、そのようなご質問にはお応えできません』

「あ、では一つだけ、玉部に玉位の玲煌蘭という封士様はいらっしゃいますか?」

『少々お待ちください…………………………お待たせしました。申し訳ありませんが、封士連にそのような封士は登録されておりません』

『ああ、そうですか。わかりました。お手数おかけしました。失礼します』


 受話器をおろし、装はニヤリと笑みを浮かべる。


「やはり、偽封士だったか……」


 部屋には男の勝ち誇った笑いが響いていた。




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