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第一話 風との出会い


 これ以上ないと言うほど程青く澄み切った雲一つない空。木漏れ日の光がキラキラと輝く森の中に、すがすがしい初夏の緑風が吹き抜ける。

 その風にざっくりと切った、ショートカットの赤茶の髪を弄ばせながら、怒りのオーラを纏った少女が、燃える金茶の目を眼前に向けて、仁王立ちしていた。纏う黒服には飾り気一つない。胸元には唯一小さく透明な玉が揺れているが、それは今にも空気に溶けてしまいそうなほど透き通っていて、一見したらそこに存在しているのかどうかすら見誤るほどのものだった。


『ここから出せ』


 その声に少女は眉根を寄せ、こめかみに手を当てた。大きな目を剣呑に眇める。

 誰もいないのに頭の中に響く声に耐えられない。しかも、だんだんと大きくなっている気さえする。それに合わせるように等間隔で襲ってくる頭痛が苛々を助長した。


 鬱陶しい……


「見つけたら即、封印して、封珠(ほうじゅ)ごとぶっ壊してやる」


 片方の口角を僅かに上げて、剣呑な笑みを浮かべた少女は、真っ直ぐに声の発信源である眼前の荘厳な神殿へと歩を進めた。

 テルト神殿とは、広大な領土を誇る龍国六州の南に位置する芳州のほぼ中央、萄棕地方のテルトにあって、龍国六大神殿の一つである。他に、六大寺院、六大教会と様々な様式の宗教が存在し、それがなんの疑問も、矛盾もなく各州にそれぞれある。


「お待ち申し上げておりました。封士様。私はこのテルト神殿の神官長、(てい)帷干(いかん)と申します。本日は、遠いところをご足労いただき、誠にありがとうございます」


 白の神官服を身に纏い、眼鏡をかけた五十代半ばの人の好さそうな男が、恭しく少女に向かって頭を下げる。少女も拱手をし、軽く頭を下げた。


封士連(ほうしれん)より参りました。玉部(ぎょくぶ)所属、階級は(ぎょく)位、(れい)煌蘭(こうらん)と申します」


 封士とは世界のありとあらゆる物事の力を封珠と呼ばれる玉の中に封じ込め、使役する者たちのことである。封士の力の源である封力が強大になればなるほど、自分に都合のいいように術を操ることも可能だ。


 彼らは実力に応じて階級を授かる。封珠に封印された力を解放するだけの者を(かい)と呼び、力を操ることができるようになると(そう)、力を封珠に封じることができるようになると(ばく)、封珠を作ることができるようになると(ぎょく)、封珠を壊すことができるようになると(めつ)、そして、精霊と契約をするようになると最高位の(ふう)の階位を得ることができる。

 封士連とは封士たちに資格と階級を与え、封士連に所属している封士を各地に派遣したり、封士連に所属していないはぐれ封士に仕事を仲介したりする機関だ。


「ご依頼は封珠の修理と、封縛とのことですが?」

「はい。どうぞこちらへ」


 貞の話によると、このテルト神殿では古くから邪悪な精霊を戒縛、つまり封珠に入れずに封印しているのだという。十年ごとにこうして封士を呼んで封珠の修繕をし、封印をし直すのだ。


「邪悪な……精霊ですか? 鬼や、魔霊(まれい)でなく?」

「はい。伝承によると、六百年ほど前に大勢の人間を殺した精霊なのだそうです。六人の封士様たちは、この神殿が建つ前、この地にその精霊を追い込んだのですが、その力のあまりの強大さに、封珠に封じることができず、やむを得ずその命と引き替えにこの地に戒縛したのだそうです」

「六人もの封士がいて、ですか?」

「はい。六人とも封位を授けられていたようですが、それでも……」


 沈痛な面持ちで貞はそっと目を伏せる。


「……そうですか……」

「……こちらです」


 案内された先には、いくつもの封珠が埋め込まれた大きな扉が目の前にそびえ立っている。封印の間だ。あまりに様々な封力が混ざり合っているので、下手に下位の封士がいたら悪酔いしているだろう。

 煌蘭はそっと封珠に手を触れた。どれにも強い封力が込められていて、封印の手助けをしているようだ。


『ここから出せ!』


 今までで一番強く響いた声と激しい頭痛に煌蘭は思わず頭を抱えた。後ろにいた貞が心配そうに煌蘭の顔を覗き込む。


「封士様、大丈夫ですか? 体調がすぐれないようでしたら、今日はお休みになってください。長旅の疲れもあるでしょうし……」

「大丈夫です。貞神官長はここで待っていてください」


 労るように肩に触れる貞の手をそっと押しやると、しゃんと背を伸ばし、先の封士が施した封珠での錠に触れる。扉に埋め込まれているいくつもの封珠と違い、力が弱い。これでは、素人の使う解術でも解くことができるだろう。


解錠(かいじょう)


 軽く扉に力を掛ける。大きく重そうな外見とは反対にあっさりと開いてしまった。

 煌蘭は中に入ると、後ろ手に扉を閉めた。

 部屋中にも様々な色の封珠がはめ込まれている。煌蘭には、もうその大半が役割を果たしていないように見えた。

 天井には大きな窓が一つあり、他に電灯や、蝋燭の類はない。月のない夜はおそらく封珠が淡く輝くだけの薄暗い部屋になるだろう。現に、今、日が傾いて光量が少ない。

 部屋の中には絶えず風が吹いているが、窓も扉もぴっちり閉じられていて、風の入る隙間はない。この精霊の力だ。


「お前は何だ」


 聞き覚えのある声にやっぱりコイツか、と煌蘭は目を細める。

 部屋の中央には六方から伸びる鎖に繋がれた二十二、三歳ほどの青年の外見をした精霊が、片膝をたてて座っていた。

 明らかに人とは違う雰囲気を放っている。

 人間離れして端整な顔立ちの中にある金緑の瞳が、煌蘭を睨むでもなくただ見ていた。


「封士だ」


 こちらも感情を顕わにせず、真っ直ぐに精霊を見る。チッと精霊は一つ舌打ちをし、鬱陶しそうに常磐色の髪をかき上げた。


「もう十年も経ったのか」


 老いて死ぬことのない精霊にとって十年などほんの一瞬のことなのだろう。忌々しそうに歯噛みする。

 煌蘭はそんな精霊の言葉など軽く無視して一つ一番近くにある封珠を見た。

 何度もひび割れを修繕したような跡があるが、完全にひびを埋めるまでには至っていない。十年に一度封士を呼んでいたらしいが、扉の封印も含め、この未熟な術を見る限り、ここ百年、ほとんどきちんと術をかけられる者が来なかったのだろう。あと数年、もしかしたら数ヶ月遅かったら、封印は完全に解けていたはずだ。

 さてどうしようか、と煌蘭は腕を組む。封珠を修繕していくか、それとも完全に取り替えてしまうか。どちらも手間はそう変わらない。


『ここから出せ』


 また頭の中に精霊の声が響いたが、眉一つ動かさずに煌蘭は精霊を見ていた。頭の中の声は激しいのに、その表情は能面のように何の色も浮かんでいない。まるで、表情を忘れてしまったようだ。


『くそ、あともう少しだったのに』


 煌蘭は、精霊の毒づきに、ほう、と内心で納得する。

 どうやら、何度も自分の力を封珠にぶつけていたようだ。だから、こんなに早くガタが来た。

 本来、縛術は、その中でも一時的に封じる禁鎖とは違い、封士が解術を施さない限り半永久的に効果が途切れることはない。

 六人がかりの術を六百年で壊そうというのか。普通の強さの精霊なら一万年かかろうと壊せはしないというのに、何という力の強さだろう。禁鎖戒縛をしているのに、封珠に封じていないと言うことは、封珠に封印してもすぐに破られてしまうほどの力の強さなのだろうか。


『こんなガキに何ができる。どうせ先の封士達と同じだろう……』


 煌蘭は無言で、封珠収納用の封珠が付いた手甲から、封士の力である封力しか籠めていない封珠を取り出すと、精霊を戒縛している封珠の横に置いた。

 煌蘭の封珠は透明だ。一見して単なるガラス玉のようにも見えた。


禁鎖(きんさ)戒縛(かいばく)


 まるで、挨拶でもするような気安さで煌蘭は呟いた。


「なっ?」


 封珠から光の筋が伸び、精霊にふわりと触れると、先人が精霊を戒縛していた物より二倍ほど太い鎖が実体となって精霊に絡みつく。


「お前、封位の封士なのか!?」


 驚きに目をむく精霊の問いを無視して、煌蘭は隣の古い封珠を滅玉で壊してしまう。

 鎖の本数は変わらないのに、新しい一本は見た目だけでもかなり重そうに精霊は身体をほんの少し傾けた。


『ふざけるな。こんなガキが封位だと?』


 がなり立てる精霊を尻目に煌蘭は残り五つの封珠の横に新しい封珠を置いていく。そして、精霊の前に立つと、冷ややかな目で見下ろし、おもむろに右手で刀印を結んで額に当てると目をつむった。

 集中して高まる封力がゆらりと揺れたのを肌で感じる。身体の回りにまとわりつくそれは、酷く冷たく、神経を研ぎ澄ましてくれる。煌蘭はそれが自分のイメージまで高まるのを待ってゆっくりと目を開き、驚きで言葉も出ない(ふう)の精霊をひたと見据えた。精霊の喉が上下するのを見届けて、不敵な笑みを浮かべると、そっと言葉を紡ぐ。


「禁鎖戒縛」


 煌蘭が素早く手を振り下ろすと、先ほど置いた封珠から光の鎖が伸びて精霊を縛る。がくん、と精霊はその急な重さに引き倒された。


滅玉(めつぎょく)


 今度は手を真上に振り上げる。古い戒縛の鎖が、音もなく空気に溶けるようにして消えていった。

 全体の重さまでもが二倍になったことで、片手を床に着け体を支えながら精霊は怒鳴る。


「何をする! 『このガキが!』」

「さっきからガキガキと……これでも私はもう十九だ!」


ぽかんと端整な顔を崩し、間抜け面を曝した精霊は、呆然と上から下まで舐めるように煌蘭を見た。嫌な視線だ。


「……それでか?」


プチンと頭の中で何かが切れたのを煌蘭は聞いた。


「……精霊よ。何故わざわざ光の鎖が実体化するか判るか?」

「は?」


 煌蘭は顔の前で刀印を結び直し、グッと力を込める。先ほどとは少し違う封力が立ち上る。精霊の顔が僅かに引きつった。


「それはな。縛されたものに戒めを与えるためだ」

「何を言って……」

戒締(かいてい)!」


 ぎりぎりと太い鎖が精霊を締め上げる。声にならない声で精霊はうめき、のたうち回った。

 暫く締め付けていたあとそれを解くと、精霊はジャラジャラと鎖を鳴らしながらその場に倒れ込み、肩で苦しそうに息を付いた。恨めしげに煌蘭を見上げてくる。


『くそ、ここから出られれば、こんなやつ……』

「出られれば私を殺すか?」

「何を言って……『当たり前だ』」


 訝しげに眉をひそめる精霊の様子とは逆に、殺気のこもった声が、頭の中に響く。これが本心だ。


「そうか」


 煌蘭は何の感情もない目で精霊を一瞥すると踵を返して出て行こうとした。


「『ちょっと待て』」


 頭の中の声と、現実の声が一致した。煌蘭は再び精霊に向き直ると、冷ややかな目で精霊を見下ろし、威圧的に腕組みをした。

 精霊が呆気にとられたように煌蘭のことを見ている。


「お前……もしかして俺の声が聞こえるのか?」

「うるさいほどにわめいているのは誰だ」

「そうじゃなくて……『童顔、貧乳、チビ、ガキ』」

「……戒……」

「わ、悪かった。すまない。だから戒締は止めてくれ」


 怒気を顕わにして刀印を構える煌蘭を慌てて止め、精霊は真剣な目で、煌蘭を見上げてきた。今まで怒りと諦めで縁取られていた金緑の目が一層強く輝く。


「俺をここから出してくれ」


 ここ数日間ずっと聞き続けていた言葉が実際に目の前で再現される。

 煌蘭は目を眇めて精霊を見るが、もう頭の中に声は流れてこなかった。

 天窓の外は、もう暗い。予想通り、部屋の中には封珠の光が浮き上がっていた。ふいにその事が感じられて、それに気付かないほど目の前の精霊に思いの外集中していたのだなと思う。

 長い間にらみ合ったあと、煌蘭はただ一言、断ると吐き捨てるように告げ、精霊の呼び止める言葉も聞かずに精霊に背を向けた。

 これ以上ここにいたとしても、精霊の封印を解くつもりはさらさらないからだ。

 煌蘭は扉に更に強い力のこもった封珠を使い、鍵を掛け、封印を施した。


『封士、封士、俺の声聞こえているんだろう?』


 諦めきれないというように再び流れてきた声に、煌蘭は一つ舌打ちをすると、何事もなかったかのように、扉の前で待っていた貞と向き合った。


「修理は完了しました」


 実際は修理ではなく、交換で、より強い封力での封印を施したのだが、貞にとってはどちらでも同じ事だろう。


「これで、あと数十年は保つと思いますが、念のため、これからも今まで通り、十年に一度封士を呼んで術をかけ直してください」


 どうせ、きちんとかけ直せる者もいまい。まして、術を解ける奴もいないだろう。

 自分の術が永久に続く自信がある。


「はい。ありがとうございます」


 貞は丁寧に深々と頭を下げた。


『こら、無視するなチビ封士』


 僅かに煌蘭の片眉が跳ねるが幸い貞は気が付かなかったようだ。


「……ところで、ものは相談なのですが、この中にいる精霊、今なら封珠内に封印可能ですが、いかがしますか?」

「あ……それはお断りいたします」


 戒縛しているほどだから、封縛対象はこの精霊だと思ったのだが、違ったのか。煌蘭は少しだけ首を傾げる。


「何故です?」

「あの精霊の強い力を用いてこの神殿に結界を張っているのです。かつては封縛を依頼したこともあるようですが、今は結構です」

「……そうですか」


 残念だ。封珠に封印したら滅玉してやろうと思ったのに。と思ったことはおくびにも出さず、煌蘭はただ軽く微笑んだ。


『封士! 聞こえているんだろう? 返事をしろ! それとも、聞こえるだけで返事もできないへぼ封士なのか?』

『うるさいぞ! 精霊』


 何度も何度も呼ぶ精霊の声に答えるように怒鳴り返す。すると、僅かに嬉しそうな精霊の声が返ってきた。


『返事できるんじゃないか。おい、封士。お前の名は? 俺は嵐瑛(らんえい)という。風の精霊だ』

『名乗る謂われはない』

『俺は名乗った』

『勝手に名乗ったのだろうが。私は訊いていない』


 グッと押し黙ってしまった精霊に勝った、と思っていると、貞の心配そうな声が降ってきた。どうやら、頭の中での会話に集中しすぎて、すっかり話しかけられていたのに気付かなかったようだ。


「大丈夫ですか? 封士様」

「はい。大丈夫です。それよりも、封縛のご依頼の方なのですが、あの精霊でないのなら、一体何を……」


 ズン、と前触れもなく一気に空気が重くなる。力を使役する者として封力が高いので、昔から、この手の重圧は平気だが、神の加護を受けているはずの貞は床に両手をついてしまっている。息もままならぬと言うように短く浅い呼吸を繰り返して苦しそうだ。

 煌蘭は僅かに眉をひそめると、封珠を取り出して貞に渡す。


「これには私の封力が込められています。少しは楽になるはずです」

「あ、ありがとうございます」


 煌蘭から封珠を受け取り、重圧が緩和された貞は、まだ少し体が重いのか、ふらついている。煌蘭は貞が立つのに手を貸しながら、辺りを見回した。

 すぐ側に何かがいる気配はない。この神殿全体に重圧がかかっているようだ。これでは他の神官たちは押し潰されているかもしれない。


「これは何ですか?」


 自然と煌蘭の声も低く硬いものとなる。久しくこんな重圧を感じたことはない。


「お、鬼が来るのです」


 支える手から震えが伝わってくる。


「鬼? 神殿に一体何のために?」

「わかりません……」


 眉をひそめて貞は首を振る。少なくとも、その瞳に嘘はなさそうだった。


『封士、一体何が起きている? この重圧は何だ』

『お前には関係のない話だ』


 結界の中にも影響が出ているようだ。嵐瑛が煌蘭に呼びかけてきたが、一言で斬り捨て、その後の煩い声は無視する。


「一匹ですか?」

「いえ。複数の鬼が集まっているようです」


 そうだろう。もし、一匹でこの重圧なら確実に、今まで見たことのない程の大物だ。しかし、こんなに酷く被害が出ているのに、何故こうなるまで放って置いたのだろう。


「それが今回の封縛の対象ですか」

「申し訳ございません……」


 俯いて小さくなる貞に煌蘭は少しだけ怒りのこもった一瞥をくれると、外を睨み付けた。


「謝って頂かなくて結構。鬼たちは中まで入ってきますか?」

「いえ、神殿の中までは入ってこられないのですが……」


 それが嵐瑛を留めておきたい理由だろう。嵐瑛がいるから、この結界は保たれ、鬼の侵入を阻んでいる。


「来るたびに数が減り、大きく強くなっていくのです」


 いつ結界が破られるか気が気でないという風だ。

 なるほど、共食いでもして力を強大なものにしているのか。おそらく、鬼が来た当初は、数はたくさんいても、ここまでの重圧ではなかったはずだ。でなかったら、もっと早くに呼ばれていただろう。

 フッと、訪れた時と同様唐突に重圧がなくなる。

 僅かに腰を曲げて重圧に耐えていた貞はしゃんと腰を伸ばした。


「毎日来るのですか?」

「いいえ。一週間に一度ほどです」

「来る日や時間は決まっていますか?」

「いいえ……夜と言うこと以外、特には……」


 煌蘭は考え込むように右人差し指の背を顎に当てる。


「わかりました。時間をください。次の襲来には伏縛(ふくばく)もしくは伏封(ふくふう)します」

「伏縛? 伏封……とは? 封縛ではないのでしょうか?」


 聞き慣れない言葉に貞は首を傾げる。

 煌蘭は細かいことは抜きにして手短に教えた。


「一般では封縛を封珠に封じることのように使っていますが、実は違います。封縛とは本当は解・操・縛・玉・滅・封術の総称です。だから普通、皆さんが思っている封縛は、素縛(そばく)といって、自然界にある自然の要素や精霊、魔霊の力を相手の許可を得て封じます。素縛が封じるのは実体のない力のみと言うことです。伏縛というのは、霊力や瘴気(しょうき)を強制的に封じる事を言います。鬼などは瘴気のかたまりなので、伏縛することでその力の全てを奪い、動けなくします。伏縛された力は、解放すれば暴走するおそれがあるので、高位の封士でも使役することはできません。ですから、伏縛したあとは滅玉(めつぎょく)してしまうしかないので、鬼の力が再びここに戻ってくることはありません。伏封は精霊や霊獣、魔霊や鬼の実体を強制的に封じます」


 滅玉は封珠に封じた力ごと封珠を壊してしまう術で、封珠の中に鬼など実体を持つものが封じられていれば、完全にこの世から消滅させることができる。


「そうですか……では、お願いいたします」


 一気に言われて、貞はキョトンとしていたが、自身満々に煌蘭が言うので、ほっとした顔で、深々と煌蘭に頭を下げた。











      *         *         *









 鬼たちの重圧で地面に伏していた神官たちは、震える体をごまかしながら立ち上がった。


「どういうことだ? 封士は何をしている」


 年嵩の顔に深い皺を刻んだ神官が忌々しげに若い神官に助け起こされている。

 あるものは頭を軽く振り、あるものは軋む身体を押さえるようにフラリと立ち上がる。


「失敗したのではありませんか? だから封印の効力が薄れて今まで以上に鬼の気配が濃くなったのでは……」


 当たらずとも遠からずと言うところだ。煌蘭が完璧に精霊の力を封珠で封じてしまったため、今まで外の結界に回されていた余剰分の霊力がほぼなくなり、結界の力が弱まったのである。

 だが、その事実と、それが何を意味するのか知らない神官達はどの顔も苛立ちと不安に彩られていた。


「だから、あんな小娘に任せるものではないと言ったのに……」


 椅子に座り直した神官は、力いっぱいに机を叩く。口角泡を飛ばして怒鳴りつけた。


「新しい封士を呼べ! 次に鬼が来たら、もうこの神殿は持たん!」

「ですが、あの封士のせいとは限らないのではありませんか? 単に鬼の力が強くなっただけかもしれません。封士の力を知らず、何の相談もせず、他の封士を呼ぶなどとは早計なのではないでしょうか」


 反論した若い神官を突き飛ばした年嵩の神官は、射殺すような目で若い神官を見下ろして、踵を帰して部屋から出て行った。












   *            *             *












 ざわりと空気が揺れる。生臭い匂いが空気に混じって漂う。けれど、この場にその匂いに眉をひそめる者はいない。

 この一帯は草木一本生えていない。死滅した空間がそこにあった。地面は茶色を越えてどす黒く染まっている。まかり間違ってこの場に動物が彷徨い込めば、たちどころに死滅してしまうほどの激しい瘴気が立ちこめていた。

 黒い影が、闇よりも尚濃く蠢く。異形の鬼だ。はじめは一匹では何もできぬような小鬼だったが、神殿から漏れ出る精霊の力を喰い、力を付けた。


《もっと……もっと力を……》


 声にはならぬ、暗い音が闇に響く。真っ赤な目が不気味に光り、闇夜に浮き上がった。


「あそこに、強い、強い力を持った精霊がいるわ。それを喰って一番強くなった鬼と結婚してあげる」


 まがまがしい鬼たちの気配の中心に、若い女の声が響く。何度も何度も鬼に言い聞かせた言葉だ。

 女は鬼たちが放つ瘴気の重圧をものともせず、ゆったりと腐りかけた倒木の上に座していた。

 真っ赤な唇が艶然と弧を描く。僅か十匹ほどになった巨大な鬼は色めき立ってダンダンと足を慣らした。

 まるでそこだけ地震が襲ったかのように揺れるが、女はただ蠱惑的な笑みを浮かべて笑うだけだ。

 しなやかにその細い指を鬼達へと差し伸べる。


「もっともっと強くなるのよ。じゃないと、あの結界は破れないわ」


 その言葉が合図だったかのように鬼は近くにいた同胞に飛びつく。

 食いちぎられて指が跳んでも、腕が跳んでも、女は顔色一つ変えない。血飛沫が体全体にかかってもただ面白そうに見ているだけだ。

 女は顔に掛かった血をそっと白い指で掬い、ぺろりと舐めると、陶然と目を細めて身体を震わせた。


「さあ、もっともっと殺し合いなさい! 私の可愛い異形の者たちよ!」


 鬼の叫ぶ断末魔の悲鳴と、女の高笑いが森中に響き渡った。




この話は既に作者のHPにて完結しています。続きを読みたいと思ってくださった方は、ぜひどうぞ。

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