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第九話 決着


 流血注意


 女のとがった長い爪と、水の刃が交叉する。女は驚愕に目を見開き、額には汗を掻いている。


「剣の経験はあるのかしら?」

「それなりにっ!」


 女を突き飛ばし、自分も後ろに飛んで間合いを取る。


「あんた……人間か?」

「……っ だったら何よ」


 女の顔が真っ赤に染まり、先ほどよりも速く向かってきた。

 だが、避けられないほどではない。女の動きが手を取るように判る。はっきり言ってしまえば、この女は煌蘭の敵ではなかった。


莠冰(ゆうひ)!」


 貞の悲痛な叫びが聞こえてきた。咄嗟にそちらを見ると、その隙をついて女が襲いかかってくる。それを受け流して貞と景斗を怒鳴りつけた。


「何をしている! 中に入っていろ!」


 女をはじき飛ばし、刀を振り上げる。殺すつもりはないが、一気に片を付けるつもりだった。


「私の娘です! 殺さないでください!」


 貞の言葉に一瞬煌蘭は動きを止めた。脇腹に冷たさが走り、一瞬後に熱が走る。


「あら、残念。もう少しで、あたしを殺せたのにね。油断大敵よ」


 爪についた血をペロリとなめながら女は煌蘭が倒れ込むのを楽しそうに眺めていた。


「封士の血は格別ね。力が湧いて来るみたい」

「戒、縛」


 血に酔いしれていた女はあっさりと鎖にからめ取られ、地面に倒れ込む。

 ドクドクと血が流れ、ふらつく体を何とか立ち上がらせた煌蘭は、肩で息をつきながら女を見下ろした。

 瞬間、ぞくりと背筋に悪寒が走る。ぱっと振り返ると、強い力に首を掴まれ持ち上げられた。


 鬼だ。


 この場には瘴気が満ちているし、黒い体は完全に闇と同化していて気付かなかった。

 ちらりと嵐瑛の方を見ると、嵐瑛は三匹の鬼を倒して鬼を見下ろしているところだった。


 まだ一匹いたのか。


 自分の詰めの甘さを笑いたくなる。

 煌蘭は鬼に視線を戻し、薄く笑って見せた。


「お前に……いいものをやろう……力が、増すぞ?」


 首を変な風に掴まれ、ヒューヒューとしゃべるごとに空気が抜けて嫌な音が鳴る。

 小さな、小さな封珠を鬼の口の中に放り込んだ。鬼が飲み込んだのを見ると、脱力する。腕にもう力が入らない。だが、これで勝負は決した。


『らん……』


 無意識に呼んでいた。助けを求めるつもりなどなかった。助けなど、必要ないと思っていたのに。


「キャハハハ!」


 女は煌蘭が死んだと思ったのか、悲鳴にも似た高笑いをあげる。


「煌蘭!」


 遠くから聞こえてくる嵐瑛の声が、やけに大きく、耳元で叫ばれているような錯覚を覚えた。


 何を泣きそうな声を出しているんだ。大丈夫、最後に笑うのは私だ。


「爆……玉……」


 滅術の中で禁術にするか否かで論議がされている術を、煌蘭は何のためらいもなく発動させた。


 闇の世界が、一転して無音の、光の世界へ変わる。










 腕の中でぐったりしている煌蘭の名を、嵐瑛は悲痛な声で何度も呼んだ。手はしっかりと煌蘭の傷口を押さえ、血がこれ以上流れていかないようにと願う。もう、この腕の中で誰かが死ぬのなど見たくない。


「煌蘭! 煌蘭! 煌蘭、煌蘭!」


 狂ったように嵐瑛はその名を呼び続けた。


『嵐瑛……うるさい……』


 頭の中に響く声に安堵する。まだ、生きている。


『大丈夫か?』


 できるだけ頭の中でも大音声にならないようにそっと言葉を送る。


『大丈夫に見えるならその目をもらうぞ?』


 憎まれ口をたたけるのなら、とりあえず大丈夫だ。嵐瑛はほっと胸をなで下ろした。


『口では話せないか?』

『無理だ。何か言うときっと血を見る』

『もう血だらけだ』


 急に、泣きたくなった。煌蘭は、生きている。取り返しの付かない遠いところへはまだ行かない。


『それもそうか』


 言葉は頭の中で響いているのに、煌蘭の表情はぴくりともしない。蒼白で、死体だと言われても疑うことのない程グッタリしていた。

 隣にやってきた景斗が、黙って煌蘭の顔を見つめている嵐瑛を見て顔面を蒼白にさせた。


「精霊、煌蘭は?」

「大丈夫だ。生きている。目は開いてないが、意識もちゃんとある」


 景斗をちらとも見ずに嵐瑛が言うと、うっすらと光が漏れるように金茶がのぞいた。それを見て、ひとまず景斗も胸をなで下ろしたようだ。


『私の荷物の中に、クリーム色の封珠があるんだ。持ってきて欲しい』

「おい、封士。煌蘭の荷物を今すぐ持ってこい」

「は?」

「いいから行け!」


 一喝するとわずかにおびえた目をして、景斗は走っていった。


『今、取りに行かせたからな』


 返事がない。急に体中から血の気が引いた。じわじわと押し寄せる絶望に声を荒げる。


『煌? 煌蘭!』

『そう、泣きそうな声を出すな。風の王ともあろう者が』

『返事をしないお前が悪い』

『そうは言うが、痛みで意識が飛びそうだ』


 嵐瑛は手の下にある傷の具合を見た。腹が深く斬られていて、血が流れ続けている。このままでは出血多量で失血死してしまう。嵐瑛は何もできない無力さに舌打ちをした。

 他の傷を検めてみると、見える範囲では、古傷は無数にあるが、腹の傷意外傷らしい傷はなかった。爆発の中心にいて、なぜだろうか、と嵐瑛はふと思った。


『ペンダントが守ってくれたんだ。爆風から。じゃなかったら死んでいた』


 まるで、嵐瑛の疑問に答えるように煌蘭が言う。


『ペンダント?』

『出していいよ』


 首に掛かる紐を引いてみると、その先には小さな封珠がついていた。


『これは……』

『風の王の……嵐瑛の祝福を受けた封珠』


 若葉色の風が、封珠の中で渦巻いている。

 この風が爆風にあおられる直前鬼と煌蘭の間に壁を作り、直接爆風自体は煌蘭に届かなかった。


『御利益あり』


 うっすらと煌蘭が目を開け、微かに笑む。


『何言ってんだ』


 まだ助かると完全に決まった訳じゃないのに、安堵で泣きたくなった。


「精霊! 持ってきたぞ!」


 景斗が息を切らして帰ってきた。


「中からクリーム色の封珠を出せ」

「……これか?」

『煌蘭、どうすればいい?』

『私の傷の上にかざして』


 嵐瑛は景斗から封珠を、半ば奪い取るように受け取ると、それを言われたとおり煌蘭の傷の上にかざした。


「癒しの……精霊よ……我に……汝の……祝、福を……癒祝、封解」


 荒く息をつきながら煌蘭は一言一言しっかりと言うと、クリーム色の封珠がその詞に応えて淡く光る。そして、徐々に煌蘭の腹の傷を消していった。


 そっと、煌蘭が目を開く。金茶の瞳が光をともす。嵐瑛と景斗の姿を認めると、花が綻ぶように笑った。


「何……泣きそうな顔、してるんだ……二人とも……。言っただろう? 死なないって」


 ああ、きっと、この透き通るような笑顔が、煌蘭の本来の姿なんだ。


 嵐瑛は、思わず煌蘭を掻き抱いた。すぐそばで景斗がわめいているがそんなものは無視した。


 どこまでも清廉で、暖かくて、優しくて、厳しくて、強い人。心を寄せずに入られない存在。芯は彼の人にとてもよく似ている。


 嵐瑛はそっと意識のない煌蘭に心の中でささやきかけた。


『我は誓う。汝、煌蘭に永遠の忠誠を。この先、何があっても、命を懸けて守ることを』


 うっすらと煌蘭が微笑んだような気がした。








    *              *              *









 目を覚ますと、大きな天窓のある高い天井から、心地よい陽光が降り注いでいた。

 一体自分はどうしたんだったか、と考えを巡らせる。


「煌蘭、起きたか?」


 優しく響く声が、なぜか嬉しい。夢現(ゆめうつつ)に、ずっと呼ばれていたような気がする。目の前に現れた金緑の瞳を見て、まだいてくれたのだと、心の底で安堵する。


「嵐……瑛……」


 声がかすれた。のどがからからだ。


「まだ起きるな。三日も寝ていたんだ。すぐには無理だ」


 嵐瑛が差し出した水を、背中を支えられながら飲む。


「三日も?」


 そんなに眠っていたという感覚はない。そう思っていると、三日前の出来事がフラッシュバックした。


「あれから……どうなったんだ? 女は……?」


 嵐瑛に壊れ物のように寝台に寝かされる。


「まだ庭に戒縛されたままだ。もう一人の封士じゃ役に立たなかった。貞神官長がずっとつきっきりで傍にいる。口汚くののしられても、ずっと……」


 嵐瑛は何かに耐えるように強く目をつむった。その頬に手を伸ばそうとして手が上がらないことに気付く。


「景斗達に言ってくれ……庭に、ばらまいた私の封珠を、六つでいいから、集めて、こいって……」

「判った。お前はもう少し寝てろ」


 頭をなでる優しい手に誘われるように煌蘭は再び眠りに落ちた。

 次に目を覚ました時、嵐瑛はここにいるのだろうか。








 煌蘭が次に目を覚ましたとき、青かった空は、オレンジ色に変わっていた。


「嵐瑛?」

「何だ?」


 まるで迷子のような声で呼ばれて嵐瑛はどきりとする。煌蘭の顔を覗き込むと、本人すら気付いていないくらい僅かにホッとしたのが見えた。


「ずっとここにいたのか?」

「まあ、大体は」


 張り付いていたとは言えない。


「行かなくていいのか?」


 純粋に不思議そうな煌蘭の顔を見て嵐瑛も不思議に思う。


「どこに?」

「どこへなりと」


 言われて、気付く。


 そう言えば、全て終わったら自由にするという約束だった。煌蘭は、もう束縛するものもないのに、どうしてまだここにいるのかと問うているのだ。


「行けばいい……お前はもう、自由だ」


 煌蘭はそっと目を伏せた。

 なんだか、さっさと消えろと言われているようで嵐瑛は若干ムッとする。


「……自由なら、俺がどこに行ってもいいって言うんなら、俺の意志でここにいても問題ないだろ?」


 煌蘭は驚いたような目で嵐瑛を見た。煌蘭が目覚めて初めてしっかりと金茶と金緑が交わる。


「違いない」


 ふわりと、穏やかに、煌蘭は笑った。この笑顔が見たかった。嵐瑛の笑顔も自然と柔らかくなる。


「オホン」


 わざとらしい咳払いに、二人はそちらを見る。


「景斗、いたのか」


 景斗はむっとしたように眉をひそめると、ツカツカと二人の元へと近づいた。


「二人の世界に入っているところ悪いが、お前に言われて封珠全部集めてきた」

「六つでいいと言った」


 素っ気なく煌蘭が返すと、景斗は驚愕したように目を見開き、封珠の入った袋を抱きしめた。


「お前の封珠を無造作にうち捨てて置くくらいなら、おれが他の封士に売りさばく」

「そんなことしてみろ。売られた封士は力を制御できずに自滅。お前は慰謝料をむしり取られて破産だ」

「ふん。長老達に売るって手もあるんだからな」

「……返せ。お前にやる金はない」


 ジャラリと二、三十個ほど封珠の入った袋を枕元に置く。煌蘭はうつ伏せになって肘で体を支えると、中から十二個封珠を出した。


「嵐瑛、これで、お前が封じられていた結界より少し大きいものと、少し小さいものになるように六つずつ並べてくれ」

「判った」

「景斗、神官の中で、ここ最近体調不良が続くものや、性格が変わってしまったものを、あの日、戒縛した神官を含めてここに集めてくれ」


 判った、と景斗が部下を連れて部屋を出て行く。


「終わったぞ」


 嵐瑛が戻ってきたのを認めると、煌蘭は両手を伸ばした。


「嵐瑛、私をあの女のところへ連れていってくれ」





もう少し続きます。

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