生きること
「うわあああああああっ!!」
私は飛び起きた。
息は乱れて体中、汗でベタベタだった。
時刻は2時25分。まだ真夜中。
私はすぐに部屋の電気をつけ、パジャマをめくってお腹を確認した。
普通だった。日の当たらない生活を続ける人の、色白具細い腹だった。膨らみは微塵もない。中の違和感すら無い。
不気味な体験の全てを否定できた私は、ようやく安心することができた。
「……お姉ちゃんうるさい」
私の横で寝ていた弟は瞼を擦りながら体を起こした。
その呑気な姿を見て、私は早速怒りを感じ始めた。
「うるさいじゃないよ。お前が蝿の死体なんて食わすから、私変な夢見ちゃったじゃん。全部お前のせいだよ」
「夢? 夢って、どんな」
まだ目を擦り続ける弟。
私は洗いざらい打ち明けてやろうかと思ったけど、少しでも内容を思い浮かべただけで生々しくお腹が変な感じになってしまうから、仕方なく取りやめた。
「……ふん、どうだっていいでしょ」
私は弟との会話を打ち切り、背を向けて横になった。
「ふーん、そう」
弟は得意の一言返事をして、眠りについた。
私も手早く眠ろうとしたが、頭はすっかり冴えてしまって寝付けない。
さらに私の耳が突然、あの羽音を聞き取った。
私は素早く身を起こして、血眼になって辺りを見回した。
すると、蛍光灯の下を行ったり来たりする黒い粒が見えた。
蝿だった。一匹の蝿。
天井近くを飛んでいるかと思えば、いきなり私に近づいて、汚らしい羽音を見せつける。
見た瞬間はゾクっとしたが、すぐに慣れた。
いや、慣れるどころか、その羽音に心地よさすら感じ始めた。
びゅんびゅんと室内を縦横無尽に飛び回る蝿の姿に、私は自然と弟の姿を重ねていた。
だが湧き上がるのは怒りではなく、喜び。
生き生きと生命を謳歌することへの喜びだった。
生きるってこういうことなのかもしれないと、自分でもわからないけど、そんな感じがしてならなかった。
近づいたり遠ざかったり、忙しなく動き回る羽音を耳に残しながら、私はゆったり眠りについた。
私は今日も扇風機を独り占めして、アイスクリームを食べながらゲームに勤しんでいた。
「なあ姉ちゃん、外で遊ぼうぜ」
そして弟も変わらず外遊びの誘い文句を仕掛けてくる。
私は条件反射的にひび割れのような怒りを感じたが、一瞬で冷めた。
直後私は、自分ですら信じられないような感情に包まれていた。
それは、喜びであった。
外の世界で自由に駆け回ることへの楽しみであった。
「……うん、遊ぼう」
私は考える間もなく、うなづいていた。
弟は私の心変わりに面食らって一瞬固まったが、すぐに無垢な笑顔を満面に浮かべた。
「よっしゃあ、じゃあサッカーしようぜ。姉ちゃんが加わればちょうど5対5でできる」
「それサッカーじゃなくてフットサルじゃん」
「いいじゃん、別にどっちでも」
「いや―、私、サッカーめちゃくちゃ苦手なんだけど」
「大丈夫。適当に突っ立ってるだけでも十分相手の邪魔になるから」
「ちょっと何それ。私のこと馬鹿にしてるの?」
私はゲームと扇風機の電源を切って、夏の外へと駆け出して行った。
今私は生きてるんだって、初めて思ったかもしれない。