死の味
「ははっ。やっぱり引っかかったんだ」
外から汗だくで帰ってきた弟に、昼間の事件を打ち明けると、さぞ愉快に笑った。
もちろん私の怒りは一気に沸点を越した。
「どういう事よっ!! あんた、何仕掛けたって言うのよっ!!」
私は近くに落ちてた孫の手を拾ってはちゃぶ台にたたきつけ、弟を威嚇する。
でも弟はひるむことなく話を続ける。
「蝿の死体を扇風機の羽にはっつけておいたんだ。姉ちゃんが飲み込んだのは、きっとそれだよ」
「はっ、蝿の死体っ……!?」
勢いあふれていた私の怒りは一瞬にして萎えた。
蝿の死体を飲み込んだ自分がとても怖くなった。
どうしよう、私、死んだりしないかな。
力一杯に握ってた孫の手を離した。
「ど、どうしてそんなことするのよっ!! もしかして、私への嫌がらせ? 外に行こうとしないから?」
「まあ、それもそうだけど、一番は姉ちゃんに死の味を知ってもらうためかな」
取り乱す私に対して、弟は沈着に答える。
死の味。
小1にはなんとも不相応なおませ言葉だが、私の弟は前から「死の味」発言を繰り返している。
それは、激昂した私が思いのままに弟を殴りつけた後によく言った。
「姉ちゃんは死の味を知らないから、そうやって僕を乱暴に扱うんだ。ずっと家にこもってゲームばっかしてる姉ちゃんに、死の味なんてわかるもんか!!」
じゃあその「死の味」って何なんだと聞いたら、弟はさらに不思議な話をする。
「僕はよく、水に溺れる夢を見るんだ。水の中にどんどん体が沈んでいくから、手足をバタバタ動かして、『助けて』って大声で叫ぶんだけど、誰も来なくて、代わりに水がたくさん口の中に入って息ができなくなって……、ていう夢。死にかけの夢。だから僕は死の味を知ってるんだ」
何それ。じゃあ知ってんのは「死の味」じゃなくて「死にかけの味」じゃん。
私がそう言い返すと、また口喧嘩が始まってしまう。
弟の「死の味」発言には一応通せる理屈があった。 実は弟が生まれる前、母は女の子を妊娠していたのだが、流産したことがある。
私の妹となるはずの子であり、弟の第2の姉となるはずの子。
その子の後に生まれたのが弟だった。
だから弟の言う「死の味」とは、その子の魂の残り火的な何かを吸収したせいじゃないかと、お母さんはしみじみ語っていた。
「溺れかける夢」も、水子の事かもしれないと。
話の筋としてはおかしくないけど、信じるかどうかは別問題。
そもそも弟の見る「溺れかける夢」だって、本当に見たかどうかなんて本人しかわからない。
それに弟はファンタジー好きだから、そういうのに感化されて、不思議な事を言っては年上の姉を言いくるめようとしているのかもしれない。
ともかく、私は弟の「死の味」なんて信用してなかった。
だから今回の件も、弟の意味の分からない行動、しかも私に実害をもたらしまでもしたから、私の怒りは日ごろの数十倍くらい膨れ上がっていた。
「出た。お得意の『死の味』。ふざけんなよっ!! 馬鹿じゃねえの? 『死の味』も糞もあるもんかよっ!! デタラメぬかすなクソガキがっ!!」
そして一度手放した孫の手を再度握り直し、私は弟を殴り始めた。