9話 南方の事情
そうして、マナヤは話した。テオの「最後の記憶」を。
炎に包まれたセメイト村の様子を。
何もできない自分を嘆きながらも、テオが必死にスコットとサマーを救おうと踏ん張ったことを。
それでも両親がテオの腕の中で息を引き取ったことを。
召喚師になってしまったことを謝りたかった、とまで思っていたことを。
……シャラが、テオを庇って命を落としたことを。
「……テオ」
「……」
テオの父スコットは、両掌を組んで祈るように俯く。テオの母であるサマーも悲痛な顔で涙を浮かべていた。
「召喚師になったからなど、そんなことは……そんなことは、どうでも良かったんだ。お前が、元気に生きてくれるなら」
天を仰ぎ、スコットが漏らす。誰に向けた言葉であるかは、訊くまでもない。
「……ありがとう、マナヤさん。貴方は、そんな未来を変えてくれたのね。テオの願いを、かなえてくれたのね」
サマーが涙声になりながら、感謝の言葉を告げてくる。
とはいえ、素直に受け入れる気分にもなれない。
「でも、俺にテオの〝代わり〟はできねえよ。少なくとも、スコットさんやサマーさんにとってのは」
自分はあくまで『マナヤ』なのだから。本当の『テオ』を冒涜するようなことは、できない。
だが、テオの両親は共にかぶりを振った。
「それで構わんよ。君が恩人であることには変わりないんだ」
「自分の家だと思って、ゆっくりしていいのよ。……マナヤさんが良ければ、だけど」
正直なところ、そう言って貰えるのはありがたかった。いちいちテオの記憶から引き出さなければ常識がわからない現状、生活基盤がしっかりとできるというのは大きい。
(……この二人が、本当に納得してるかは別として)
テオの両親の表情がまだ陰っていることにも、気づいてはいる。
「い、いかん、私もそろそろ戻らねば」
と、そこで突然スコットが慌てて立ち上がった。マナヤはそれを見上げながら訊ねる。
「戻る?」
「あ、ああ。私も建築士だからな。崩れている防壁の修復作業に加わっていたんだ。今はテオ――マナヤくんの様子見がてら、昼休憩を取っていただけだったからね」
「建築士……」
職業と『クラス』は別なのか、と一瞬思ったマナヤだったが、すぐにテオの記憶から思い出す。
(『建築士』も『クラス』の一つなんだっけか。確か、岩を操れるっていう)
岩を操り、短時間で建物を建てたり修復したりすることができる。この村の建物や家屋も、そうやって建てられたものだ。
生産系の職業かと思いきや、戦闘でも立派に活躍できる。最前線で岩の壁を張り、敵の攻撃や侵攻を食い止める。いわば”盾役”のような役割を担っているのだ。地面から鋭い岩を素早く突き出して攻撃、なんてこともできるらしい。
「マナヤさん、貴方はどうするの?」
足早に去っていったスコットを見送りながら、サマーがマナヤに問いかけてくる。
「そ、そうだった。とりあえず、召喚師の指導の準備だな。集会場をおさえて、他の召喚師たちにも段取りをつけて……」
とにかく目の前のことを片付けることが先決だ。指導のための資料も作らなければならない。幸い、この世界では住民の識字能力もばっちりだ。アシュリーが言っていた学び舎とやらがあるおかげだろう。
「一人で大丈夫なの?」
「テオの記憶を頼りにすりゃ、なんとかなる」
本当は、サマーの陰った表情から逃げたかっただけだ。
だが、あまり時間が無いのも確か。食べ終わった食器をそさくさと台所へ持っていき、マナヤはすぐ身支度を始めた。
やることは山積みだ。
(そういや、結局『真南からスタンピードが来るわけがない』って認識されてたのは、なんでだったんだ?)
肝心なその疑問を思い出した時には、テオの家を出た後。
道中で、村のだれかにでも訊ねよう。気を取り直し、マナヤは歩を進めた。
◆◆◆
夕刻。
マナヤは、村の中央へと向かっていた。
(とりあえず、集会場はなんとかなったな。掃除が大変だったが)
あとは、指導のための資料を書くだけだ。
村の中央にある孤児院へ行けば、紙が手に入る。学び舎を兼ねている孤児院には、紙が大量に保管されているらしい。教材作成用だ。
(しかしマジで何やってんだろうな俺。テンパって無駄に騎士隊を警戒させちまった)
内心頭を抱えるマナヤ。
冷静になって考えてみれば、自分がこの村を離れてもまったく問題なかったはずだ。なにせ、スタンピード鎮圧に来たあの騎士隊がこの村に留まってくれている。仮に第二波が来たとしても、彼らがそれに対処してくれただろう。
なのに自分は話をややこしくし、あまつさえ召喚師たちへの指導など。
(まあ、しかたねえ。成り行きでこうなっちまったけど、やるしかねーな)
どのみち、召喚師たちを鍛えようとは最初から思っていたのだ。自分が今後この世界で立ちまわるためにも、自分なりの仕事はあった方がいい。
気を取り直し、きょろきょろと周囲を見回す。
(……それにしても)
すべてが石造りで、のきなみドーム状の屋根をしている建築物。歩けば砂ぼこりが立ち、足元を汚す。日本ではお目にかかれない光景だ。
(なのにみんな、服は小綺麗なんだよな。なんつうか、そういうトコだけ中途半端に元の世界に近いっつーか……)
皆が着ている服に目が行く。
これだけ砂ぼこりが立つ村だというのに、衣服にはほとんど汚れが残っていない。さらによく見れば、女性の服もところどころフリルや装飾のようなものが付けられていて洒落ている。思い出してみれば、たしかシャラの服も凝ったつくりになっていた。
それに、と今度は村そのものを見回す。
通りには、表札や看板に近い物もあちこちにある。が、そこに書かれているのは当然この世界の文字。
日本語に囲まれていた生活から、突然異世界の言語に囲まれる。テオの記憶からこの世界の文字も読めるとはいえ、何か不思議な違和感に囚われた。
(この世界の文字だけが、妙に浮いてるように見えちまうんだよな)
いっそ文字も日本語だったら、まだ違和感は少なかったのだろうか。
思いを馳せながら歩き出す。孤児院傍にある、大量の馬が立ち並んでいる舎。そこにいる馬たちを横目に通り過ぎようとして、ぎょっと二度見した。
「って、ゴツイなこいつら!」
おそらく騎士達が乗ってきた戦馬だろう。
マナヤが地球で知っている馬よりも体格ががっしりしていて、異様に筋肉質だ。
「――あれ? マナヤじゃん。なに、馬がそんな珍しいの?」
「アシュリー? ラフトル……ああ、こっちの世界での名前か」
そこへ、剣を腰に差したアシュリーが歩み寄ってきた。警備の当番はもう終わったのだろうか。
この世界の言語で、馬という単語は『ラフトル』に相当するようだ。『マグノ』という、牛に相当する単語もある。
この村でも牛は飼われているが、食肉用というより乳牛であるらしい。主な食肉は、アナグマの肉だ。
「お前、なんでこっちに? ってああ、孤児院育ちっつってたな」
「ええ、今もときどき様子を見に来たりしてるのよ。院長さんにはお世話になったしね」
と、アシュリーが孤児院の周りにある畑や牧場を見回しながら、感慨深げに語った。
この村では孤児院や畑、牧場などが村の中心に設置され、その周囲に居住区、一番外側に防壁があるという構造になっている。村全体は防壁に囲われた大きな正十二角形状だ。
「で、あんたはどうしたの?」
「ああ。明日から召喚師に指導を始めるからな、教材を作るのに紙が要る」
どんな教材を書くか。どんな指導をするか。
もう、マナヤの頭には構想ができている。
「――ん? アシュリーか?」
「あ、師匠! ちょうどよかった」
その時、孤児院の扉ががちゃりと開いて人が出てきた。
長い黒髪をたなびかせた、ややヒスパニック系な印象を与える美女だ。
「アシュリーの師匠か?」
「ええ、紹介するわ。あたしの剣の師匠、女剣士のヴィダさんよ」
「ヴィダだ。……そうか、きみがアシュリーが言っていた〝別世界から転生してきた召喚師〟というわけか」
自信に満ちた勇猛そうな笑顔で、ヴィダがマナヤの方へ歩み寄り握手を求めてきた。
彼女――ヴィダには、左脚が無かった。左腕に持った松葉杖のようなものを突きながら歩いている。
「よろしく。……その脚、は?」
「ああ、二年前にモンスターにやられてしまってな」
なんでもないように、笑顔で左脚にかろうじて残った太ももを軽く叩くヴィダ。
そういえばテオの母であるサマーも、腕を一本失っていた。たとえ治癒魔法でも、四肢の欠損はどうしようもない。
モンスターを操る召喚師であるマナヤとしては、少々複雑だ。なのに、ヴィダは屈託のない笑みを浮かべてこちらに応対している。
「ヴィダ……さんは、召喚師に思うところは無いんスか?」
「無い、とは言えん。正直に言えばな」
思ったよりもはっきりと言われ、一瞬面食らうマナヤ。
が、ヴィダの表情には恨みは篭っていない。むしろ自嘲するような笑みが浮かんでいた。
「だが、この結果は私が未熟だったというだけのことだし、召喚師の操るモンスターが別物だということもわかっている。お前たち召喚師を責めるのはお門違いだろうよ」
「ヴィダさんが未熟なんて有り得ないですよ! あたしが、あの時動けていれば……!」
過去に何かあったのだろうか、アシュリーがヴィダを必死に擁護する。
だがヴィダはかぶりを振って彼女を諭した。
「アシュリー、お前が自分を責めるのは、それこそお門違いだ。極限状態で、本気の命の覚悟ができるものはそう多くない」
「……」
「お前は二年前のあの戦いで、本当の戦いの覚悟というものを知った。その甲斐あってお前はもう、私を超え得る逸材だ。胸を張れ」
とん、とヴィダが右拳でアシュリーの胸を小突く。
「……アシュリーに、何かあったんスか? 二年前」
興味本位で訊ねてみるマナヤ。
が、途端にアシュリーがびくりと肩を震わせ、俯いてしまった。
「私の口から言うのは、な」
そんなアシュリーを気遣うように、ヴィダはやや声を小さくしてそう告げる。アシュリーに視線を戻せば、彼女の肩はまだかすかに震えていた。
(あえて聞きだす必要もねえか)
気にはなるが、無理に傷を抉ることもしたくない。
察したようにヴィダが明るい声色になり、問いかけてきた。
「ところで、マナヤだったか。きみは随分と厳重に監視されているな?」
「監視?」
きょろきょろと周囲を見回す。確かに周囲には、こちらを興味深げに観察してくる者達が多い。
が、「そうではない」とヴィダがかぶりを振った。
「騎士隊のことだ。……ああ、剣士でも弓術士でもないきみではわからないか」
「へ? ど、どういうことッスか」
「ほら、あそこだ」
ヴィダが指さした先は、遠くに見える塔の一つ。
村をぐるりと囲っている十二角形の防壁、その頂点の一つにある見張り塔だ。
「彼らの注意がきみに集中しているのがわかる。かなり警戒されているぞ」
「あ、あんな距離から監視ってどうやって!? ここって村のド真ん中だぞ!」
「どうやっても何も、弓術士ならば当然だろう? この程度の距離は」
なにを今さら、と言わんばかりに首を傾げているヴィダ。
そこでマナヤは慌ててテオの記憶を漁った。
(……なるほど、弓術士は感知能力に特化してるのか。だからこの距離でも)
弓術士というクラスは、同じく遠隔攻撃を行う黒魔導師と比べても攻撃射程が長い。だからか、最もモンスターの位置を感知する能力に優れているクラスでもある。
「って、ちょっと待ってください」
だが記憶を引き出して、矛盾に気づく。
「弓術士の感知能力って、確かモンスターの気配しか探れないはずッスよね。なんで人の気配まで?」
「単純に、弓術士らは視力も相当なものだからな。それに、騎士達は訓練によって人間の気配も察知できるらしいぞ。〝殺気立っている相手〟に限るが」
まあ私の場合はただの戦士の勘だがな、とヴィダは意味深に笑った。
(放任されてるわけじゃなかったのか、俺)
騎士隊に所属している弓術士ならば、ここからでもマナヤを目視できるのだ。ヴィダの言い様では、おそらく彼らの監視は自分の一挙一動に集中しているのだろう。
一瞬で腕が粟立ち、思わず周囲あちこちを見回す。
「仮にも村を救った〝英雄〟だというのに、ここまで警戒されているとはな。きみは一体何をしたんだ?」
そんなマナヤをよそに、ヴィダがカラカラと笑いながら問いかけてくる。
「いや何もしてないッスよ! ただ南門からのスタンピード第二波に備えてくれって言っただけです!」
「南門から? いや、今となってはそれは考えにくいのではないか?」
「って、そうだ! どうして南門から来るのがそんなに意外だったんスか!」
ようやく理由を訊けそうだ。
だがヴィダは事もなげに訊ね返してくる。
「意外もなにも。村の南方面は、二年前に開拓村ができたばかりではないか。今さら真南からスタンピードなど来るものか?」
「か、開拓村? どういうことだ?」
「……ああ、そうか。きみ、というよりテオは二年前、ちょうど成人の儀で不在だったな」
二年前。
そういえば、アシュリーに何かあったのも『二年前』と先ほど言っていたはず。
「この村は、六年前と二年前に大規模なモンスターの襲撃を受けたのだ。きみの言う、真南からね」
「六年前と、二年前?」
ではやはり、二年前アシュリーに起こったことは、戦い関連だろうか。
そして、『六年前』ならばテオの記憶にもあった。
(シャラの両親が、死んだ戦いだ)
シャラがテオの両親の世話になることになったのは、それからだったらしい。
ヴィダはそのまま説明を続ける。
「大規模な襲撃が割と短いスパンで、しかもどちらも南側から立て続けに起こったものだからな。ここセメイト村の真南に、開拓村が作られることになった」
「開拓村、って……」
「モンスターの出現頻度が高くなった場所に、森を切り開いて新たに村を拓くのだ。モンスターが森の奥に溜まる前に間引くために、な」
ギョッとしてマナヤはヴィダに詰め寄った。
「いや待て、おかしいだろ! ンな危険なところに一般人を送り込んでわざわざ村を作るのか!? この村の守りを固めりゃいいだけじゃねーか!」
「いや、その場所でモンスターが溜まりやすいということなのだぞ。出現位置に近い地点を中心に村を作る、それが常識ではないか」
「それこそ騎士だけでやりゃいいだけだろ! 一般人を危険地区に送り込むなんて何考えてんだ!」
「うん? だから、それでは我々がこんな村に住んでいる意味がないだろう?」
何か話がかみ合わず、ヴィダが首を傾げる。
「ちょ、ちょっと待ってマナヤ。まさか、あんたの世界じゃ村人に〝間引き〟義務がないの?」
二人のやり取りを妙な視線で見守っていたアシュリーが、ここで口を挟んできた。
「無えよ! 戦いは、えーと……騎士隊に相当する奴らだけの仕事なんだ!」
「あー、やっぱり……モンスターがいないって言ってたし、王都に住んでいる人達の感性に近いのね」
困ったように頬を掻くアシュリー。
そのまま、捕捉するように説明をしてくれる。
「あんたの世界じゃどうか知らないけど、あたし達は子どもの頃から教えられるのよ。『村』っていうのは、王都や町をモンスターから守るために存在するの」
「王都や町を、守るために?」
「ええ。森からモンスターが溢れて王都や町を襲う前に、あたし達が間引く。その代わりに、あたし達は王都から税を徴収されずに済んでるのよ」
「い、いやだからって……」
「それでも、いざとなったらこうやって騎士さん達が無償で駆け付けてくれるんだもの。むしろ感謝しなきゃ」
つまり、『村』というのはモンスターを防ぐ防波堤のような役割を果たしているということか。
そして村人らは、それを当たり前のように受け入れている。王都の者達がぬくぬくと暮らすために、自分達が命を賭けるのが当然と言わんばかりだ。
(どうなってんだよ、この世界の倫理観!)
マナヤが頭を抱える中、「まあとにかくね」とアシュリーの説明は続く。
「その開拓村がここの南に少し行ったところにできたもんだから、真南からスタンピードが来るなんて有り得ない。とまあ、そういうことね」
「いやだったら、もうその開拓村がスタンピード第二波に呑み込まれちまってるって可能性が残ってるだろ!?」
「それはないな」
ここでヴィダが首を振る。
「もし開拓村がそれほどの襲撃に遭ったというなら、そちらから救難信号が発されているだろうからな」
「救難信号……昨日もここで撃ち上がった、アレッスか」
昨晩、この村にスタンピードが来た際、赤い光の柱が撃ち上がったのを思い出す。
弓術士と黒魔導師の二クラスのみが使用可能な、様々な色の柱を空に撃ち出すことができる『救難信号』だ。色に応じて緊急度合が違い、いわゆる虹の順番で赤に近づくほど危険性が高いことを示す。
「開拓村が一足先に襲われたなら、その時点で赤か橙の救難信号が撃ち上がっていただろう。それをここからでも目視できていたはずだ」
「つまり、開拓村は無事ってことか……」
――ようやく理解できた。
第二波が真南から来るというのであれば、先に南の開拓村が襲われているはず。だが、開拓村からはそれを示すような救難信号は上がっていない。
だから、今すぐスタンピードが真南から来ることは考えにくい。そういうことなのだろう。
(じゃあ、なんでテオの時は真南から第二波が来たんだ?)
何かがあった。だからこそ前回は第二波が即座にやってきたのではないか。
だが村の者達も、そして騎士隊も第二波など来ないと決めつけている。
(騎士隊の連中……本当に信用して、いいのか?)
一般人が住む村を、防波堤代わりにする。そんな価値観を持つ世界だ。おまけに、騎士たちがこの村へ駆けつけてきたことも無償奉仕だという。
だとすると彼らは、そんな村を救うために本腰を上げてくれるだろうか。
やはり、自分が第二波をなんとかしなければ。
マナヤは思わず、南側の門を振り返っていた。