6話 目覚めた英雄
「う……」
頬をかすかに撫ぜる風と、運ばれてきた土の匂い。一気に意識が浮上する。
見慣れているような見慣れないような、不思議な亜麻色の天井。ドーム状になっているその天井を見て、その不思議な感覚の正体に思い至った。
(ここは……寝室?)
体を起こすと、額から何かが剥がれた。ひらひらと毛布の上に落ちる。
半透明のバジルのような葉っぱだ。触れば、妙に冷たい。
その時、扉の付いていない自室の外側から人が入ってくる気配が。
「テオ! 気が付いたのね!」
駆けこんできたのは、長い茶髪の女性……テオの母、サマーだ。
「あ、ええっと……」
思わずマナヤは、しどろもどろに。
自室の外から、さらに聞き覚えのある二人の声が飛び込んできた。
「テオ! 目が覚めたのか!?」
「テオ!」
テオの父親スコットと、もう一人の少女。
赤茶色のブレザーのような服の下に、ペプラムという奴だろうか、下半分がフリルのようになっている白のインナーを着て、ベージュのハーフパンツを穿いている、金髪セミロングの女の子。
(たしかこいつが、テオの幼馴染……シャラだったか)
この体もそうだが、発展途上のようにも見えるこんな村で、なぜこれほど上等な服を。
「テオ! 良かった、酷い傷だったし意識も無かったから心配してたんだぞ!」
「テオ、良かった……本当にっ、良かったぁ……!」
スコットがマナヤの髪に触れながら安堵の声で、シャラは泣きじゃくりながら寝具の端に手を掛けしゃがみこむ。
「ああ、その……」
「無理はするな。すまんな、治療が遅くなったから、お前の体に負担がかかってるはずだ」
スコットから聞くところによると、スタンピードを抑え込んだとはいえ重傷者も多く、白魔導師の手が足りなかったらしい。
村にいた白魔導師たちは、死なない程度の応急処置だけで癒して回らなければ間に合わなかったという。その後、スタンピードの救難信号で駆け付けた騎士隊の白魔導師達のおかげで治療が進み、ようやく重傷者の完治ができたとのことだ。
「いや、仕方ねぇだろ。……死者は出たのか?」
「……重傷者は多いが、お前のおかげで死人はいない。ヴァルキリーまで出たんだってな。死人ゼロなんて奇跡だぞ」
マナヤの口調に訝りながらも、スコットはしっかりと答えてくれた。
(そうか、誰も死にはしなかったのか)
テオの最後の記憶から思い起こす。
小さな男の子が死に、テオの両親が死に、……幼馴染までが死に。テオの知らないところでも大量の死人が出ていたであろう、あの記憶を。
(あんな未来を変えられたなら、まあ悪くねぇ……って待て!)
バッとスコットへ視線を戻し、慌てて尋ねる。
「第二波は!? 第二波は防げたのか!?」
「第二波? 何のことだ?」
が、スコットは訝しんだままの表情でそう返すのみ。
「襲撃のだよ! 南門からモンスターの第二波が襲ってきただろ!?」
「南門から? テオ、夢でも見ていたのか? お前が倒れた後、それ以上の襲撃は無かったぞ」
「な、なんだと?」
スコットの返答に茫然とするマナヤ。
テオの記憶でも、前回は間違いなく第二波はやってきていたはず。なのに、なぜ。
(俺の『猫バリア』で、第二波が俺が戦ってた第一波と合流したのか?)
猫バリア戦術に使った猫機FEL-9は、敵モンスターを引きつける効果がある。その効果で第二波がマナヤの方にもやってきて、いつの間にか自分は第二波も一緒に片付けていたのだろうか。
(いや、第二波まで合流してたってんなら、敵の数があの程度で済んでたわけがねえ)
となれば、恐ろしい可能性が一つ。
マナヤが介入したことで微妙に未来が変わり、第二波はまだ森の南側に控えているのでは?
「すぐに南門の向こうを調べてくれ! モンスターの第二波がどこかに潜んでるはずだ!」
血相を変えそう喚く。だがスコットは戸惑いつつマナヤに目線を合わせた。
「テ、テオ落ち着け。南門から襲撃なんて、来るはずがないだろう?」
「なんでそんなこと言えるんだよ!」
「……テオ?」
と、やや泣き声が混じったシャラの呟きが耳に届いた。目尻に涙を残しながらも戸惑った表情を見せている。
テオの母、サマーも顔を強張らせていた。
「……聞きたいことがあるの。あなたは、一体だれ?」
「ッ」
思わず身がすくんでしまうマナヤ。
全員がハッと息を呑み、奇妙な眼差しを向けてきた。
「やっぱり、あなたは……」
「テオ……じゃない……?」
二人が後ずさる。
サマーが戸惑いながら、シャラは絶望の表情すら漂わせながら。
「――スコットさん? サマーさん? いますー?」
そこへ、玄関の方からはきはきした女性の声が届いた。聞き覚えがある声だ。
「あ、アシュリーさん、か……?」
後ろ髪を引かれるような様子ながら、父スコットが応対に出る。
他の二人は、油断なくマナヤを見据えたまま。マナヤはそんな視線から逃れるように目を背けてしまう。
程なくしてひょい、と赤髪のサイドテールを揺らしながら、赤い影が部屋を覗き込んできた。
「あ、目が覚めてたんだ。えーっと、テオ、っていうんだって?」
襲撃の戦闘中にも会った、赤いサイドテールの女性。アシュリーだ。
こちらと目が合うと、ニカッと晴れやかな笑顔を見せてきた。底抜けに明るい笑顔。このような表情もできたのか、とマナヤも驚いてしまう。
当のアシュリーは、無遠慮にズカズカと部屋に踏み込んできた。
「おっお前、仮にも怪我人の部屋だぞ」
「……? だから何よ? 見舞いに来ちゃいけないっての?」
「いやだから、プライバシーってもんがだな……」
戸惑うマナヤだったが、向こうは全く悪びれる風でもなく、家族やシャラも止めようとする様子もない。
アシュリーはこちらの顔を覗き込んだあと、くすりと笑った。
「よかった、顔色も良くなってる。昨日は大活躍だったわね、英雄サン?」
「英雄?」
「そりゃ、どう見たって昨日の最大の功労者はあんたでしょ」
こてん、と首を傾げるような仕草でアシュリーが続ける。
「たった一人でスタンピードの半分くらいを抑え込んで、ヴァルキリーまで倒してたでしょ? しかも召喚師のクセに、まさかその体を張って子供を庇って、怪我してまで守り抜くなんて。やるじゃない、見直したわよ?」
「ええっ!?」
アシュリーの言葉に一番驚いたのは、シャラだ。
「あれ? あんた、確か錬金術師の……」
「は、はい、シャラです」
「そうそう、まだここに居たんだ……あー、もしかしてあたし、お邪魔だった?」
シャラとマナヤを交互に見てムフフ、と意味深な笑みを見せながらアシュリーが問いかける。
「い、いえ……」
ちらりとこちらを横目で見ながら、戸惑いがちに答えるシャラ。彼女の手が小さく震えている。
そこへ、遠慮がちにテオの母サマーがアシュリーへ進み出た。
「アシュリーさん、その……御用は、お見舞いだけ?」
「あっそうそう! サマーさんスコットさん、騎士隊の隊長さんたちがテオに話があるんですって」
思い出したように、アシュリーはスコットとサマーへ向き直る。
「騎士隊の方々が?」
「ええ。だからテオが受け答えできる状態か確認しに来たんですけど、この様子じゃ大丈夫そうですね。呼んでもいいですか?」
「そ、それは……」
葛藤がサマーの表情から見て取れた。スコットも同様だ。
(〝騎士隊〟!)
顔を跳ね上げるマナヤ。
「そうか! 騎士隊が来てんならすぐ呼んできてくれ!」
「え? なにテオ、あんたなんでそんなに慌ててんの?」
「一大事なんだ、早くッ!」
「わ、わかった」
少し狼狽えつつも、アシュリーは小走りに外へと駆けていった。
◆◆◆
「ノーラン隊長、ですか……はい、息子は意識を取り戻しました」
「そうか。済まないがスコット殿、本人に事情を聴きたい」
さして時間を置かず、立派な服装をした三名がこの家へとやってきた。スコットに促され、テオの部屋へと入ってくる。
まず現れたのは恐らく三十代半ばほどの、物々しくも華やかな鎧を纏った、濃い茶色の短髪の男。赤を基調とした防具に、腰に差している剣。おそらくクラスは剣士だろう。
その後ろにさらに二人ついてきた。一人は黒い短髪を横に流した、落ち着いた表情の黒ローブの男。そして、プラチナブロンドのストレートヘアを腰まで伸ばした、白ローブの女性。いずれも、ローブの胸元に剣士の男とは別の紋章が刺繍されている。
村人の服もそこそこ綺麗だったが、彼らのものは見るからに別格。
テオの家族やシャラ、アシュリー全員が左胸に掌を当てて、わずかに頭を垂れる。この世界におけるお辞儀の作法だろうか。
「失礼、マーカス駐屯地の騎士隊隊長を務めているノーランだ。テオ君、だったね」
「は、はい!」
剣士らしき男性――ノーランと名乗った騎士隊長の呼び掛けに、焦りが混じった声で応対するマナヤ。
「まず尋ねたいのだが――」
「すぐに南門の外を捜索してください! まだスタンピードは終わっちゃいない!」
ノーラン隊長の言葉を遮り、マナヤは訴える。
アシュリーはもちろん、スコットとサマーもギョッと表情を強張らせていた。黒魔導師と白魔導師も困惑に顔を曇らせている。
隊長に至っては眉を吊り上げ、マナヤを睨みつけてきた。
「南門の外? スタンピードは終わっていないだと? 何を言っている」
「今回のスタンピードにゃ、第二波があるんだ! 森の奥に、最初の襲撃と同等かそれ以上のモンスターの大軍が控えているはず、それを今のうちに対処しねえと!」
「……なぜ君に、そのようなことがわかる?」
一気に表情が険しくなるノーラン隊長。ぐっと詰まりかけるマナヤだったが……
「と、とにかく! いつ第二波が襲ってくるかわかりません、まずは騎士隊を森の奥へ!」
「まずは質問に答えてもらいたいな。なぜ君に、第二波が来るなどということがわかるのか」
「……ッ」
「なぜ答えられない? 君は一体、何を企んでいる?」
一層、ノーラン隊長の警戒心が強まるのを感じた。もはや凶悪犯でも見るかのような目つきで、マナヤを睨みつけてくる。テオの両親も疑いの眼差しだ。
しかし、自分にできるのは同じ内容をまくし立てることだけ。
「せ、説明は後だ! 早く、早く村の南方を――」
「まずは、落ち着いて下さい」
そこへ宥めるように口を挟んできたのは、後方に控えていた二人のうちの片方。長いプラチナブロンドの髪を降ろした、白魔導師らしき女性だ。
「テオさんでしたね。落ち着いて、一から順序だてて説明してください。理由と根拠がわからなければ、我々としても動けません」
「そんな時間は――」
「我々騎士隊の弓術士らが既に、各方面の監視に当たっています。襲撃が来ればすぐに対処できる状態です。焦る必要はありません」
ゆっくりとした鈴の音のような声色。マナヤは少しだけ落ち着きを取り戻した。
「……テナイア殿、もうよろしいでしょうか?」
「はい。失礼しました、ノーラン隊長」
テナイアと呼ばれたその白魔導師の女性は、胸に右手を当てて一礼。
ノーラン隊長は小さく咳ばらいし、再びマナヤへ厳しい目を向けた。
「まずは、こちらからの質問に答えてもらいたい。良いな?」
「……はい」
「村の者達から、君が大襲撃を食い止めた功労者であると聞いた。間違いないか?」
「はい」
素直に肯定。が、当の隊長は疑わしげな眼差しを向けてくる。
「……あ、信用できないなら証拠を出せるッスよ」
「証拠だと?」
「【ヴァルキリー】召喚」
手のひらから紋章が発生。
部屋の中央に、槍を構えた神々しい戦乙女が出現する。相変わらずその瞳に理性はないが、少なくとも瘴気はもう纏っていない。
「うおっ!?」
「な!?」
「ちょ……!」
「いやああああああああああっ!!」
が、その途端にその場が騒然となり全員が一気に身構えた。
シャラに至っては悲鳴を上げ、部屋の隅まで後ずさりし両手で頭を抱えてへたりこんでしまう。
「ば、馬鹿者! 屋内で急に上級モンスターなど召喚する者があるか!」
「あ、す、すんません……【送還】」
隊長に怒鳴られ、マナヤは呪文を。
ヴァルキリーが黒いカーテンのようなモヤに包まれ、そのままモヤごと虚空に吸い込まれるように消えていった。自分のモンスターを封印空間へと送り返す魔法、『送還』だ。
全員がほうっとため息を吐く。そんな中、シャラだけが未だにガタガタと激しく震えながら、怯え切った表情でこちらを見つめてきていた。完全に恐慌状態だ。
ノーラン隊長がそれに気が付いた。
「そちらのお嬢さんは……」
「すみません、その子は両親をモンスターに……」
スコットがそう告げると、隊長はやはり、と納得したかのようにかぶりを振る。
(そういうこと、か。シャラは、両親をモンスターに殺されたから)
マナヤはようやく、テオがシャラのことをあえて避け続けていた理由を悟った。
同時に、この世界で召喚師が疎まれている根本的な原因も。
「ノーラン殿、よろしいか?」
「ディロン殿? いかがなされました」
後ろに控えていた黒髪黒ローブの、黒魔導師らしき男がノーラン隊長に話しかける。
「彼が上級モンスターを取得しているのは確認された。となれば、取得に至った方法、スタンピードを抑えた方法の信憑性も確認すべきだ」
「そうですな。……ディロン殿が質問なされますか?」
「そうさせてもらいたい」
このディロンという黒魔導師の方が、位が高いのだろうか。隊長は、やや渋い顔をしつつも頷いた。
黒魔導師は改めてマナヤへと顔を向ける。その瞳は、恐ろしく冷たい。
「テオ君、村人からは君がモンスターの大軍を分断し、たった一人でそれを鎮めたと聞いている。これは真実か?」
「……はい」
「なぜ、そのようなことができた?」
「召喚師がそこまで戦えるのが、そんなに意外ッスか?」
「なぜそのようなことができた?」
問い返しを完全に無視し、冷たく質問を繰り返す黒魔導師ディロン。質問しているのはこちらだ、と言わんばかり。
マナヤは諦めて、自分の戦いを説明し始めた。
「まず俺は、猫機FEL-9を召喚しまして――」
◆◆◆
「……なんという無茶を」
マナヤが一通りの説明を終えた後。黙って聞いていたノーラン隊長がそう呻いた。
白魔導師テナイアも驚きを隠せず、目を見開いていた。アシュリーはむしろ興味深そうにマナヤを見つめている。
一方でまったく表情が変わらなかったのは、黒魔導師ディロンだ。
彼はマナヤの説明が終わったことを察し、すぐに鋭く問いかけてくる。
「テオ君は、そのような戦い方をどこで教わった?」
マナヤの顔が強張る。テオの両親、そしてシャラをちらりと見た。当然というべきか、二人とも未だ警戒の視線が抜けていない。
「……その質問に答えるには、突拍子もない話をしないといけませんが」
隊長にそう伝えれば、視界の端でピクリと反応するテオの両親とシャラ。
これを正直に言えば、彼らが傷つくのは明白。だがマナヤの目の前には、険しい顔で促してくる黒魔導師ディロンが。
(くそ、言うしかないか)
マナヤは覚悟を決め、重い口を開いた。
「……俺は、テオじゃありません」
「何?」
黒魔導師ディロンが眉をひそめ、ちらりとテオの両親を見やる。だがスコットもサマーも、食い入るようにマナヤを見つめるのみ。
シャラは完全に青褪めた顔をしていた。
「俺の本当の名前は〝マナヤ〟といいます」
「マナヤ君……か。では君は、いったい何者だ? なぜテオ君の名を騙った?」
鋭い目つき。なにか、異様なプレッシャーをこの黒魔導師から感じる。
奇妙な緊張感の中、マナヤは説明を始めた。
「結論から言いますと、俺は異世界から来ました」
「異世界、だと?」
「はい。この世界とは全く違う別世界。モンスターというものはゲームという〝遊戯〟の中にしか存在しない、そんな世界です」
この世界の人間に『異世界』という概念が通じるかはわからない。『モンスターが存在しない世界』というものが理解されるかどうかも怪しい。
こちらで生きている人間にとって、モンスターというものは当たり前のように存在するものだ。
「俺は、そのゲームを通じてモンスターを操る戦い方を覚えました」
「……その異世界で、遊戯で戦い方を覚えたと言いたいのか?」
「はい。そして、神様に言われてこの世界に〝転生〟してきたんです」




