5話 スタンピード収束
背中から、ぱっと赤い血が舞う。
衝撃で崩れ落ち、地に手を着いてしまうマナヤ。
救われた男の子が絶望したような表情で、崩れ落ちるマナヤを見下ろす。
ミノタウロスが再度、無慈悲に斧を振り上げた。
狙いは、無防備なマナヤの背。
(……このシステムも、ちゃんとあったか!)
が、口の端から血を垂らしたマナヤの口元が、ニヤリと弧を描いた。
「【エルダー・ワン】召喚ッ!」
振り向くや否や、迫りくるミノタウロスの斧の前に手を突き出す。
光る召喚の紋章、直後に甲高い音。
ミノタウロスの斧が、金色の紋章にぶつかった音だ。
(『紋章防壁』テクニック! 召喚時に発生する紋章に当たり判定があることを利用し、敵の攻撃を受け止める『盾』にする!)
後方へ弾かれるミノタウロス。
すぐに消えていく召喚紋の中から『古のもの』が出現する。
人間より一回り大きい図体。ヒトデのような五本足。背中から一対の翼竜のような翼が生えている。ヒダの多い水色の全身から、ヌメヌメと粘液がテカっていた。
気味の悪いこの異形は、召喚するにはマナが足りなかったはずの中級モンスター。
マナヤがこれを召喚できたのは――
(『ドMP』、現実でやると無茶苦茶痛ぇ……ッ!)
通称、『ドMP』システム。
召喚師自身がダメージを受けると、そのダメージ量とピンチ度に応じてMPが回復するというものだ。
だが、ゲームでは感じたことがない、全身が砕けそうな強烈な痛み。がくがくと震え、立ち上がることもままならない。
(クソッ……でも、この程度の痛みが、なんだ……!)
平和な現代でのうのうと生きてきただけのマナヤ。命懸けの戦いどころか、これほどの痛みを経験したことすら初めてだ。
しかし。
『逃げろ、テオ……生き……ろ……』
『お願い、テオ……シャラ、ちゃんを……おねが……い……』
テオの記憶から、スコットとサマーの最後の姿が浮かぶ。
「〝父さん〟と〝母さん〟の痛みは……」
『テオ……せめ、て……あなただけは……生き……て……』
続いて、シャラがテオを庇って倒れた時の姿も。
「シャラって娘の、痛みは……」
何よりも、彼らの死を前にしたテオの心の痛みは……
「こんなもんじゃねェッ!!」
ダァンと足を踏み鳴らし、強引に立ち上がった。
「お、おにいちゃん……?」
ミノタウロスが斧で、エルダー・ワンが頭突きでぶつかり合っている。その最中、心配げにこちらを見あげてくるのは先ほど庇った男の子。
「よお、がきんちょ……ほら、今のうちに逃げな」
「お、おにいちゃんは……?」
「心配すんな。知ってるか? 召喚師ってのはな、頑丈なんだ。そういう『クラス』だからな」
事実だ。
召喚師はクラスを授かった時点で異常なマナ回復能力と、そして『高い生命力』を得る。そのぶん、筋力や走力などの身体能力はクラス習得前と変わらない。
「――そこの二人っ!」
空から女性の声。
見上げれば、赤髪でサイドテールの女剣士が降ってきた。赤いタンクトップの上に、灰色に近い白のショート丈ジャケット、同色のショートパンツを着ている。
テオの記憶の中にもあった。セメイト村でも腕利きの女剣士『アシュリー』だろう。
「しっかり! そこのモンスターは私が引き受けるから、急いで逃げて!」
「待て! ここは俺で大丈夫だ、封印だってしなきゃなんねえ! それよりこのがきんちょを安全な所へ!」
「な……でも、あんた!?」
「早くしろ! がきんちょだって『召喚師』風情に連れられたくねえだろ!」
アシュリーは男の子に視線を向けつつも、マナヤの背中の傷にも気づいたようで一瞬迷っていた。子どもを抱えて走ることはできない大怪我だ。
そして、近くには崩れた防壁もある。いつモンスターがなだれ込んできてもおかしくない。
(マジで早くしろ! アイツが来ちまう!)
そしてマナヤの焦りには、またもう一つ理由がある。
「……っ、すぐに戻るから! そこの子、しっかり捕まってて!」
アシュリーは歯噛みし、納刀。
男の子を抱え、跳ぶように走り出した。
(よし)
それを見届けたマナヤはすぐに振り返る。
即、目の前のエルダー・ワンに手をかざした。
「【秩序獣与】!」
時間経過で回復したマナ。それを使い、『三十秒間、対象モンスターの攻撃に神聖属性を付与し、与ダメージ量を増大させる』魔法、秩序獣与をかけた。
聖なる光が、妙に肥大したエルダーワンの頭部を包み込む。神聖属性はミノタウロスの弱点だ。
「仕留めた!」
エルダー・ワンの光を帯びた頭突き攻撃。
敵ミノタウロスの体が、弾けるような音と共に霧散する。
エルダー・ワンとミノタウロスが戦った場合、元からエルダー・ワンが有利である。それでもわざわざ秩序獣与で火力を強化した理由は、一つ。
――ドシュウッ
突如、エルダー・ワンの胴体から何かが飛び出す。
金属製の、槍。
弱っていたエルダー・ワンは、背後からそれに貫かれていた。翼を広げながら倒れこみ、消滅してしまう。
そして、その背後から姿を現したもの。
「――」
白銀の鎧に赤マント、手にはその身の丈ほどもある長い槍。地面から十数センチ浮かんだ状態でこちらを見返す、戦乙女の姿があった。
美しい顔をしており、姿かたちもほとんど人間の女騎士だ。しかしその全身に纏わりついている、禍々しい真っ黒な瘴気。完全に白目を剥いた彼女の瞳は、全く理性を感じさせない。
上級モンスター、『ヴァルキリー』。
「……お早いお着きで」
苦い顔で呟くマナヤ。先ほど防壁の上から砲機WH-33Lの視界を通し、このモンスターが来るのは知っていた。
上級モンスターの強さは、当然ながら計り知れない。特にこのヴァルキリーは攻撃力、耐久力、移動性能、どれを取っても一級品だ。
ぜひとも封印して手に入れたいモンスターではあるのだが……
(召喚獣は全滅、マナも無ぇ、場所もまずい。やべぇな)
残っているのは防壁に配置した二体の砲機WH-33Lのみ。しかしこの位置はその射程圏外だ。
機動力が高いヴァルキリー相手に、この至近距離から走って逃げるのも不可能。
極めつけに、マナも空。
(――『MP』が無ェなら!)
召喚師の〝頑丈さ〟に賭けに出る。
「『ドMP』で、稼ぎゃいいだろォォォォッ!」
マナヤは雄たけびを上げ、突撃。捨て身でヴァルキリーへと突っ込んでいく。
冷徹に振りかぶられる、ヴァルキリーの槍。
それが、風を切ってマナヤに突き出された。
――腹に直撃。
先のミノタウロスの斧とは段違いな衝撃が走り抜ける。
「か、ハッ」
体が吹き飛び、何度か地面を転がってやっと止まった。
流血こそしているものの、腹を貫通はしていない。そして……
(マナの補充、ありがとよ!)
自分の体の中に、熱い何かが満ち満ちていく。
「ッ召喚! 【猫機FEL-9】!」
すぐさま現れた猫機FEL-9。そしてマナヤは自身の立ち位置を少し調整。
ヴァルキリーが肉薄し、また槍を振りかぶる。
穂先が向けられている先は、召喚されたての猫機FEL-9。
「そこだ! 【跳躍爆風】!」
破裂音。
猫機FEL-9が吹き飛んでいく。
ヴァルキリーがそれを見上げ、一緒に跳んでいった。
(『ホッパーキャリー』成功! やっぱこれも通用するか!)
粗く息を吐きながら、マナヤは心の中でガッツポーズ。
ヴァルキリーは『攻撃モーション中は執拗に敵を追いかけ続ける』という性質を持つ。さらに常に浮遊しているため、たとえ攻撃対象が吹き飛んでいこうが、槍を突き立てるまでしつこく追いかけるのだ。
この性質を悪用し、敵ヴァルキリーに狙われた召喚獣を跳躍爆風で吹き飛ばす。そうすると敵ヴァルキリーがそれを追いかけ、一緒に飛んで行ってしまう。
プレイヤー間で『ホッパー運び』と呼ばれていた現象だ。
(これで、ちったあ時間を稼げる)
だがおそらく猫機FEL-9はすぐに倒される。稼げる時間は長くない。
「【封印】!」
残ったマナで、まずは先ほど封印しそこねていたミノタウロスの瘴気紋を封印。
続けて――
(視点変更!)
再び砲機WH-33Lへ視点が移る。
すでにヴァルキリーが猫機FEL-9を破壊し、マナヤの方向へと戻っていくのが見えた。
(……あそこがいい)
そのままマナヤは自分自身の姿を見つける。その周囲も確認し、人気が無い、背の高い石造りの家が乱立している場所に当たりをつけた。
視点を自身に戻したマナヤは、すぐにその場所へと移動を開始。
腹の痛みと、口の中に広がる鉄の味。
それを無視し、なんとか駆け続ける。
ヴァルキリーが追いかけてくるが、マナヤは四角い石造りの家の周囲を回るようにして逃げ回った。
(まるで鬼ごっこだな。くそ、早く溜まれ……!)
冷静さを保つよう自分に言い聞かせ、逃げながらマナの回復を待つ。ゲームのようにMPゲージが見えるわけではないのだが、『なんとなく』でMP残量を把握できるのは不思議な気分だ。
マナヤは角を曲がり、時には別の建物の陰へと移動。それを繰り返していく。
モンスター達は『曲がり角を曲がる時に減速する』という習性がある。障害物を使って逃げるのは基本だ。
ただ、ヴァルキリーは移動速度が異常に速い。壁越しで位置が確認できない状態で逃げ続けるというのは、普通は困難極まる。
(視点変更! ……よし、こっちだ!)
だが、定期的に砲機WH-33Lに一瞬視点を移せばヴァルキリーの位置が見える。互いの正確な位置を確認できれば、曲がり角を使って逃げ続けることも不可能ではない。
(……二十秒!)
時間稼ぎが功を奏し、なんとか必要分のマナを確保。
「【ゲンブ】召喚!」
呼び出したのは、リクガメのような中級モンスター。見ての通り防御型で、攻撃力や移動性能はほどんど無い代わりやたら堅いのが特徴だ。
ここでマナヤ、ヒラリと自らゲンブの上に飛び乗る。
(来たな)
ちょうど、曲がり角からヴァルキリーが姿を現す。
もうやることは決まっていた。
一瞬で肉薄してくるヴァルキリー。
それが、ゲンブへ槍を振り上げるのを見計らい――
「【跳躍爆風】ッ!」
バシュ、と破裂音。
マナヤを乗せたゲンブが跳び上がる。
ヴァルキリーをそれを追い、すぐ後ろをついてくる。共に空中を翔ける、亀と戦乙女。
ゲンブなどの一部のモンスターは、召喚師が『上に乗る』ことができる。この状態で跳躍爆風を使用して跳ばすことで、召喚師自身の移動手段とすることが可能だ。
跳んでいく先はもちろん、砲機WH-33Lを設置してある防壁の真下。
「づっ……ぐ」
ゲンブの着地と共に、乗っていたマナヤが地面に投げ出された。
背中と腹、両方の傷から来る激痛に顔が歪む。
(くそ、これはゲームと違うのか。着地のバランスを取るのがキツい)
だが寝転がっている場合ではない。なんとか身を起こし、周囲の状況も見回す。
モンスター群の残りは、集まってきた村人らが対処してくれていた。援軍が間に合ったのだろう。早い段階でマナヤが群れの数を減らした恩恵だ。
(なら、ヴァルキリーをここで仕留めちまえば、第一波はもう問題ねえはずだ)
この位置は二体の砲機WH-33Lの射程圏内。砲弾がヴァルキリーを蜂の巣にしている。ゲンブがヴァルキリーの攻撃を食い止めてくれている。三対一だ。その上――
「【魔獣治癒】!」
ヴァルキリーの槍を受け傷ついていたゲンブの甲羅が治癒していく。生物の召喚獣に対してのみ使える治癒魔法だ。甲羅のヒビが埋まったゲンブが、ヴァルキリーの次撃を持ちこたえる。
「トドメだ! 【電撃獣与】【火炎獣与】!!」
残りのマナを全て使い、防壁上の砲機WH-33Lに二つの補助魔法を重ね掛け。
二体いる小型戦車のうち片方。その砲塔が、炎と電撃を宿した。
二重に強化された砲機WH-33Lの砲弾。それが――
――ズドンッ
鎧に覆われたヴァルキリーの胴体を貫通した。
轟音ののち、電撃、そして炎が戦乙女の全身を焼いていく。
ぐらりと体を傾け、倒れこむヴァルキリー。
その体が空中に溶けるように消え、地面に瘴気紋が残った。
「――【封印】」
魔法発動と共にふわりと宙に浮きあがるヴァルキリーの瘴気紋。
金色に変色、そして粒子化しキラキラとマナヤの手のひらに吸い込まれていく。
その光を全て取り込んだ手のひらを、ギュッと拳に握りしめた。ヴァルキリー、入手完了だ。
「へっ……ざまあ……みやがれ……ッ」
既にスタンピードはほぼほぼ鎮圧できていた。一番の強敵であったヴァルキリーが沈んだことで、周囲が沸き立っていく。
日はとっぷりと暮れ、暗い夜空に映える赤い救難信号の光。
視界の端に映ったのは、その光に溶けこむような鮮やか赤毛をなびかせる女剣士だ。こちらに駆け寄ってくる彼女の顔は、焦りに満ちている。
(ああ……綺麗だな)
なぜか場違いにそのような思いが浮かんだ。が、すぐに大事なことを思い出す。
(ま、待て、まだ第二波が来るはず……!)
眼が霞んできた。
背中と腹についた深い傷。それでも無理に動き回ったため、かなり出血してしまっている。
だが意識を失っている場合ではない。
(意識を、保て……まだこの村が、あぶ……ねえ……)
血を流しすぎた。
赤い光に照らされている視界が、暗くなっていく。
どさり、とマナヤは地面に倒れこみ……
――あなた、本当にテオなの?
母の問いと、その時の怯えたような顔。
なぜかそれを最後に思い出しながら、意識を手放した。